divider

Archive



定食の味噌汁

/ 1 Comments

どもども。

 

今朝の人も、昼の人も、夜の人も。

お久しぶりですね。

 

空いてしまった空白の2ヶ月弱の間に起こったことを手短にまとめれば、

「日本に帰ってちょいと休んでから3つのインターンをこなして、就活なるものをぼちぼちしつつ、ブラウンに帰ってきてからはコーヒーショップの準備でてんてこ舞い」

という感じでしょうか。

 

img_7883トレーニング中のスタッフたち…

 

コーヒーショップの方は転換期に来ており、ボランティアでドリップコーヒーを提供していた以前からがらりと変わり、スタッフには給料を払い、エスプレッソドリンクを提供する本格的なお店になろうとしています。それに伴ってコーヒー以外の側面の充実をはかる戦略を練ったり、お店がずっと続いていくための組織づくりや人材育成を行わなくてはならず、先学期までもコーヒーのことだけで十分忙しかったのに、マネジメントに関わることもこなすようになったため、より忙しくなったような気がします。ただ来年の春学期の終わりまでに、サービス、組織、収支をきちんと整えられるかで、コーヒーショップが、僕を含めた創業に関わったメンバーが卒業しても続いていくお店になり得るかが左右されるので、ここが踏ん張りどころと思い頑張っていこうと思います。

 

さてさて。

 

若干マンネリ化で落ち込み気味のブログを活気づける為に始まった新企画。

本来は担当の月曜日に投稿する予定だったのですが、気づいたら土曜日になっておりました…

 

 

Processed with VSCO with c1 presetお隣の美大の美術館内に知り合いが運営するコーヒーショップ2号店がオープン

 

同じテーマに付いて日替わりで自分の意見を書くというこの企画の第一回のテーマは「多様性」

留学生になってからというもの、「グローバル」という言葉とセットで散々耳にしてきたフレーズのように思います。特に最近就活関係のイベントで企業の説明会を聞いていると、定食のご飯と味噌汁かってくらいに必ず盛り込まれています。おかずはもちろん企業によって、生姜焼きだったり鯖の味噌煮だったりするわけですが。

 

話がそれましたね笑

一応

  • ブラウンが正式に発表している学生の「多様性」に関するデータは果たして「多様性」を表しているのか?
  • そもそも「多様性」とはなんなのか?
  • その「多様性」大学に必要なのか?

 

という3点はカバーしようということだったの思うので、その順に話を進めようかと思います。

 

さて、こちらのページには、ブラウンに在籍している学生や教授に関する様々なデータが掲載されているわけですが。

結論から言いましょう。

「データで表すことの出来る多様性は、『ほぼほぼ』表せている」のではないでしょうか。

人種、肌の色、性別、出身国….

誰もがわかりやすい分類と数字で多様性を表せるデータは、ほぼ揃っていると思います。

 

Processed with VSCO with f2 preset建築の展示のようなイベントに行ったときに寄った、素敵な屋根裏部屋。

 

ただ、数字やシンプルな統計では表しにくい部分が抜け落ちているような気もします。そして数字や統計で表しにくい部分が、僕が思う真の多様性を形作る要素になっているような気がします。

 

極端な例を考えてみましょう。

 

 


ここにアンドリュー君と阿部さんという2人の高校生がいます。2人の生い立ちはこんな感じです。

 

アンドリュー君

マンハッタンのアッパーイーストサイドでうまれ育ったアメリカ人の男の子、中学高校とニューイングランドでも有数のボーディングスクールに通う。家庭も裕福で、1人っ子だったため、たっぷり愛情を注がれて育った。大学進学を控える高校3年生で、理系に強く経済学に興味がある。成績も優秀で、共通テストの点数も高い。

 

阿部さん

東京都で生まれた日本人の女の子。都内にある小中高一貫の名門女子校に通う。家庭はかなり裕福で、都内の一等地にある一軒家に住んでいる。アンドリュー君と同じく高校3年生で、アメリカの大学への進学を考えており、文化人類学を学びたいと思っている。学校の成績は極めて優秀で、英語も流暢に話すことができる。

とこんな感じ。

 

 

それではもうひとり高校生を紹介します。佐藤さんです。彼女の生い立ちはこんな感じ。

 

佐藤さん

生まれは大阪の日本人の女の子。生まれてすぐ親の都合で、エジプトに引っ越し、小学校生活をエジプトで送る。中学生の時に再度親の転勤が有り、今度は南アフリカに。南アフリカで中学校生活を送った後、日本に帰国して高校生活を送る。阿部さんと同じようにアメリカの大学への進学を考えており、文化人類学を学びたいと思っている。海外生活が長いので英語は得意だが、テストが苦手で学校の成績はあまり良くない。

 

アンドリュー君、阿部さん、佐藤さんはそれぞれ、A大学とB大学を受けました。

A大学にはアンドリュー君と阿部さんが、B大学には阿部さんと佐藤さんが合格しました。

 

各大学の合格者の中で、この3人しかあなたが知らなかったとして、あなたはどちらの大学がより多様性を重視していると思いますか?

 


 

うーん自分で考えておいてなんですが、なんとも極端な思考実験ですね笑

まあとは言うもののすこし考えてみましょう。

 

Processed with VSCO with c1 preset夏に甲武信ヶ岳という山を登りました。思っきり曇りました。

 

A大学に合格したアンドリュー君と阿部さんを比べてみましょう。

アンドリュー君はアメリカ人の男性なのに対して、阿部さんは日本人の女性。そしてアンドリュー君は理系なのに対して、阿部さんは文系。どちらも成績は優秀で、頭も良いようですが、性別、国籍、その上に専攻も違うので、A大学は多様性を重視しているのかもしれません。

 

一方でB大学に合格した阿部さんと佐藤さんを比べてみましょう。

2人とも日本人の女の子である上に、興味のある学問が同じ文化人類学なので、B大学は多様性を重視していないのでしょうか?ただよく2人を比べてみると、国籍、性別、専攻こそ同じものの、全く違う生い立ちを辿った2人であることがわかります。ということはB大学は多様性を重視しているのでしょうか?

 

Processed with VSCO with c1 preset静岡にある絶景スポット的なところに行きました。

 

結論から言うと、どちらも多様性を重視しているのではないのでしょうか。ただ重視している多様性の種類が異なっているかもしれません。

 

 

アンドリュー君と阿部さんを比べる上で、A大学が重視したのは性別や国籍などの多様性(統計的多様性と呼ぶことにします)である一方、阿部さんと佐藤さんを比べる上でB大学が重視したのは、生い立ちや彼女たちの人間形成のプロセスの多様性(物語的多様性としましょう)です。

 

それでは本当の意味での多様性とは何なのでしょうか?

正確に定義するのはとっても難しいのでしょうが、統計的多様性物語的多様性のどちらが真の多様性に近いかとなれば、恐らく物語的多様性なのでしょう。それではなぜブラウンをはじめとする多くの大学が、統計的多様性をアピールするのでしょうか?

 

Processed with VSCO with c1 preset

 

答えは簡単です。誰にでもわかりやすいからです。数字や明確な種類分けで多様性を証拠付けることができるからです。反対に物語的多様性の度合いを比較するのはほぼ不可能に近いでしょう。そして物語的多様性を手っ取り早く高める為に簡単なのは、統計的多様性を高めることです。阿部さんと佐藤さんのように、同じ国籍、同じ性別、同じ専攻の学生の間に物語的多様性が生まれる確率よりは、阿部さんとアンドリュー君のように、統計的多様性がある学生の間に物語的多様性が生まれる確率の方が高いでしょう。何千人、何万人という受験生を選考する大学にとっては、統計的多様性の向上を通して、物語的多様性を実現するのが一番合理的です。

 

Processed with VSCO with c1 preset

 

そして大学に多様性が必要か言われれば、僕は「ありすぎても困る」と思います。学生の経済的・文化的背景だけでなく、政治的・倫理的価値観が全く異なっていたら、大学という機関が成立しなくなるような気がします。もっと言えば、大学内での生活なんぞ所詮はバブルの中なわけですから、本当の多様性を謳歌したいのであれば、ウォール街に行った後にガンジス川に行けば良いわけです(もちろん例え話です)。つまり、「大学にはありすぎても困るけど、人生には沢山あるとエキサイティングなもの」だと思います。

 

とまあ、こんな感じで一応課題だった3つの質問には答えたわけですが。

 

僕個人が多様性が議論の槍玉に上がるときにいつも思うことは、「多様性を高めることが好きな人は多いけど、多様性を受け入れるのが上手い人は少ないよなあ」ということです。

まあそれは話すとまた長くなりそうなので、またの機会に笑

ということで今日はこの辺で!

^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^

クリックお願いします!

Read More
separator


【新企画】私が思う”多様性”

/ 0 Comments

どうも、柚子です!

今日は新企画の一環として、私が思う”多様性”について書かせていただきます!まだ他のメンバーの投稿は読んでいないのですが、今のところどうでしょうか?週も後半なので、みんな同じような意見ばかりでつまらなかったりして…(汗)

“今年の入学者は 米国49州から!

世界中の○○カ国から学生が!”

これらの数値は果たして『多様性』を表しているのでしょうか?

表していると思います。逆にこれが”多様性”を表せないのなら、何を持って”多様性”を表せるのでしょう?どこ出身の人が何人ずついるとか割合は理想的では無いかもしれませんが、いろんなところから来ている人がいて、”多様である”ことは確かです。

screen-shot-2016-09-18-at-9-33-31-pm

というか、そもそも『多様性』って何?

ネットで検索すると、多様性とは”幅広く性質の異なる群が存在すること”だそうです。でも”幅広い”の定義は何なのでしょう?私は多様性って絶対的なものではなく、相対的なものだと思います。だから、”これだけいろんな性質のものがあるから多様”っていう基準は無くて、”こっちに比べたらこちらの方が種類が多くて多様”としか言えないと思います。なので、私の多様性の定義は”他の群と比べて種類が多いこと”です。

例えば、1つの宗教の信仰者しかいない村Aと3つの宗教の信仰者が暮らす村Bを比べたら村Bの方が”多様性がある”と言えます。しかし村Aには幅広い世代と職業の人が暮らしていて、村Bは年配の時計職人ばかりがいます。こう見ると村Aの方も多様性があるとも言えます。更に、村A,Bは両方Z国の中にあって、Z国はみんな中流階級の白人であるとしましょう。Z国(そしてその中にある村A,B)には”多様性が無い”と言えます。

このように、どこに境界線を引いて、何を基準に比べるかによって多様か多様で無いかは変わってくると思います。

『多様性』は大学において必要なの?

違う意見を持った人に出会って、お互いを刺激し合うという意味では必要だと思います。しかし、実際はそれぞれの大学に似たような人たちが集まっていると思います。それもそのはずです。なぜならその大学にふさわしい人を、基準を設けて選んでいるから。いくら”多様性”を求めると言っても、その大学の理念に合わない人は選ばないと思います。

例えば、自分が入試で生徒を選ぶ立場になったとしましょう。この大学は環境問題に力を入れているとします。候補Aは高校で環境保護活動に参加していて、入学したら更に環境問題に積極的に取り組んでくれることが期待できます。候補Bは環境問題に取り組むどころか、地球温暖化を否定しています。入学したら周りから強い批判を受ける上、良い思想を広めるとは思えません。選べるのはどちらか一人です。この時、意見の”多様性”を求めて候補Bを選びますでしょうか?

私だったら候補Aを選びます。いくら”多様性”を求めると言っても、大学の理念とあまりにも違う意見を持つ候補Bを選んでは候補Aがかわいそうです。だって候補Aの方が大学で伸び伸び成長できて、大学から得られることが多いだろうから。確かに候補Bは大学で周りと違う意見を言うことで周囲に刺激を与えたり自らの意見が変わったりして、大学から多くのことを得られるかもしれませんが、その可能性は候補Aより低いと思います。それに、あまりにも考えが違う大学に入ったら、候補B本人も居心地が悪くて良い経験にはならないでしょう。こういう場合は”多様性”を求めるよりは、より成長が期待できる方を選ぶと思います。

大学に必要なのは”経験の多様性”だと思います。環境を意識した大学なのであれば、”多様性”を求めて地球温暖化を否定する人を見つけるのではなく、違う形で環境問題に取り組んできた人達を探すべきです。例えば、環境問題に少し興味があるけどあまり活動には参加したことの無い人、環境保護のキャンペーンを企画したことのある人、牧場で育った人、工場地帯に住んでいる人など。”環境を守ろう”という大学の基本的な理念を、こういった様々な経験を共有することで発展させられると思います。

とある概念について”こういう多様な意見がある”というのは文献を読めば学べます。それに対して”経験”は人それぞれで、だからこそ大学に集まって共有する価値があるのだと思います。

20160906_comm_convocation03

今年の入学式の様子。みんなスマホを待っているという意味では多様性は無いかも?

では、ブラウンには”多様性”はあるの?

私はあると思います。みんな心の奥にブラウンのリベラルな思想を持っていて、それがあるからこそみんなブラウンに居る訳だけれど、それぞれのしてきた経験や興味の方向は人それぞれで実に多様です。確かに”同じような考えを持つ人が多いな”と感じることはあるけれど、私が先ほど話した”経験の多様性”はあると思います。

以上です。

”多様性”という大きなテーマについて、自分の意見を文章にしてまとめるのって思ってた以上に難しいですね…。新企画、この先どう発展していくかまだはっきりしない点もありますが、読者のみなさんのご意見・ご感想お待ちしております!

^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^

クリックお願いします!

Read More
separator


「みんな違って、みんな良い」

/ 0 Comments

こんにちは、メイです。

 

今週から始まりました、新企画。

 

「多様性」についての議論ということですが、話し始める前に面白エピソードをひとつ。先週のミーティングでこの企画の話が出て、流れ的に「多様性」について話し合おうという意見が強まっていく中、断固として「多様性 is so vague」と苦い顔をするメンバーがいました(笑)誰かは内緒。

 

でも実を言うと、わたしも同感。

 

というのも、ブラウンの学生が集まって何について議論しようかと言った時に「多様性」がテーマとして出てくるのは良く言えばブラウンらしく、悪く言えばありがちかなと。

 

この観点から見ると、だいぶ極端にはなりますが「多様性」を重視しない学生がいてはじめて多様性に近づけるのでは、と思います。

 

***

 

留学生として、多様性について考えたことは多かれ少なかれあるけど、個人的には他の海外大生と比べたら少ない方かもしれません。物理と哲学という、基本的に事実かそうでないかを議論する学問を学んでいるからか、キャンパス内での多様性を四六時中意識しているかと言ったら真っ赤なウソになります。

 

ただ何となく、純粋に物理とか哲学に向き合いたいという自分がいても、「ブラウン生なら多様性に関心を持つべき」という風潮そのものに押しつぶされている時があったりして。もっと、他の事しか見えていない人や、「多様性」について無関心そうな人がいても面白いのにと思っちゃったりします。もちろん、自分と違う人は見下して、差別するなんて意見は支持できませんが、「多様性について考えYO!!!!!」という考え方を押し付けるのも少し違うのではと。

 

9281

Photo

 

まず、ブラウンが公表しているデータは本当に「多様性」を表しているかって聞かれたら単純にノーだと思います。40%以上が白人という統計的な意味もありますが、例えば○%が日本人公表したところで、「日本人」にも色々あるし、いわゆるザ・日本人(の定義も人それぞれですが)が実際○%いるかって聞かれたらそうではないし、○%の中には「自分のアイデンティティーは日本人だ」と公言しない人も含まれるわけで。要は、公表するデータは何とかして数値化しないといけないし、ケースバイケースな事象を事細かに見ているとキリがないので、ブラウンのリアルな「多様性」について語っているかと聞かれたら違うと思います。

 

***

 

そもそも多様性って何なんだろう。

簡単に言えば、「みんな違って、みんな良い」ということ。なのか。

 

そもそも「良い」の基準はどうやって生まれるのか?

 

これはあくまでも個人的な持論を小学生なみのおとぎ話で例えたものですが、しばしお付き合いくださいませ。

 


 

A君は、背も高くて、運動も勉強もできて、みんなの王子様です。

 

B君は、何事も卒なくこなしながらも、特に目立つタイプではありません。

 

C君は、どちらかというとお騒がせ物で、クラスメイトのものを盗んだりします。ちょっと近づきにくいっす。

 

ある日、HR中に遠足の班分けをしなければいけなくなり、A君が女の子の間で取り合いになりました。A君+2人の女の子に落ち着いたところで、バランスを保つためにもう一人男の子を入れることになり、B君かC君かの2択でした。

 

パターン①

AB君と組もうか」

女子「えー、B君…?」

A「みんな違って、みんな良いじゃないか」

女子「…じゃあ、A君が言うなら!」

 

見事、B君が輪の中に入りましたね。

 

 

パターン②

AC君と組もうか」

女子「えー、C君…?」

A「みんな違って、みんな良いじゃないか」

女子「そうだけど…」

 

あらら。C君、輪に入り切れていないようです。

 


 

さて、ここで問題です。世間一般的に「多様性」と言われるケースはどちらでしょうか?

 

 

(個人的な)答えは、パターン①です。

A君というイニシアチブが、B君という違うジャンルの生徒を仲間に入れようと呼びかけたことによって、その班は「多様」な班になりました。

 

じゃあ、(個人的に思う)「多様性」とは何でしょう?

パターン②だけど、C君が班の一員になるというラストで締めくくる、というものです。

 

 

パターン①と②の違いって、みんなが思う「B君」と「C君」の受け入れやすさですよね。B君は輝かしい王子様ではないかもしれないけど、班に入れても仲良くできそうだから女子は承諾。その反面C君はというと、やっぱり日頃悪さをしていてあまり良い印象を持っていない分、仲間に入れるのをためらってしまう。

 

おそらく、今ブラウンにある「多様性」というのは世界中のB君しか考慮されていないものだと思います。「自分たちとは違うけど、みんな違ってみんな良い」といった感じで。でも、「違う」というより「ワルい」イメージが強いC君はいないですよね。平和が乱れますもん。

 

つまり何が言いたいかというと、キャンパス内の「多様性」というのは暗黙の了解で「社会的秩序を乱さない範囲内」で行われていると思います。もちろん、生徒の安全のため、表現の自由のためなので、常識的に考えて当たり前なのですが。でも、本当に本当に多様だったら、C君までを入れる必要があるのではないかなと。

 

でもこう書いている内に、「みなの違いを尊重して、協調し合うための多様性」なのに「真に意味での多様性」を目指したら、平和が乱れる恐れもあるので、何だか矛盾してきてしまいました。そもそも「多様性」と「平和」を安易に結び付けてはいけないのでしょうか?

 

***

 

ちなみにですが、A君がクラスの王子様的な存在であることにも少し意味があります。「A君=『多様性推進組』」です。

王子様キャラって、クラスに一人、あるいは学年に一人はいますよね?もしかすると学校に一人かもしれませんが。要はコミュニティに王子様キャラって生まれやすいのがポイント。でも例えば、A君がいるところに山崎賢人(賛否両論あるかと思いますが、これはあくまでも一般論ですよ!)が転入してきたら、王子様の座は彼のものになるでしょう。逆に、A君が初めからその学校にいなかったとしても、代わりになる王子様キャラがいたはずです。

9282

(「多様性」と聞いて、国連に行った時に見たこの絵を思い出しました)

こう言った感じで、あるコミュニティの中では多様性を強く推進する人々がいる中、彼らは周囲の状況によって「多様度」が変わってきます。冒頭にも言ったように、私よりもっと深く、そして頻繁に多様性について考え、行動している人はブラウンに沢山います。でもブラウンの外にある一部のコミュニティの中では、私が一番「多様性」に対して積極的なところもあると思います(自分で言うのも何ですが)。どんな仕事場に行っても、必ず「誰よりも頑張っている人」っていますよね?そしてそれらの人々をまた一つの会社にまとめたとしても、「誰よりも頑張っている人」が出てくるのと少し似ています。

 

つまり。「多様性」とは、A君もB君もC君もみな同じ班になることであり、ブラウンに必要かどうかというよりは、ブラウンが大学としてこのような意味での「多様性」を実行するべき場所であるのかどうかによるかと思います。

 

***

 

 

というわけで、だいぶあっち行ったりこっち行ったりしましたが、お付き合いいただきありがとうございました(苦笑)

 

また来週!

 

^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^

クリックお願いします!

Read More
separator


多様性は氷山

/ 1 Comments

昔、英語の授業で先生が言った。

 

ヘミングウェイの本は文章はシンプルだけど意味は奥深い。彼のスタイルは氷山の様なもの。見える部分よりもむしろ見えない部分に意味がある。

 

 

多様性もそうだと思う。みんな何となく意味を理解していて”いい事だ”と納得しているが、実際のところどうなのだろうか。結局多様性の何がいいのか。

 

実は先日某コンサルティング会社の人事部の方がこの”多様性”という言葉を使って会社を説明していたのですが、そこで”多様性”とはその会社の方たちにとってどういうものなのかお尋ねしたところ、帰ってきた答えが”人種”や”出身”といった答えばかりでした。

 

うーん。何だかしっくりこない。多様性という言葉がまるでそこらじゅうで適当に使われているよう。

 

僕の思う多様性は、大学や会社にあるだけでは意味を成さない

 

そもそも何故多様性を求めなければならないのか?大学受験の時なんかは聞きあきてもう多様性という言葉に反応もしなくなった。どうしてこうも大学や会社はこの言葉を使いたがるのか?

これはあくまで個人的な推察ですが、大学が多様性を推しているのは多様性を重視するのもありますが、むしろ平等である事をアピールしたいから。

 

イメージダウンにつながる可能性がある事は排除しなければいけない。アメリカの大学で自由・平等が重視されない大学は生徒が行きたくなくなる。そうすれば優秀な学生も受けてくれない。そうなったらライバル校に差をつけられてしまう。そういう隠れた動機が色々と潜んでいる気がします(あくまで個人的な感覚ですが)。

 

では個人にとって多様性とはどんなもので何をもたらしてくれるのか。

僕にとって多様性そのものは重要ではない。なぜなら、結局友達の大多数は結局自分とある程度似ている人になってくるから。

 

それよりも大事なのは自分の多様性。

 

他の人の意見を理解できる能力。物事を客観的に見れる能力。世界は広いんだという認識。違いを受け入られる心の広さ。多様性が重要な理由は、単に色々な背景を持った人との交流が出来る事ではなく、いかに他人と理解しあえるかだと思う。この理解力を得るための場所として初めて多様性のある場所が活きてくる気がする。

 

皆さんがこの多様性という名の氷山の奥深くを探索したとき、出てくる答えは違うかもしれません。ただ、僕はそこで”理解力”というものを見つけた。多様性があるだけでは足りない。最終的には多様性の価値は自分で生み出すものだと思っています。

^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^

クリックお願いします!

Read More
separator


UNOのルールは”uno”(一つ)でない

/ 0 Comments

どうも、最近ラグビーを始めた柚子です!

早速、週三回の朝の筋トレに励んでおります。そして今日は初めての外での練習に参加して来ました!

昨日の午後からの荒れた天気の影響で、フィールドはドロドロ。おまけに昼間は快適だった天気も風と共に変わり始め、途中雨が降り出してきて寒かったですが、ボールに触れたり走ったり、楽しかったです。

天気のこともあって1時間ちょっとの練習でしたが、泥まみれになりました。なんと下着にまで泥が付きました。新品のスパイクもこの通り。

 

DSC07274

これでも泥少し落としたんですよ!

 

さて、先日のLong weekendは毎晩友達と食事に行ったりしてキャンパスで楽しく過ごしました。今日はその中でも土曜日の出来事について書きたいと思います。

 

***

土曜の朝。ルームメイトは家に帰ったので一人の部屋で起床。

”やばい。この四日間何も予定立ててない。一人ぼっち引きこもり生活はやだ!”

と思って何人かの友達にメッセージを送り始める。

一緒に週末を過ごせそうな友達を数人見つけ、”自分に友達がいる”という事を確認できて一安心。

効率の悪いグループチャットでの会話の末、今夜は寮の友達と6人で食事に行くことに。

 

午後8時、寮の一階で集合。メンバーは以下の通り。

 

J君:音楽専攻予定でNY出身。日本語が話せる。

P君:インド人だが今は確かクウェートに住んでいる。K-POPが好き。

Kちゃん:インド出身で演劇が好き。髪の毛の先端を去年は青、今年はピンクに染めている。

Mちゃん:コスタリカ出身。ポケットが無いことを理由にいつも彼女のスマホをなぜかP君が持っている。

Q君:カナダ出身。ニュースが好きで、ラテン語を始めいろんな言語が話せる。

+私

DSC07233

お店の店員は何枚か写真撮ってくれたのですが、どれも若干ぼやけてる…。でも店員さん、ありがとうございます。

 

みんなそれぞれ出身などが全く違う、なんとも多様性に溢れたグループ。みんなでインド料理を食べました。

会計は6人で割り勘。それもやり方がすごい。日本だと”割り勘”というと現金しか思い浮かびませんが、これがカードでできてしまう。6枚のカードを勘定に挟んで店員に渡すと、何も言わなくとも店員はそれぞれのカードに1/6の代金を精算してくれるんです!そもそもカードが自分の目の見えないところに持ってかれること自体私は不安になってしまうのですが、カードを一度に6枚も渡すなんて斬新なやり方に驚きました。

 

食事の後、Q君は帰宅、残りの5人はP君の部屋でUNOをすることに。

 

uno

 

みなさんUNOはご存知ですか?そう、あの一人7枚カードを持って、真ん中のカードと同じ色または数字のカードを出していき、手持ちのカードが一枚になったときに”UNO!”と叫ぶゲーム。実に単純なゲームですよね。世界中で遊ばれているゲームだし、国際色豊かな私たち5人でも、もちろんみんな知っていました。

だからルールの確認なんて必要ない、と思ったら大間違い!

 

私が色は違うけれど同じ数字のカードを数枚重ねて出すと…

他4人”何それ!カードは一枚ずつ出すんだよ!それに色も違うし!”

自分の番では無いのに、真ん中のカードと全く同じカードを突然出すJ君。

カードを2枚持っているのに気づかず、誤ってKちゃんに対して”UNOと言って無い!”と言ってしまった私に対し、”間違えた罰としてカードを引きな!”と言うP君。

”UNO”といい忘れた罰として引くカードの枚数は7枚派と2枚派に分かれる。

数字ではなく、リバースという数字以外のカードで終わるKちゃん。

”どうせ勝者は一人なんだから”と一人終わった時点でカードを次のゲームに備えて集め始めるMちゃん。

”点数記録しないの?”と終了後戸惑うJ君。

 

こんな風に、万国共通の単純なカードゲームだと思っていたUNOですが、人によって少しずつ知っているルールが違うことが判明。2回目からは1回目に出てきたいろんな人のルールを加えて、しっかりとルールを確認してから続けました。

日本では修学旅行などで大富豪をするとき、みんな知っているルールが違うので何が”アリ”で何が”なし”かなど、ちゃんと確認してから始めることはよくあることでした。しかしそれは大富豪が結構複雑なゲームだからこそと思っていました。トランプに比べて遊び方は一通りで単純だと思っていた分、今回UNOにもこんなにいろんな遊び方があると知って驚きました。

 

***

 

冬休み中、確かNHKのクローズアップ現代で、日本に外国人が増える中、多様性を受け入れることへの課題が取り上げられていました。番組中の例として、東南アジアからの移民の多い団地で、ごみ捨ての仕方の理解などの些細な違いから大きな行き違いが生じてしまっていて、解決方法として特に子供達を通して文化交流の場を増やした、という話が紹介されました。

この例を見て、高校の2年間90ヶ国近くの人たちとインターナショナルスクールで過ごした私は正直”こんなの本当に初歩的な取り組みだし、当たり前じゃん。”と思ってしまいました。しかし、逆に”こんなに初歩的に思えることも日本にはまだ新しいんだ。多様性を受け入れるというのはこんなにも難しいんだ”ということに気がつきました。

私は多様性に溢れた環境での経験をできたからこそ、人の違いを受け入れることを自然とできるようになった。文化交流とか、違いを理解し合うとか、当たり前に思えるようになった。最近”多様性”(diversity)を売りにするアメリカの大学などが増えていますが、そんな”多様性”に富んだ環境で過ごすことの価値がようやく分かった気がしました。

”多様性とは○○で、こうすれば多様な人と平和に暮らしていけるのです”という確実な答えなんて無いけれど、多様性のある環境で過ごしていれば、今回のUNOのような身近な出来事からなんとなく”多様性”とは何か、どう対応すれば良いのかが身についてくるんだと思います。生活習慣や趣味、宗教、家族の経済環境など、様々な面での違いに直接触れている間に、いつの間にか自分には”多様性へ対する考え”が形成されていました。

だんだんと自分でも何が言いたいのかよく分からなくなってきてしまいましたが、なんとなく伝わりましたでしょうか?

最近、まるで手に入れなくてはいけない流行りのファッションアイテムのように使いまわされている気がする”多様性”(diversity)という言葉ですが、その大切さ、そして理解への難しさに改めて気づかされた土曜日でした。

^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^

クリックお願いします!

Read More
separator


授業中の食事

/ 2 Comments

ただいま~!ブラウンに帰って来たよ~!

(なんかテンション高いw)

土曜日に日本を出発したのですが、ちょうどその日はアメリカ東海岸は大雪とあって、飛行機は欠航にならなかったものの、ボストンに着陸してから機内でなんと3時間も待たされました…。香港乗り継ぎで行ったので、香港まで5時間+ボストンまで15時間+ボーディング1時間程度+空港で3時間=24時間と、丸々一日飛行機に乗ってました。

DSC06997

大雪の翌日のボストンは見違えるほどの晴天

その翌日はボストンを一日観光してから、月曜日にブラウンに戻りました。プロビデンスまでの電車も信号トラベルで30分停車するなど、あまり移動には恵まれない旅路でした。おまけに、寮に着いたら何度試してもエレベーターが動かない…3階の部屋までスーツケースを運ぶことに…。おかげて時差ぼけ+ボストン歩き回った疲れ+腕が痛い…、と翌日はなんか急に歳とった気分でした。

雪がすごいからちゃんとした靴を!と思ってブーツを買いましたが、あれ?

DSC07114

キャンパスにいくつか雪だるまの残骸が…。実はこの写真にもあるのですが、見つかりましたか?

雪が無い?!

ここ数日は晴天が続き暖かく、プロビデンスにある屋外アイスリンクまでもが溶け出していました。まあそのうち雪が降るだろうから、重宝するかと思いますが。

そして、体重計を買いました!秋学期みたいに5kg増えないように気をつけます!とか言いながら、早速誘惑に負けて大きな(そしてカロリー高そうな)クッキースライスを食べている私…ダメですね(笑)

さーて、ここまでのどうでも良い話はおいといて、本題…と言っても今日はどうでも良い話が続いてしまう気がしますが(笑)

最後まで読んでくださいm(_ _)m

***

昨日から授業が始まって、またshopping periodと、授業を自由に行き来して選べる期間が始まりました。私は大体とりたい授業は決まっているのですが、友達には1日に10個ものクラスに行ってみるって子もいて、“自分ももっといろんなの様子見するべきなのかな..”と思わされてしまいます。来週ちゃんと授業を決めたら、どんな授業か紹介しますね!

秋学期はあまり規模の大きな授業はとっていなかったので、昨日初めて講堂で行われる100人以上の規模の授業に行きました。いくら自己主張の強いと言われているアメリカ人でも、やはり一番前や真ん中の席へ始めから行く人は少ない。こんなにたくさんの人がいるのに、全然知っている人がいない…。数人知り合いを見つけて安心もしましたが、やっぱりまだまだ知らない人だらけだと思わされました。

そしてお昼時の授業では、堂々と授業中にお昼を食べている生徒がいることに驚きました。授業中、飲み物を飲むぐらいなら分かりますが、さすがに食べるのはどうかと思います。なんか教授にも失礼な気が…。さらに、大人数と言っても50人ほどの授業では、隣の生徒が途中タッパーを取り出してヨーグルトをスプーンですくって食べ始めました。あまり目立たないようにしようという様子は全く無く、それどころか食べている間も手を挙げて発言したり、むしろ目立っていました。教授との距離が遠い講堂で授業中サンドウィッチを食べる生徒に驚いた私ですが、これにはさすがに呆れたというか、”なんでこんなことできるんだろう?”と、隣の席の生徒として不快感を覚えました。

確かに飲食禁止とは言われて無いし、臭いの強い食べ物でもなかったし、音を立てたり周りを汚したりといった迷惑をかけるようなことは何もしていません。しかし、”授業中飲食禁止”が当たり前な環境に育ってきた私にとっては何とも受け入れ難い行動でした。

考えてみると、そもそも何で一般的に授業中飲食禁止なのでしょうね?理科の実験などで、飲食物に危険な薬品が混じってしまったら大変だから、というのは良く分かります。あとは授業に集中するため?周りを汚さないため?先生に失礼だから?確かに”食べる”って行為は意外と集中力が必要で、友達と食事に出かけたとき、料理が出てくると急にしらけてしまう、なんてことはよくありますね。

一方で、空腹では集中力は続きません。また、食べ物があると会話が弾むので、ディスカッションなどは食べ物があったほうがより発展するのかもしれません。たくさん話せばのどが渇くので、飲み物は必要になります。小腹が空いたらちょっとしたお菓子を口に入れるのはあまり気にならないかと思います。

ではお昼を食べるのは何でいけないのでしょう?目立ちすぎるから?一生懸命教えてくれている先生に失礼だから?食べながらでもちゃんと聞いていれば、支障は無いのでは?人間の本能的に、他人が食べているのを見ているのってなんか嫌だから?教授はヨーグルトを食べる生徒を見てどう思ったのだろう?そもそもアメリカでは”授業中飲食禁止”は当たり前では無いのか?

DSC07113

キャンパス内(?)のショッピングストリートThayer Street。こちらももう雪は残ってない。

そういえば、日本で通っていた高校ではお昼休み前にお弁当を食べるいわゆる”早弁”は先生たちから注意されました。お昼はちゃんとお昼の時間に食べる、。(おそらく)正式な校則ではありませんでしたが、”食べる”という行為ができる時間は決められていました。また、公の場(駅や道など)や校外学習での買い食いが禁止されていたりと、”食べる”ということは何か汚らしく、他人に見せるべきでは無い行為となっていました。

生き物として、毎日”食べる”という行為は必然的なのに、なぜ場や時間などの条件を変えると他人に失礼で不快感を与える行為になってしまうのでしょう?

隣でヨーグルトを食べる生徒に対して、”なんて常識の無い人なんだろう”とつい思ってしまった私ですが、その”常識”が何を根拠に”常識”になったのか考えると、なんだかよくわからなくなってきました。

私にとっての”常識”は他の人にとっての常識とは限らない。

多様性にあふれたインターナショナルスクールでの生活を経てこのことは随分体感し、理解しましたが、全てが受け入れられるとは限りません。違う文化で育った人から不快な思いをさせられることはもちろんあるし、自分が相手に不快な思いをさせてしまっていることもあるでしょう。”授業中に食べる”といった些細な行動から、多様性の中で学ぶことの意義を考えさせられました。

まだまだこれからもこのような小さな”カルチャーショック”を日常の中に見つけていくことでしょう。

^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^

クリックお願いします!

Read More
separator


お金があれば何でもできる

/ 0 Comments

柚子です。

先日、言語人類学の授業でのこと。

今週は教授本人が書いた本が課題だったので、その本を書くことになった経緯の話から始まりました。まずは教授の大学での専攻当て!

”人類学ではなく、2つの分野で専攻した”

というヒントを元にクラスの60人全員で考えましたがそれがなかなか当てられない…。人類学は文系科目なので、文学や歴史専攻かと思いきや…..なんと、哲学と生化学でした!医者を目指していたんだとか。しかしその後は方向転換をして大学院で文学を学び、ジャーナリストの道へ。ジャーナリスト時にメキシコのとある地域の言語復活活動に興味を持ち、それから言語人類学で博士号をとり、今の研究に至ったそうです。

数学者の多い家系で育ち、医者を目指していた人が、幾度かの方向転換を経て今は言語人類学の教授をしている…。人生ってこの先何が起こるかわからないんだなって改めて思いました。そして将来どういう結果になるかなんてわかるはずも無いから、今はとりあえず興味のあるものに集中していいんだと、励みにもなりました。

DSC06006

関係ありませんが、先日main green にあったボード。”私が笑顔を作る理由”を自由に生徒が書き込んでました。

さて、本題に入ります。

アメリカの大学では“diversity”、多様性がとても重視されています。大学のパンフレットを見ると必ずと言って良いほど、”何%のはどの人種”や”全ての州と何ヶ国の国々”からの生徒がいます、という記述が大きくされています。人種や出身地以外にも、ジェンダー、得意科目、政治的意見など多様な人を集めることで、多様な人を受け入れることを学ぶと共に自分の考えを確立させていく、そんなのが目的でしょうか。

しかし、人種やジェンダーなどの項目の多様性について語られる場は多いのに対して、一つあまり語られない、というか”語ってはいけない”事となっている項目が一つあります。それは“economic background”、経済的地位です。大学が奨学金を出すのは、いろんな経済状況の生徒に来てもらおうという、これまた”多様性”を求めてという理由もあるでしょう。

私たちの社会の中で、お金について話すことはタブーなことになっています。特に家庭の経済状況について友達同士で話すことなんて絶対にありません。自分のジェンダーや国籍については胸を張って主張するけど、何で経済的地位はタブーなのでしょう?私たちの社会の中での成功がお金によって計られていているからでしょうか?いくらタブーな項目だとは言え、経済的地位について話せる場を設ける必要があるとは私は思います。なぜなら、経済格差があることを理解するのだって重要だし、同じ境遇で育った人と繋がる機会になるからです。

DSC06014

第一代大統領ワシントンさん

昨日、私は奨学金をもらっている留学生向けのランチに参加してきたのですが、留学生への奨学金がどれほど限られているか気づかされました。アメリカ人への学費の援助は”need blind application”と言って、その生徒の合格が決まってから援助が必要か初めて見るのに対して、留学生の場合は、”need aware application”と言って、援助が必要ということも選考基準のひとつになります。結果的に、援助が必要ない人のほうが合格する確率は高くなり、裕福な家系出身の留学生が多くなるのです。

ランチである生徒はこんな提案をしました。

”周りの留学生の友達が結構お金を使って遊ぶから’正直きつい’と言うのが難しい。奨学金をもらっている留学生同士のメンターシステムを作ったらどうか。”と。

タブーなことだから誰が奨学金をもらっているかなんで分からないし、相談もできない。同じ悩みを抱える人は絶対にいるのに、一人で悩むことしかできない。確かに、人種やジェンダーの”minority group”、少数グループのためのサポートグループや話す場はあるけど、経済的地位について語る場はありません。今回のようなランチが年に一回、事務の人たちが生徒の意見を聞くために開かれるぐらいでしょうか?

裕福な家庭から来てるかどうかは、持っているものや出身地、週末の過ごし方や家族旅行やの話などからその人を知っていけばなんとなく分かるというか、大体の予想はできます。どうせ分かるんなら、”金銭的に厳しい”と誘いを断らなくてはならない気まずい瞬間を作るより、ちゃんとお互い自分がどのような経済的地位から来ているのか話し合ったほうが良いと思います。年間500万の学費を余裕で払える家庭もあれば、多大な借金をして通っている生徒もいる。大学で働く理由はお小遣い稼ぎの人もいれば、働かなくてはいけない人もいる。そして留学生に関しては”学費が払えるから”が合格の理由のひとつである人もいる。こういう多様性だって、理解するのは重要だと思います。

こんなことを考えるていると思ってしまうのが

”お金があれば、なんでもできる”

という言葉。

”お金=幸せ”みたいな考えで、そうであってほしく無いですが、今の社会では本当だと思います。悲しいですが、何をするにもお金が必要で、お金があれば少し努力が足りなくともお金で解決できてしまいます。

現在の資本主義社会に疑問を抱くと同時に、今までいただいた、そしてこれからいただく奨学金、そして両親からのお金への感謝の気持ちが思い起こされる一日でした。

 

^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^*^

クリックお願いします!

Read More
separator


separator