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「みんな違って、みんな良い」

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こんにちは、メイです。

 

今週から始まりました、新企画。

 

「多様性」についての議論ということですが、話し始める前に面白エピソードをひとつ。先週のミーティングでこの企画の話が出て、流れ的に「多様性」について話し合おうという意見が強まっていく中、断固として「多様性 is so vague」と苦い顔をするメンバーがいました(笑)誰かは内緒。

 

でも実を言うと、わたしも同感。

 

というのも、ブラウンの学生が集まって何について議論しようかと言った時に「多様性」がテーマとして出てくるのは良く言えばブラウンらしく、悪く言えばありがちかなと。

 

この観点から見ると、だいぶ極端にはなりますが「多様性」を重視しない学生がいてはじめて多様性に近づけるのでは、と思います。

 

***

 

留学生として、多様性について考えたことは多かれ少なかれあるけど、個人的には他の海外大生と比べたら少ない方かもしれません。物理と哲学という、基本的に事実かそうでないかを議論する学問を学んでいるからか、キャンパス内での多様性を四六時中意識しているかと言ったら真っ赤なウソになります。

 

ただ何となく、純粋に物理とか哲学に向き合いたいという自分がいても、「ブラウン生なら多様性に関心を持つべき」という風潮そのものに押しつぶされている時があったりして。もっと、他の事しか見えていない人や、「多様性」について無関心そうな人がいても面白いのにと思っちゃったりします。もちろん、自分と違う人は見下して、差別するなんて意見は支持できませんが、「多様性について考えYO!!!!!」という考え方を押し付けるのも少し違うのではと。

 

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まず、ブラウンが公表しているデータは本当に「多様性」を表しているかって聞かれたら単純にノーだと思います。40%以上が白人という統計的な意味もありますが、例えば○%が日本人公表したところで、「日本人」にも色々あるし、いわゆるザ・日本人(の定義も人それぞれですが)が実際○%いるかって聞かれたらそうではないし、○%の中には「自分のアイデンティティーは日本人だ」と公言しない人も含まれるわけで。要は、公表するデータは何とかして数値化しないといけないし、ケースバイケースな事象を事細かに見ているとキリがないので、ブラウンのリアルな「多様性」について語っているかと聞かれたら違うと思います。

 

***

 

そもそも多様性って何なんだろう。

簡単に言えば、「みんな違って、みんな良い」ということ。なのか。

 

そもそも「良い」の基準はどうやって生まれるのか?

 

これはあくまでも個人的な持論を小学生なみのおとぎ話で例えたものですが、しばしお付き合いくださいませ。

 


 

A君は、背も高くて、運動も勉強もできて、みんなの王子様です。

 

B君は、何事も卒なくこなしながらも、特に目立つタイプではありません。

 

C君は、どちらかというとお騒がせ物で、クラスメイトのものを盗んだりします。ちょっと近づきにくいっす。

 

ある日、HR中に遠足の班分けをしなければいけなくなり、A君が女の子の間で取り合いになりました。A君+2人の女の子に落ち着いたところで、バランスを保つためにもう一人男の子を入れることになり、B君かC君かの2択でした。

 

パターン①

AB君と組もうか」

女子「えー、B君…?」

A「みんな違って、みんな良いじゃないか」

女子「…じゃあ、A君が言うなら!」

 

見事、B君が輪の中に入りましたね。

 

 

パターン②

AC君と組もうか」

女子「えー、C君…?」

A「みんな違って、みんな良いじゃないか」

女子「そうだけど…」

 

あらら。C君、輪に入り切れていないようです。

 


 

さて、ここで問題です。世間一般的に「多様性」と言われるケースはどちらでしょうか?

 

 

(個人的な)答えは、パターン①です。

A君というイニシアチブが、B君という違うジャンルの生徒を仲間に入れようと呼びかけたことによって、その班は「多様」な班になりました。

 

じゃあ、(個人的に思う)「多様性」とは何でしょう?

パターン②だけど、C君が班の一員になるというラストで締めくくる、というものです。

 

 

パターン①と②の違いって、みんなが思う「B君」と「C君」の受け入れやすさですよね。B君は輝かしい王子様ではないかもしれないけど、班に入れても仲良くできそうだから女子は承諾。その反面C君はというと、やっぱり日頃悪さをしていてあまり良い印象を持っていない分、仲間に入れるのをためらってしまう。

 

おそらく、今ブラウンにある「多様性」というのは世界中のB君しか考慮されていないものだと思います。「自分たちとは違うけど、みんな違ってみんな良い」といった感じで。でも、「違う」というより「ワルい」イメージが強いC君はいないですよね。平和が乱れますもん。

 

つまり何が言いたいかというと、キャンパス内の「多様性」というのは暗黙の了解で「社会的秩序を乱さない範囲内」で行われていると思います。もちろん、生徒の安全のため、表現の自由のためなので、常識的に考えて当たり前なのですが。でも、本当に本当に多様だったら、C君までを入れる必要があるのではないかなと。

 

でもこう書いている内に、「みなの違いを尊重して、協調し合うための多様性」なのに「真に意味での多様性」を目指したら、平和が乱れる恐れもあるので、何だか矛盾してきてしまいました。そもそも「多様性」と「平和」を安易に結び付けてはいけないのでしょうか?

 

***

 

ちなみにですが、A君がクラスの王子様的な存在であることにも少し意味があります。「A君=『多様性推進組』」です。

王子様キャラって、クラスに一人、あるいは学年に一人はいますよね?もしかすると学校に一人かもしれませんが。要はコミュニティに王子様キャラって生まれやすいのがポイント。でも例えば、A君がいるところに山崎賢人(賛否両論あるかと思いますが、これはあくまでも一般論ですよ!)が転入してきたら、王子様の座は彼のものになるでしょう。逆に、A君が初めからその学校にいなかったとしても、代わりになる王子様キャラがいたはずです。

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(「多様性」と聞いて、国連に行った時に見たこの絵を思い出しました)

こう言った感じで、あるコミュニティの中では多様性を強く推進する人々がいる中、彼らは周囲の状況によって「多様度」が変わってきます。冒頭にも言ったように、私よりもっと深く、そして頻繁に多様性について考え、行動している人はブラウンに沢山います。でもブラウンの外にある一部のコミュニティの中では、私が一番「多様性」に対して積極的なところもあると思います(自分で言うのも何ですが)。どんな仕事場に行っても、必ず「誰よりも頑張っている人」っていますよね?そしてそれらの人々をまた一つの会社にまとめたとしても、「誰よりも頑張っている人」が出てくるのと少し似ています。

 

つまり。「多様性」とは、A君もB君もC君もみな同じ班になることであり、ブラウンに必要かどうかというよりは、ブラウンが大学としてこのような意味での「多様性」を実行するべき場所であるのかどうかによるかと思います。

 

***

 

 

というわけで、だいぶあっち行ったりこっち行ったりしましたが、お付き合いいただきありがとうございました(苦笑)

 

また来週!

 

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贅沢な悩み

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最近悩むことが多い。

 

生活には何の不自由もない。今の生活以上に充実した生活はほとんどないと言っていいほどに。毎週観光を楽しみ、中国についてのプレゼンを聴き、時には中国の文化に触れるイベントに参加したり。中国語のレベルも大分上達してきている。

 

でも、何かが納得いかない。

 

自慢ではないが、先生に時々褒められることがある。”中国語のレベル高いね”、”発音に大きな問題は無いね” 等々。

 

そんな時は良く思う。本当にこれでいいのか?絶対にまだ上達できるはず。

その一方で、先生との個別談話を楽しみたいという欲望や、自分でも理解できない変な”自分は中国語が上手い”というプライドが脳裏から離れない。

 

時々先輩方のブラ熊の記事を読んでみて思う。

 

自分はどんだけこの人たちに比べて無知で無能なんだろう。自分の考えはいつも浅すぎる。しかし記事の質を上げようにも日常での洞察力、分析力が無さすぎる。そこからドミノ倒しに就職やこれからの自分の人生の意義等についてマイナス思考で考えてしまう。昔からマイナス思考は嫌いなので、思考回路を止める。すると結局考え始めたときと状況は変わらないまま。

 

理想と短期的欲望が常に葛藤する毎日。

 

先週末、大分衰えた日本語で刺激とマンネリが共存する毎日の矛盾を打ち明けた。そうしたらこう言われた。

 

贅沢

 

確かに贅沢な悩みだ。食べることがやっとな人々がいるこの世の中で、自国で終わりの見えない内線が続いている人々がいるこの世の中で、悠々と中国語や中国の文化を勉強しながら暮らせるのはもの凄く贅沢だ。もの凄く幸せな暮らしだ。

 

しかし、いくら頭でこう考えても体が全く幸福を感じてくれない。先生や友達と喋っている間は笑ってられて楽しい。観光スポットに行くとおおー!と感動する。

 

でも全て一瞬で終わる。

 

昔は一度幸福感に包まれるとそれが体中に染みわたり、満足感が得られていた。しかし今は一瞬で幸福感は消えてしまう。

 

自分が甘すぎるのか?あまりにも生活が充実しすぎているせいか?しかしまだまだ上達できるのに。まだまだやるべき事、やりたい事はあるのに。

 

何だか単なる目標や理想や行動力が足りない学生の愚痴的なものになってしまいましたが。。。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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不寛容社会と自分

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お久しぶりです。巴基です。

 

現在成田空港でこの記事を書いています。何故かと言うと、今日から北京での2ヵ月間の留学が始まるからです。プログラムでは中国語しかしゃべれないので、このサイトにアクセスすることが出来れば日本語の維持を兼ねて来週からはまた毎週記事を書きたいと思っています。

 

来週からは忙しくなりますが、ここ1ヵ月は甲府にある祖母の家でのんびりと暮らしていました。ネットが家にないおかげで色々と不便でしたが、ある意味ネットと縁を切ることによってメールやメッセージをチェックする時間がなくなったので、その分ブラウンでは忙しくてなかなか出来ていなかったことが色々と出来て充実していました。

 

上高地経由で北陸旅行に行った時の写真 :

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上高地の河童橋

 

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千里浜なぎさドライブウェイ

 

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白川郷

 

本当によく疲れが取れました(笑)

 

そんな中ブラウンでできていなかったことの一つがテレビでニュースを見ること。ストーカー事件や舛添都知事の辞職、参議院選挙に向ける動き。ニュースを見るにつれ、少しずつまた違った視点で日本を見つめなおすことが出来ました。

 

 

そんな中、一番興味を持ったのが、“不寛容”という言葉。意味は前から知っていましたが、日本社会に当てはめて議論されているのを見て驚きました。“日本って前からこんな事あった?”と考えさせられました。

 

そうして改めて考えてみると、個人的には日本社会は不寛容になったというよりも、日本人の多くが社会のルールではなく自分のルールで動くようになったと感じています。車が制限速度をはるかに上回る速度で走っていたり、横断歩道がすぐそこにあるにも関わらず無いところで大通りを渡ったりと些細な事から、ツイッターで勝手に自分の妄想を膨らまして挙句の果てに人を刺したりと重大な事まで。もちろん悪い方向ばかりに変わっている訳では無いのだけど、なんだか最近日本は良くも悪くも変わってしまった感じがする。

 

そんな中、テレビに向かって“この人バカだねー”とか“何を考えているんだろう”と言ったりすると、ふと思う。自分は身勝手じゃないといえるのか?自分はこの画面の向こうの人を批判する資格はあるのか?相手の立場に立って物事を考えられているのか?

 

 

うっかりしていると世界が自分の価値観というフィルターを通してしか見れなくなる。みんなが自分のフィルター越しに世界を見た結果が“不寛容社会”なのだろうか。結局どうすればジャポニカ学習帳の表紙に昆虫を取り戻せるのか。どうすればインターネットでの度重なる“炎上”を止められるのか。自分の意見だけ言って人の話を全く聞かないという事がネット上ではよくあるみたいですが、どうすれば人は一度落ち着いて自分と異なる意見を聞き、それについて考える力を持てるのか。

 

何だかあまりまとまっていない気がしますが^_^; とにかく色々と現代社会について考えさせられた1ヵ月でした。

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帰り道、思う事

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大学一年目が終わりました。

夏の夕暮れ、手持ちの壊れた大型のスーツケースと不安を抱えてブラウンに到着した8ヶ月前の私からどれぐらい成長できたのだろうか?

 

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ボストン空港のTerminal E

 

“How was your freshman year?”

(大学一年目、どうだった?)

 

先輩から聞かれる。

 

一年を振り返る時“あーもう一年か。あっと言う間だった!”と言う人が多いですが、私は良い意味で大学一年目は長く感じたというか、それ相応の時間が過ぎた気がします。時間を最大限に有効活用できた訳でもありませんが、とにかく充実していました。

 

秋学期は自分の大学での居場所を捜し求めて必死だった分、春学期のほうがもっとブラウンに根付けて落ち着いてた、というか楽しかったです。一向に治らないニキビにやっぱり増える体重、昼寝が欠かせない日々にあまり進歩の感じられないフランス語。上級生ばかりの授業に下手になった気がする発言のスキル。誰に打ち明けるべきか分からずに、結局日記に書き込んだ考え事や悩み事。気づけば家族への大学生活についての報告はこのブログだけになっていた。思えばストレスも多かったですが、これ程ストレスを感じられるほど、いろんな刺激があったと言えば良いのでしょか。

冬に帰国した時はまだ自分が大学生活で達成したことが無く感じて、正直“大学で何しているの?”という質問を恐れていました。しかし、今回はいろいろ話せそうです。

 

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ピザはいろんなイベントで出てくるので本当に飽きてしまいますが、寮の下の食堂のビザは結構おいしい。せっかくなので最後にお昼に食べましたが、帰国したらしばらくピザは食べたくない…。

 

“Why did you decide to study in the US?”

(何でアメリカで勉強しようと思ったの?)

 

アメリカ人の友達から聞かれる。

あれ、何でだっけ?この質問はいつも私を原点に戻してくれます。

“リベラルアーツ教育に魅力を感じたから”

やっぱりこれが一番の理由です。

 

みなさんもう既にご存知かもしれませんが、リベラルアーツ教育とは日本語に訳すと一般教養。良く言われるのはリベラルアーツはT字型教育で、まずは幅広くいろんな分野を学んで、それから何か興味のある分野を見つけて掘り下げていく。一般的に大学では最初の二年間が教養課程で、後の二年が専門分野、という形になります。

 

大学一年目はそれこそ一番いろんな分野のお試し期間。理想としては自分が将来何をするかとかに関係無く、とにかく薄く広く学問を探検(?)する時間。思えば今までは“受験に向けて”や“最終試験に向けて”というはっきりした目標を持って勉強をしてきましたが、この一年はまずはその目標を見つけるための期間でした。ある意味はっきりした目標が無いと何に向かって学んでいるのかわからなくなって戸惑うことも多かったです。

気づけばこの一年私はフランス語、人類学、演劇、宗教学、教育学、美術、認知科学と7つの学部の授業を受けました。これはやっぱりリベラルアーツだからこそできたことでしょうか?正直日本の大学がどうなのかわからないので比べることはできませんが、リベラルアーツの仕組みを有効活用できたと思っています。

いろんな学部から授業をとると、面白いことに違う分野の間にもいろんな繋がりがあることに気がつきます。私はこの分野間の繋がりがとっても面白いと思います。高校に入ったとき“学ぶって楽しい”て初めて思ったのは、中学まで習ってきた教科がそれぞれ独立している訳では無く、一見関係無い科目にも関係があるって気づいた時です。例えば科学で習った化学式が家庭科の栄養素の勉強で出てきたり。こうやって自分の学んできた知識という点と点が繋がって、お互いを強めて、実世界と繋がって、世界の見え方がちょっと変わる、こんな経験が大学では更に多くなりました。

今まで学んだ知識を現実の世界と照らし合わせて考えて、社会に出た時に良い判断ができるように準備する。大学ってそんな機関なのでしょうか?

 

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一年お世話になった部屋も、空っぽに。もうここには戻って来ないのかと思うとなんか不思議な感じです。

 

今年一番面白かったのはやっぱり教育学の授業。今まで“人”に興味があるから人類学を専攻しようと思っていたけれど、教育学の授業を受けて、私は人類学みたいに人の文化や社会の発展よりも、もっと“人”自身の発達に興味があったんだと気がつきました。また、今まで自分が受けてきた教育や、将来自分に子供ができたときにどんな教育を受けさせるべきかとかいろいろ考えさせられました。

“理想の教育が受けられると思うから”

こういう理由で留学を選んだ私。しかし一体“理想の教育”とは何なのだろう?

 

教育において、親が教育にどのような価値を置くかが子供の達成度を大きく左右するそうです。私は親に“勉強しなさい”と言われたことはほとんど無いし、両親はそんなとっても教育熱心だと思ったことは無い。でも思えば父が良く言う言葉がいつも私に教育を受ける大切さを伝えてきてくれた気がします。

“勉強しすぎて死んだ人はいない”

 

大学一年目を振り返ると見せかけて、なんか本当に繋がりの無い話のブログになってしまいましたね。帰り道、深夜の空港で思ったことをつらつら書いたのでお許しください。

 

夏休みは大学生活から離れますが、引き続き毎週ブログを書き続けたいと思います。私の大学一年目をブログを通して見守りくださりありがとうございました。そして今後ともよろしくお願いいたします!

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上達への道は皆同じ

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ご無沙汰してしまっています。。。巴基です。

ここのところ忙しく大変ですが、元気に毎日を過ごしています。

 

おとといの日曜日、合気道4級の試験を受け合格しました!他にも4人ほど5級の試験を受けましたが、試験を見ていて初めて”先輩ってこういう気分なんだなー”と自分で勝手に納得していました(笑)

 

ピアノ、合気道、スマブラ。

 

この3つの趣味で腕が徐々に上がるにつれ、なんとなく上達への共通点が見えてきた気がします。そこで今回は個人的な上達への近道について書きたいと思います。

 

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1.練習は目標をもって行う

これは自分で気が付いていても実行に移すのにかなりかかりました。昔からピアノの練習をするとき、僕は知らないうちに何回も何回も同じように曲を弾いていました。ダメだとはわかっていても、ほかのもっと効果的な練習は時折やるぐらいですぐにまたたらたらと練習してしまっていました。しかし、やはりリズムを意識したメトロノーム練習、メロディーを意識したパート・片手練習、曲の情景が変わるところのパート練習など、自分が出来ていないことに集中して直す練習が結局効果的だと身に染みて感じるようになりました。やはり量よりも質ですね。

 

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2.練習はできるだけ頻繁に

これはかなり常識的ですが、先週1週間ぶりにスマブラをやったら驚くほどに腕が落ちていてびっくりしました。1週間やってないだけなのにキャラクターが思うように動かない。。。(*_*;

”稽古に来る人が上達する。それだけだ。” - 合気道のクリス先生

 

3.上達を楽しむ、上達しない時はイラつかない

上達には壁がつきもの。どんなに自分では上達していないと思っていても、それは次のレベルへ行くための工程。

壁を超えるたびに思う事です。スマブラで負けてばかりいても、ピアノの音色が全然思うように響かなくても、合気道の技で先生に何度もダメ出しをくらっても。

前には進んでいる。そう自分に言い聞かせて練習を続ける。

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春休みに行った合気道道場の猫、Moochie弟子

 

4.考えられた練習、考えない本番

これにはあれっ?と思う方もいるかもしれませんね。この場合の考えないとは、「脳が無意識に考えてくれる」という事です。

どの技をすればいいのかわからない場合や技のやり方を忘れて固まっているときに、合気道の先生のクリスがよく僕たちに言うことから来ています。

 

Don’t think, just move.

考えてないで、動け。何とかしろ。

 

練習の時は上に示した通り、考えられた目標とそれに合った練習が必要です。ただ、いざ本番になったら考えてばかりいると考えていたことがすでに過ぎ去ってしまい、脳が混乱したり止まったりすることがあります(少なくとも僕は)。例えば、ピアノのコンサートで「次の音はどういう風に弾かなきゃいけないんだっけ?」とか考えていたら指が止まって頭も真っ白になって固まってしまう、という事を何度か経験していますし、スマブラをやっていて「こういう場面では自分はこういう行動をとらなければ」と考えているうちに相手は自分を攻撃してきてます。

本番では自分を信じて意識して考えるのは最小限にする。

個人的に本番で力を発揮するのに役立っている考え方です。

 

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スマブラ for Wii U 世界トップ3のDabuz選手との写真

 

いかがでしたか?なんか最後の辺は上達というよりも単なるアドバイスになってしまいましたね(^_^;)

 

ではまた来週、お互い頑張りましょう~

 

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「先生」のよいところ

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こんにちは、メイです。

 

少しずつですが暖かい日が続き、やっと(安定した)春が来たかといった次第です。

おかげさまで風邪はその後寝たらすぐ治りました。

 

早いことに来週からReading Periodに入るため、今週は各授業で最後の仕上げに入ってきています。

 

個人的には明日、人生で最後の数学の授業を受けると考えると、少し感慨深いです。前にケンタさんもおっしゃっていましたが、もう受けないと考えると嫌いな科目でも少し恋しくなるものですね。ですが、さすがに数学について語る気力は今夜ないので、また別の機会に振り返りたいと思います。

 

先週、夏目漱石の「こころ」に書かれていた「若者ならではの淋しさ」についてお話しましたが、意外にも早い段階で、その「淋しさ」の原因が明らかになってしまいました。

 

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「目的物がないから動くのです。」

「あなたは物足りない結果私の所に動いてきたじゃありませんか」

「恋に上る階段なんです。」

 

あまりネタバレをせずに話そうと思います。

 

この場面は、若者が公共の場でいちゃつくカップルを冷やかしたところ、「先生」が彼にかけた言葉です。要するに、恋愛をしていない、正確にはその対象を見つけられていないから、若者は淋しいということらしいです。

 

うおーい、恋愛かーいって一瞬思った自分がいましたが、よくよく考えると「先生」に対する若者の憧れが繊細かつ、絶妙なニュアンスで書かれていると思います。

 

この本の中の「先生」は、はじめ割としっかりとした大人かと思いきや、少しずつ彼の弱みが明らかになっていきます。ですが、その分若者は「先生」という存在に執着していくようです。

 

完璧な人などいないけど、人は完璧でないからこそ美しい。

 

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「私」という若者は、そういう心持で「先生」を見つめています。実際、誰かに憧れたり、興味を持ったりするのも、その人が完璧だと思われたちょうどその時に、人間らしい弱みが垣間見える時から芽生えるものだと思いますし。

 

「先生」はあんなに凄いのに何故世に出ようとはしないのだろう、という若者の感情も、下手をすればただのお節介かもしれませんが、そういう目で憧れの対象を見て初めて、その人を「人」として認識するものなのかな、と今考えたりしています。

 

ちなみにですが、偶然読み終えたピース又吉の「火花」もそのような要素がたくさんありました。もし興味のある方はぜひ!おススメです。

 

完全に小学生の読書感想文みたいになってしまいましたが、要するに「若者の淋しさ」は果たして恋愛だけによるものなのか、それとも夢中になれる何かが不足していることなのか、気になりながら「こころ」を読み進めていきたいと思います。

 

その前に試験勉強ですが、とほほ。

 

それではまた来週!

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若さは淋しい

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こんにちは、(二週間ぶりの)メイです。

 

ここ最近テストやら課題やら…と言い訳はここまでにして、本題に入ります。

(先週は投稿できず、申し訳ないです。)

 

この前、勉強終わりに図書館の邦書コーナーをふらっと見て回った時、たまたま夏目漱石の「こころ」が目に入りました。

 

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だいぶ、ボロボロです。

 

私が日本で通っていた高校では二年生の夏の課題で必ず「こころ」が課題図書として出されるらしいですが、ちょうど自分は留学していた時期なので、読みそびれてしまいました。あれから何度も何度も読もうかと思っていたのですが、まさかこんな身近なところに置いてあっただなんて。

 

「若いうち程淋しいものはありません。」

 

「私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動いて何かに打つかりたいのでしょう。」

 

まだ数十ページしか読んでいないので、この分の真意は定かではないのですが、なんだか読んでいてグッときました。

 

というのも、何で若い時が淋しいと表現するのだろうかと。

 

長い年月をかけて人間関係を築き上げてないから?

人生経験が浅いから?

知識量が少ないから?

 

どれもこれも、客観的に見てみないと分からなさそうです。でも確かに、とにかく動いていたいという衝動にはとても駆られるのは事実です。色んな人に会って、場所に行き、新しい体験をする。それ自体が何か悪いというわけではないのですが、言われてみれば落ち着きがなくも聞こえます。

 

前にもブログで紹介しましたが、日本にいた際によく通う本屋さんで、ある日おじいさんが一人で俳句コーナーに佇んでいたことがありました。その何気ない光景でも、わたしにとっては年齢的カルチャーショックでした。あんなに静かに、穏やかに、一つの事を全うしているにもかかわらず、経験と知識の広さが垣間見えるような人がいるのだと。

 

その広さ、自分にはまだまだ無いなと思いました。

 

ああ。これが「淋しさ」の原因か、と思いながら本を読み続けています。この本、課題図書としてでもいいから高校生の時に出会いたかったな。

 

ごめんなさい、少し風邪気味なので今週はここまでにして、言い逃げします。

 

それではまた来週!

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今への感謝

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こんにちは、巴基です。

何だか最近雨が多く、毎日日本の梅雨を彷彿とさせる湿気を感じます。一応暖かくはなっているんですけど。。。

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じめー

 

先日ブラウンに見学に来たアメリカの高校3年の方と家族を音楽部の建物の中を案内したり質問に答えたりしました。

 

1-2時間ほどしてお別れを告げた後、道を歩きながら自分が答えた質問を振り返ってみる。そのうちの一つが:

 

ブラウン大学に来て良かったと思いますか?

 

この質問を聞かれたときに改めて思った。

本当にこの大学に受かってよかった。来てよかった。

 

友達が一般教養の授業を取っている間僕はこうして好きな授業を取っている。自分の専攻とは全く関係ない日本語の翻訳の授業も取れる。好きなピアノを出来ているし、中国語も学べるし、日本語で話す相手がいっぱいいるし、課外活動も充実している。特にピアノは毎日最高級のグランドピアノで練習できている。

 

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西海岸と違って四季もある!

 

僕は第一志望のYaleに受かっていたら今ほど充実した生活を送っていられたのだろうか。東海岸に来ないで西海岸にとどまっていたら自分はどう変わっていただろう。それとも高校生の時の僕からほとんど変わらなかっただろうか。

 

もちろんYaleや西海岸をけがしているわけではない。これはあくまでも僕の個人的な意見。しかし、こうして考えていると思う。

 

受験では自分が大学を選ぶと思われがちだが、最終的には大学が自分を選んでくれる。

 

これは特にブラウン大学の合格生・卒業生のパーティーに出席したときに感じた。他の人と話していくうちに、自分と雰囲気が似ている人が多いことに気が付いた。普段は控えめでも話していくうちに段々と積極的になっていく。そんな印象を感じた。

 

もちろん全員がこういう人なわけではない。ただ、いつもよりも場に溶け込める感じがした。大学が多様性を強調していても、やはりその大学に独特な色があることは変わらない。

 

こうして考えていると色々なことに感謝を覚える。来年の寮が今ほどは良くない場所に決まった今日、自分の部屋をゆっくりと見渡してみる。

 

来年はここじゃないんだな。

 

Andrewsでアジア系の料理を食べていてふと思う。

 

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ピリ辛エビ炒め

 

おととしまでの生徒はこれを食べれなかったんだな。

 

ついつい当たり前のように感じてしまう事でも、やはり感謝の気持ちを忘れてはならない。

 

 

 

何だかまとまりのない記事ですが^_^;

 

そろそろ宿題に戻りますかね。

ブラウンで学べることに感謝し、学ぶことの楽しさを思い出しながら。

 

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誕生日を祝うワケ。

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こんにちは、メイです。

運動不足のせいで脚を盛大につりました。ズキズキ。

 

いきなりですが、誕生日って良いですよね。

偶然にも私の知り合いには3月生まれが多いみたいで、ここ最近毎日のようにFacebookで「友達が今日バースデーよ」の通知が来ている気がします。

 

ちなみに昨日はルームメートの誕生日でした。

 

少し前から集めていた寮のみんなからのバースデーメッセージと、準備していたプレゼントを彼女が寝ている間に机の上に置き、学校から帰った後は二人でバースデーディナーたるものを食べてきました。

 

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ささやかだけど、私からのお祝い。

 

普段、祝日にはわりとうとい方で、特にアメリカに来てからは日本の祝日がいつだとかアメリカで祝うイベントが何だとかごちゃ混ぜになり、何かを祝う事自体あまりしなくなってしまいましたが、誕生日を祝う事は好きです。

 

というのも、その日誕生日である友人や家族が自分にとって大切な存在であるということもあるのですが、それよりも誕生日はその人が生まれてきた日を祝うのと同時に、今までその人を支えてきた、関わってきた周りの人のことをお祝いすることでもあるところに私はちょっぴり魅力を感じます。

 

よくドラマでも、「君が生まれてきてくれたことに乾杯☆」というキザなセリフを耳にしますが、

何だか少し分かる気がします。クリスマスとか海の日とかと違って、個人個人のお祝いだから、祝う方も祝われる方も互いの「存在」を意識する日なのかな、って思うのです。

 

自分の今までの誕生日を振り返ってみれば、どの歳に何をしてもらって、どんなプレゼントをもらったかというよりも、誰と一緒にその時間を過ごしたかの方が鮮明に覚えています。

 

物心ついた頃から、毎年母の手作りケーキを真ん中に家族全員で食卓を囲んだり。

小学生の時に、初めて友達を家に招いてお祝いすることにドキドキしたり。

中学では部活仲間に囲まれ、泣きながらお祝いしたり。

高校では試験期間中で誕生日どころじゃないという時に、家族からのカードに書いてあった「おめでとう」の一言が心の支えになったり。

 

来年は誰と、どんな思い出を刻むのだろう。

 

もしかすると傍にいる人が違って、毎年恒例のものが来年は急にしなくなっているのかもしれない。

そんな「時間の儚さ」を感じ、切ない気持ちを憶えるようになったのも、また一つ歳を取ったからなのかな、と考える。

 

毎年来る誕生日だけど、毎年違う誕生日。

 

誰かが私の記憶にいるように、私もその人に記憶に少しでもいたい。

めでたいから祝う、というのはただの言い訳で、本当は自分の事を忘れてほしくない、少しでも憶えていてほしいという一心で、「お誕生日おめでとう」を言っている自分がいるのかもしれない。

 

年を取った分だけ、誰かを記憶に刻み、自分も誰かの記憶に刻まれる。

 

誕生日って、いいですよねえ。

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eSports:僕の趣味、他人の仕事

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こんにちは、巴基です。

 

先日夜中の12時半にAMP(個人レッスンプログラム)専用のスタジオへピアノの練習をしに行ったらまさかの3部屋すべて使われていました。。。仕方なくブラウン学生だれでも使える場所に行きましたがさすがにそんな遅い時間に練習する人が僕以外にいるとは(笑)

 

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やはり選べるなら絶対にこのピアノで練習しますよね。

 


 

 

先日、日本の”マツコ会議”というテレビ番組にプロゲーマーのシェアハウスが特集されました。その中でスマブラ for Wii Uのプロ、にえとのさんがマツコさんとストリートファイターVで対戦したらしいです。

 

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という訳で今日は僕の趣味の一つのスマブラについて。

 

個人的に初めてスマブラをしたのは日本でいとこに会った時。当時は適当にWii コントローラーでボタン押しまくってたっけ。

 

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Wii U版の発売とともに大会が開かれなくなったスマブラX。このゲームではちなみにマルスをよく使っていました。

 

いとことスマブラをやって、アメリカに帰ってきたときに思った。

 

”強くなりたい。”

 

今までにない、強い思い。まるで母から引き継いだ負けず嫌いが起こされたようだった。

 

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うちでよく盛り上がるボードゲームのParcheesi。バックギャモンに少し似ている。

 

それから少しづつYouTubeで研究(スマブラ持ってないのに)をするうちに、一つの動画にたどり着いた。それはプロレベルの試合だった。

 

自分の使うキャラクターロゼッタ&チコ で一番上手な選手と世界最強の選手の試合。ちなみにロゼッタの事を”ピーチじゃん”と言われると結構腹が立ちます。。。

 

見たことのない動きに魅了され、大会が存在することを知りますます勝ちたいという願望が増えていった。(スマブラまだ持ってないのに)

 

そんな矢先に新しいスマブラ for 3DS/Wii U(以下スマブラ4)の発売。この時僕は高校4年生になったばかり。友達と昼飯を食べながら3DSでスマブラをするのが日課になっていった(持っていないので友達のを借りて)。

 

そして去年の2月、初めてスマブラの大会に参加することに(スマブラ持っていな(以下省略 )。親に片道1時間もかかるところに車で送って行ってもらったことに感謝。

 

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ちなみにこれ人の家です(笑)

 

結果は何とか1勝をもぎ取って終わり。今その時の自分のプレイを見ると下手くそで笑うしかないけど、それだけ上達したという事なのかな。この大会の後ますます大会に参加して上達したくなったが、何しろ大会がすべて遠いので行けない。

 

6月に高校を無事卒業。9月からブラウン大学に住むことになり、

”ロードアイランドなんて小さな州にスマブラの大会開催しているところなんてないよなー”と思っていたら以外にもスマブラ4の大会が毎週開催されていることを知り感激。大学で忙しいのでしょっちゅうはいけないが、何回かは行っている。

 

去年12月の大会にて自分が対戦している動画 のプレイリスト

 

ここまで読んでくれた方は思うかもしれない。”何でこの人自分が持ってもいないビデオゲームでこんな熱心にやってるの?すごいゲーマー。。。”

ごもっとも(笑)

 

しかし、これはまだまだ序の口でにえとの選手のようなプロのゲーマーや人生をゲームに費やしている。

馬鹿じゃない?と思う人もいるかもしれないが、ビデオゲームを全体的に悪と見なす日本にはまだ最近広がり始めたばかりのコンセプトがある。

 

eSports

 

つまり、ビデオゲームをスポーツの一種としてビジネスにする動き。現在アメリカではTwitchというサイト(日本でいうニコニコのビデオゲーム専用版)で主に大会が放送されているが、最近ではアメリカのメインスポーツチャンネルESPNもゲームによっては放送しようという動きが高まっている他、Nintendoなどの主流の会社も大会のスポンサーになり始めている。

 

更に、前から特にLeague of Legendsというゲームプロのゲーマーはいましたがスマブラの選手にスポンサーが最近ついてきたことによってスマブラコミュニティでは”eSports”という言葉が流行っている。それは昔の賞金数千円の大会に比べて数十万円にまで膨れ上がった賞金、人の家での大会から大会にン万人以上観戦するほどの規模などという成長を成し遂げたスマブラというゲームの栄光。そして段々と一般社会に進出していくことへの責任感。

 

皆さんがテレビでビデオゲームの大会を見るのもそう先の未来ではないかもしれません。

 

勉強やほかの趣味、やらなければいけない事との両立をした上での上達になりますが。

 

その画面に僕が映る日が来ますように。

 

追記:ちなみに日本でもスマブラやほかのゲームの大会が結構あります。

ゲーム情報サイトも:http://esports-runner.com/

スマブラ4の情報サイト:http://esports-runner.com/ssb4/

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