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「みんな違って、みんな良い」

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こんにちは、メイです。

 

今週から始まりました、新企画。

 

「多様性」についての議論ということですが、話し始める前に面白エピソードをひとつ。先週のミーティングでこの企画の話が出て、流れ的に「多様性」について話し合おうという意見が強まっていく中、断固として「多様性 is so vague」と苦い顔をするメンバーがいました(笑)誰かは内緒。

 

でも実を言うと、わたしも同感。

 

というのも、ブラウンの学生が集まって何について議論しようかと言った時に「多様性」がテーマとして出てくるのは良く言えばブラウンらしく、悪く言えばありがちかなと。

 

この観点から見ると、だいぶ極端にはなりますが「多様性」を重視しない学生がいてはじめて多様性に近づけるのでは、と思います。

 

***

 

留学生として、多様性について考えたことは多かれ少なかれあるけど、個人的には他の海外大生と比べたら少ない方かもしれません。物理と哲学という、基本的に事実かそうでないかを議論する学問を学んでいるからか、キャンパス内での多様性を四六時中意識しているかと言ったら真っ赤なウソになります。

 

ただ何となく、純粋に物理とか哲学に向き合いたいという自分がいても、「ブラウン生なら多様性に関心を持つべき」という風潮そのものに押しつぶされている時があったりして。もっと、他の事しか見えていない人や、「多様性」について無関心そうな人がいても面白いのにと思っちゃったりします。もちろん、自分と違う人は見下して、差別するなんて意見は支持できませんが、「多様性について考えYO!!!!!」という考え方を押し付けるのも少し違うのではと。

 

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Photo

 

まず、ブラウンが公表しているデータは本当に「多様性」を表しているかって聞かれたら単純にノーだと思います。40%以上が白人という統計的な意味もありますが、例えば○%が日本人公表したところで、「日本人」にも色々あるし、いわゆるザ・日本人(の定義も人それぞれですが)が実際○%いるかって聞かれたらそうではないし、○%の中には「自分のアイデンティティーは日本人だ」と公言しない人も含まれるわけで。要は、公表するデータは何とかして数値化しないといけないし、ケースバイケースな事象を事細かに見ているとキリがないので、ブラウンのリアルな「多様性」について語っているかと聞かれたら違うと思います。

 

***

 

そもそも多様性って何なんだろう。

簡単に言えば、「みんな違って、みんな良い」ということ。なのか。

 

そもそも「良い」の基準はどうやって生まれるのか?

 

これはあくまでも個人的な持論を小学生なみのおとぎ話で例えたものですが、しばしお付き合いくださいませ。

 


 

A君は、背も高くて、運動も勉強もできて、みんなの王子様です。

 

B君は、何事も卒なくこなしながらも、特に目立つタイプではありません。

 

C君は、どちらかというとお騒がせ物で、クラスメイトのものを盗んだりします。ちょっと近づきにくいっす。

 

ある日、HR中に遠足の班分けをしなければいけなくなり、A君が女の子の間で取り合いになりました。A君+2人の女の子に落ち着いたところで、バランスを保つためにもう一人男の子を入れることになり、B君かC君かの2択でした。

 

パターン①

AB君と組もうか」

女子「えー、B君…?」

A「みんな違って、みんな良いじゃないか」

女子「…じゃあ、A君が言うなら!」

 

見事、B君が輪の中に入りましたね。

 

 

パターン②

AC君と組もうか」

女子「えー、C君…?」

A「みんな違って、みんな良いじゃないか」

女子「そうだけど…」

 

あらら。C君、輪に入り切れていないようです。

 


 

さて、ここで問題です。世間一般的に「多様性」と言われるケースはどちらでしょうか?

 

 

(個人的な)答えは、パターン①です。

A君というイニシアチブが、B君という違うジャンルの生徒を仲間に入れようと呼びかけたことによって、その班は「多様」な班になりました。

 

じゃあ、(個人的に思う)「多様性」とは何でしょう?

パターン②だけど、C君が班の一員になるというラストで締めくくる、というものです。

 

 

パターン①と②の違いって、みんなが思う「B君」と「C君」の受け入れやすさですよね。B君は輝かしい王子様ではないかもしれないけど、班に入れても仲良くできそうだから女子は承諾。その反面C君はというと、やっぱり日頃悪さをしていてあまり良い印象を持っていない分、仲間に入れるのをためらってしまう。

 

おそらく、今ブラウンにある「多様性」というのは世界中のB君しか考慮されていないものだと思います。「自分たちとは違うけど、みんな違ってみんな良い」といった感じで。でも、「違う」というより「ワルい」イメージが強いC君はいないですよね。平和が乱れますもん。

 

つまり何が言いたいかというと、キャンパス内の「多様性」というのは暗黙の了解で「社会的秩序を乱さない範囲内」で行われていると思います。もちろん、生徒の安全のため、表現の自由のためなので、常識的に考えて当たり前なのですが。でも、本当に本当に多様だったら、C君までを入れる必要があるのではないかなと。

 

でもこう書いている内に、「みなの違いを尊重して、協調し合うための多様性」なのに「真に意味での多様性」を目指したら、平和が乱れる恐れもあるので、何だか矛盾してきてしまいました。そもそも「多様性」と「平和」を安易に結び付けてはいけないのでしょうか?

 

***

 

ちなみにですが、A君がクラスの王子様的な存在であることにも少し意味があります。「A君=『多様性推進組』」です。

王子様キャラって、クラスに一人、あるいは学年に一人はいますよね?もしかすると学校に一人かもしれませんが。要はコミュニティに王子様キャラって生まれやすいのがポイント。でも例えば、A君がいるところに山崎賢人(賛否両論あるかと思いますが、これはあくまでも一般論ですよ!)が転入してきたら、王子様の座は彼のものになるでしょう。逆に、A君が初めからその学校にいなかったとしても、代わりになる王子様キャラがいたはずです。

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(「多様性」と聞いて、国連に行った時に見たこの絵を思い出しました)

こう言った感じで、あるコミュニティの中では多様性を強く推進する人々がいる中、彼らは周囲の状況によって「多様度」が変わってきます。冒頭にも言ったように、私よりもっと深く、そして頻繁に多様性について考え、行動している人はブラウンに沢山います。でもブラウンの外にある一部のコミュニティの中では、私が一番「多様性」に対して積極的なところもあると思います(自分で言うのも何ですが)。どんな仕事場に行っても、必ず「誰よりも頑張っている人」っていますよね?そしてそれらの人々をまた一つの会社にまとめたとしても、「誰よりも頑張っている人」が出てくるのと少し似ています。

 

つまり。「多様性」とは、A君もB君もC君もみな同じ班になることであり、ブラウンに必要かどうかというよりは、ブラウンが大学としてこのような意味での「多様性」を実行するべき場所であるのかどうかによるかと思います。

 

***

 

 

というわけで、だいぶあっち行ったりこっち行ったりしましたが、お付き合いいただきありがとうございました(苦笑)

 

また来週!

 

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