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【熊たちの教室】日本人とは:僕は日本人?それともアメリカ人?

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こんにちは、最近忙しくブログ書けてなくて申し訳なく思っている巴基です。

 

さて、今回のテーマは”日本人の定義”。とは言っても、ほかのメンバーはともかく僕は4歳以降日本に住んでもいないので、偉そうに語っても全く説得力がないと思うので僕自身の経験とほかのメンバーが考えた僕の”日本人らしいところ”を交えて書いていきたいと思います。

 

中学生のころ、僕は次の質問に悩まされていました:

 

僕は日本人?それともアメリカ人?

 

いわゆる”アイデンティティークライシス”です。

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家庭では日本語をしゃべり、和食を食べ、地域で放映している日本のテレビ番組を見、夏休みは毎年日本に帰り、などとアメリカに住んでいる割には結構”日本”という国、文化に触れる機会は多かったと思います。

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今年の夏、家族と行った山中温泉

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しかし、一旦外に出ればそこは完全にアメリカ。英語をしゃべり、現地校に通い。友達との交流ではほとんど英語。周りの人の思想や振る舞いはもちろん日本とは違う。

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高校の教室

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そんな環境の中で育ってきて、何時しか気づいた。僕はアメリカの人から見たら日本人に見え、日本の人から見たら日本人にあまり見えないことを。

アメリカでは道徳的にあまりよくない事をするのを躊躇していると”まじめ”と言われ、メールを書くと”かしこまりすぎ”と言われ、日本では”全然謙遜してない”と言われ、じゃあどうすればいいんだよ!!と一人で切れていたこともあった(懐かしい)。

一通り冷めて寝る時間になるとベッドに入り、一人天井を見つめながら色々と考える。これまでの経験、人に言われたこと、自分自身が思っている事。そして問う。”僕は日本人?それともアメリカ人?”そして自分自身がいたった結論は、”僕はアメリカに住む日本人”。

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そんな”アメリカに住む日本人”の僕が考える自分が日本人だと思うところ。

人との調和を大切にし、相手の意見や感情をくみ取ることに重きを置くところ。ルールをきっちり守るところ。古き良きを重視するところ。

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そんな僕が何故日本人ではなく”アメリカに住む日本人”なのか。それは、個人的に日本人の一番の特徴を僕がまだまだ身に浸透させることが出来ていないと思うから。

その特徴は、

 

思いやりの心。

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接客の時の”いらっしゃいませ”、”ありがとうございました”、”またお越しくださいませ”。遅れてもいないのに”待たせた?”と聞く等の相手への配慮。旅行中でも知り合いへのお土産を一生懸命探すその姿勢。この”意識しなくてもできる配慮”がまだまだ完全には身に染みていない気がする。なので僕は自分を日本人とではなく”アメリカに住む日本人”、または”アメリカで育った日本人”と認識しています。

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さて、僕が僕自身に対しての感想を書いたのでここからはブラ熊メンバーが考える僕が”日本人らしい”ところを感想を交えて紹介していきます。

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1.文章の書き方

そうですかね?

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2.すれ違う時、上目遣いで首をこうなんかペコッとする感じ

確かに言われてみれば誰かと道で会った時は大抵会釈してますね(笑)

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3.人との距離感

全体的にはそうですね。原因はたぶん”相手に対して失礼なことはしたくない”という考えから来ているんだと思います。自分をさらけ出しても大丈夫だという保証がない場合は結構距離感を保つことが多いですね。

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4.振舞い方とか、話し方とか、考え方とか?今のブラ熊の中で雰囲気が一番なんだか”日本人らしい”。でも敬語が使えないのがおしい、というかなんか面白い(笑)

自分ではほかのメンバーよりも”日本人らしい”という自覚は全くありませんね。敬語の方は頑張ります^_^;

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5.何かやるってなるとそれをシッカリ成し遂げるところ

失敗はかなりしていますがね^_^; 個人的にはやる気になる、そしてそのやる気をちゃんと方向性をもって使うことが今後の課題です。

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6.真面目

昔っから自分は真面目すぎると思っていましたが、最近は前ほど真面目でもない気がします。

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7.育ち方(?)、言葉遣い

アメリカで育っているのに育ち方と言われるとは思ってもみませんでしたね。言葉遣い。。。全く自覚がありません。

僕の方からはこんな感じですかね?他の方のもぜひ読んでみてください!^_^

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追記:

読者の皆さんからも自分が「日本人だなあ」と思う瞬間について、募集しています。どしどしご応募下さい!

https://goo.gl/forms/DwcHP1ERqHv5htc33

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かぼちゃの思い出

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世の中にはすごい人がたくさんいる。そういう人の話を聞いたり、会ったりすると、すごい!と尊敬や憧れの気持ちが沸くと共に、悔しい気持ちになる。特にそれが同世代だと後者の気持ちが強くなる。あの人は同い年で、もうあんなに成し遂げているのに、私はまだ始まりにも立てていない…。なんて自分は才能が無いんだろう…と思ってしまう。

でも、憧れのあの人と自分は違うから、きっとどこかで自分の事を”すごい”って思ってくれている人もいるから、私は自分ができることをがんばろう。例えば、ピカチュウの絵柄のJack o’ Lantern を作るとか。

 

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二時間ぐらいかけて頑張ってナイフで彫りました!

 

先週末、大学のイベントでApple/Pumpkin Pickingへ行きました。大学のイベントということで参加費は学校が負担、更に$5の商品券をいただきました。おかげでこのかぼちゃは¢75でゲットしました!

 

かぼちゃ狩りというと、懐かしいことを思い出しました。

2001年の秋、アメリカに引っ越して半年ほど。私はキンダーガーデン(日本でいう一年生の一つ前の学年)に入学しました。そして秋の遠足はかぼちゃ狩り、母もボランティアとして付いてきました。大人一人につき四、五人の生徒のグループに分かれてかぼちゃを探しました。良さそうなのをいくつか見つけて、それらをカートに乗せて集合場所に戻ると….あれ?!先生が驚いた顔をしました。どうやら、かぼちゃは一人一個のはずが、私の母は英語が理解できずに好きなだけとって良いと勘違いしてしまったのです。こんなたくさんかぼちゃを持っているのは私たちのグループだけでした。この間違えを伝えるのにも少し時間がかかり、母はちょっと恥ずかしそうに仕方が無くかぼちゃを畑に戻しに行きました。

 

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2001年秋、かぼちゃ畑にて

 

かぼちゃのエピソードはもう一つあります。

 

同じ年、10月はハロウィンがテーマです。その週の宿題は”Make your own Jack o’ Lantern!”。紙にかぼちゃの輪郭が書いてあって、それに好きなように飾りを描いて、自分のJack o’ Lanternをデザインするというものでした。英語がわからない私が理解した宿題は、紙にデザインをしてそれを実際に作る、という内容。本当に作るなら派手なことはできない、と思った私は一般的は三角の目の顔と、飾りとしてはビーズの冠を描きました。そして週末、家族でスーパーのかぼちゃ売り場へ。こんなことするのが初めてだった私たちは、せっかくなので大きなかぼちゃを三つ購入。Jack o’ Lanternを作るキットも買いました。そして家族みんなでJack o’ Lantern作り。まだ小さかったので子供達はかぼちゃの中身を抜いたり、絵柄を選ぶぐらい。刃物を使った作業はほとんど父がやりました。

月曜日、かぼちゃは大きくて5才の私には持てないので母が抱えて一緒に教室に入りると、先生がとても驚いた顔をしました。宿題をちゃんとやってきたつもりの私は、何でこんなに驚かれたのか分かりませんでした。それに、何で誰もかぼちゃを持ってきていないのだろう?先生に”宿題は?”みたいな事を聞かれたのでデザインの紙を出し、いろいろ指差したり言葉を繰り返したりしてようやく理解しました。宿題は絵を描くだけでよかったのだと。また恥ずかしい思いをしてしまいました。(今思えば、5歳児に宿題でかぼちゃ彫って来いなんてありえないですよね笑)宿題は勘違いしてしまったけど、先生は大喜び。教室に飾れる立派なJack o’ Lanternを作ってきてくれてありがとうと、感謝されました。

 

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15年後、かぼちゃ畑にて

 

このように、アメリカでの最初の一年は英語がわからないために勘違いばかりで、恥ずかしい思いをすることもたくさんありました。幼稚園の宿題も理解できなかった私が、今は英語で大学の授業を受けているなんて。そして、これ程家族みんな英語が分からなかったのに、よくアメリカで暮らせたなと思います。

転勤で海外に行くと、言葉がわからないのがストレスで学校が嫌になってしまう子供もいるそうです。しかし、なぜか私は英語が全く分からないながら”辛い”と思うことはありませんでした。父に”君たちは学校が嫌だとか言わずに通ってくれて良かった。仕事や生活がアメリカに来ていろいろ大変だったけど、子供達に関してはスムーズに行って助かった”と言われます。

きっと、人に恵まれていたのだと思います。近所の子供をいつも預かっていて、近所の人たちを繋げる役割も果たしていた隣のペルー人と白人の家族に、やさしい学校の先生。わからないことがあると助けてくれる友達。いろんな人の支えがありました。ハロウィンやクリスマスの飾り付けをしたり、ホームパティーを開いたり、アメリカでの一年目は初めて異国の文化に触れたとても良い思い出です。

 

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その年のハロウィンのtrick or treatingでゲットしたお菓子。これで確か一人分だった気が…三人兄弟なので、膨大な量のお菓子でした。

 

一年だったはずのアメリカでの暮らしが、もう三年アメリカで暮らすことになり、今度は西海岸での暮らし。一年目で学んだことを生かしてまた新しいスタート。母は、子供は現地校に入れれば自然と英語を話せるようになるだろうという考えは間違えだと気づいたらしく、私たちはちゃんと英語を教わり始めました。それからは一気に英語が分かるようになって、言葉で苦労することはあまりなくなりました。

 

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かぼちゃはツルから切り取られてあって、好きなものを拾うシステム。

 

あれから15年。最近はまた英語が下手になった気がします。日本語で考えることが多くなったからか、言葉に詰まることが多くなってきました。そして今学期は更に日本語も下手になってきた気がします。なんでしょう、日本語も言葉に詰まることが増えた気がします。それに時々発音がおかしい気も…。それとも全体的に話すのが下手になったのでしょうか?最近は上手く自分の言いたい事をまとめられてないように感じます。

フランス語の授業は相変わらず自分が言っていることや理解したことが正しいのか、分からないまま会話が進んでます。今週はついにやらかしました。火曜日の夕方、Petit goûter というフランス語学部のイベントに行ったら、教授に”今日なんで来なかったの?”と言われ…。そう、私はmardi (火曜日)とmercredi(水曜日)を聞き間違えて、教授との約束をすっぽかしてしまいました。授業中の口頭での説明だったので、作文の期限はmercrediで、教授と話したかったらlundi(月曜日)にメールをして、など曜日がいろいろ出てくる中、私にはmardiが聞き取れませんでした…。そのことをメールで説明して改めて謝ると、教授は”C’est n’est pas grave” (そんな深刻じゃないよ)と言ってくれて、会う約束を立て直してくださりました。

日本語も、英語も、フランス語も、いろんな間違えや恥ずかしい思いをしながら、まだまだこれからも上達したいです。

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得たもの、失ったもの、そして来学期に向けて

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こんにちは、巴基です。

期末テストも大部分終わったのでこの一年を振り返ろうと思います。

 

ブラウンでの一年間は本当にいままでにない体験でした。何だか振り返ってみて、長かったのか短かったのかはっきりしません。

 

ブラウンに最初に来たときは、正直心配でした。ルームメイトがいるとは言え、初めての一人暮らしの生活。本当にこんな頼りない自分でやっていけるのか。最初はそうよく考えたものです。

色々と心配だった中で特に心配だったのが、友だちを作れるのかどうか。

ルームメイトは一年生用のオリエンテーションの前にさらに一週間オリエンテーションをするプログラムに入っていたので、色々と教えてもらいましたし寮に荷物を入れるのもスムーズにいきました。しかし彼はもう友達グループを持っており、僕も彼の友達と知り合ったものの自分だけ話についていけない感がものすごくありました。今でこそ授業や合気道、ブラ熊、それにブラウンに数多くいる日本人や日本語をしゃべる方たちと仲良くなっていますが、当時は本当に自分が人見知りなのを気にしていたので、友達をすでに持つ彼を見て「自分はこんなに友達を作れるのか?」とかなり不安でいっぱいでした。

 

Brown University Class of 2019 Sky Photo 2015 September 13

1年生のオリエンテーションの時に撮られた写真。僕は1の真ん中当たりですけど写真では小さすぎて見えない(笑)

 

友だちの他にも得たものは色々とありますが、中でも自分の限界とタイムマネジメントのやり方を知りました。ブラウン大学という頭が切れる人が大勢いる大学で4-5個のクラスでAを取り続けるのはほぼ不可能。集中力が切れているときは寝た方が効率がいい。過ごす時間が長いものに頭が行くので休憩時間は短くしておく。

ブラウンで学んだことのごく一部です。

 

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ブラウンで学んだ事:睡眠って、やっぱいいね

 

ブラ熊ではよく良かったことばかり書くと一度指摘を受けたことがあります。確かにブラウンの生活は(時々宿題の多さが異常になる以外)楽しいですし、充実しています。しかし、ブラウンに来て得たものがある反面、失ったものも個人的にあります。

 

その中で一番切ない気持ちになるのが、パッション

 

例を挙げると、僕は昔からの歴史好きです。親から歴女をもじって”歴男”と呼ばれていたほどです。しかし、先学期の授業を除いて歴史に時間を使っていなかったせいか、最近では歴史の知識を失ってきています。それだけならいいのですが、旅行の計画をしている際、頭では歴史的な建築物などを見学するのを楽しみにしているのに、心から”嬉しい!”や”楽しみ!”と感じられなくなってしまっています。

 

本当は好きなはずのに、何で知らないうちにこうなってしまったのだろう。そう感じることが最近よくあります。戻ってくるといいのですが。

 

 

最後に、来学期に向けての目標をいくつか紹介したいと思います。

 

まずは、1日4食。

先学期10キロ近く痩せたのは絶対に繰り返してはいけない。今でもベルトを締めるたびに自分の細さが怖くなります。

夏休みのあいだにも体重も戻さねば。

 

もう一つの大きな目標は、大学の後の計画を立てはじめることです。自分は何をしたいのか?世の中にはどんな職業があるのか。応用数学を専攻する人は皆、どのような道を歩んでいくのか。

それを知りたい。

 

そして今学期以上に学び、体をきちんと動かし、睡眠をとり、友達と楽しく過ごしたいと思っています。

 

それでは、今回はこの辺で。

今後ともブラ熊をよろしくお願いします!

 

 

 

最後に一つお知らせ:

夏休み中はインターネットに接続できる時間が限られてくるので、更新はすみませんが不定期になると思います。8月の終わりからは毎週投稿を再開しますのでどうぞご了承ください。

 

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アメリカの大学受験:大学探し編

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こんにちは!巴基です。

 

とにかく宿題を終わらせることに必死で忘れていましたが、この環境を手に入れるために随分と時間と労力を費やしたころの事を最近考えるようになりました。改めてブラウン大学で学ぶことに感謝しつつ読者様にアメリカでの受験事情を伝えるために今回は大学探しについて書きたいと思います。

 

高校1年生-2年生はまずアメリカにどんな大学があるのか、大学に行くには何をしなければならないのかでかなり手一杯でした。SATもACTもCSU(カリフォルニア州立大学)とUC(カリフォルニア大学)の違いも国立と私立の違いも何も分からない状態で大学を探し始めました。

 

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PSAT(模擬SAT、点数によっては奨学金をもらえる)とACTは受けましたが、何せボキャブラリーが苦手なのでSATは無理だと早々に悟りました

 

高校1年。初めての大学進学説明会。

 

この時は本当に適当に大学を見て回りました(本当はもっと事前準備をするべきだったんだろうけど。。。)

 

数学が好きだから数学強そうな大学見よう!

とか

UCLA聞いたことある!

とか

ビジネス儲かりそうだからビジネスが強そうな大学見よう!(苦笑)

 

とかそんなのりでした。今思えばあの頃の僕は本当に世間知らずでした。

 

時変わって高校3年生の春。これまでの調べでようやく大学の種類や大学受験の流れを理解し、ACTも2回受けAP(補足を参照)の授業も受けまくるようにスケジュールを組んだところでようやく本格的に1個1個の大学調べがスタート。

 

さて、どうやって調べよう。。。

 

まずwww.collegeboard.orgにて適当に名前の知っている大学をリサーチ。

 

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こういう画面と何時間にらめっこしたことか。。。懐かしい

 

しかし2か月調べの後の収穫はほぼ0でした。なぜなら自分が大学に何を求めているのかをはっきりと決めなかったからです。そこできちんと大学に求めているものの優先順位を決めることに:

 

 

1.大学の学力

2.興味のある分野の学部があるかどうか

3.生徒がその大学にいて楽しいと感じているか

4.趣味を続けられるか(ピアノ、テニス、クラリネット)

5.町から遠すぎないか(ロサンゼルスからの移動を考えて)

 

 

基準を決めたことによってようやくネットでの大学調べが進みました。これにより大きめの大学リストが完成。その後はネットでの調べを進めながら高校での個々の大学説明会に参加。

 

僕の高校が特別だったのかどうかはよくわかりませんが、僕の高校には普通のアドバイザーのほかに大学受験のアドバイザーがいました。その上に高校には春を中心に大学の方が高校を訪問し説明会を開いてくれていました。この説明会、大抵は授業中だったので授業を抜けて参加していました。大学入試官の方に直接質問を聞くことが出来たのは本当に後のエッセイを書く時にも役に立ちました。今となっては本当に自分が住んでいた環境に感謝しています。

 

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サンタモニカビーチ。すごい数のカモメとペリカンが入り混じってます

 

これにより3年生の終わりには最終的な大学リストが完成。少なからず手伝ってくれた親に感謝。

 

最終的なリスト:

1.イェール大学

2.ブラウン大学

3.ペンシルベニア大学

4.カリフォルニア大学ロサンゼルス校

5.カリフォルニア大学バークレー校

6.南カリフォルニア大学

7.カリフォルニア大学アーバイン校

8.カリフォルニア大学デービス校

9.カリフォルニア大学リバーサイド校

 

自分の大学探しはこんな感じでした。一応UC Berkeley(カリフォルニア大学バークレー校)、スタンフォード、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)は親と見学しましたが、多くの同級生は東海岸へ大学見学のために行っていたので自分は少ないほうでした。受けた大学の数も友達は大抵10は超えていましたし、多い友達は20を超えていました(どうやってそんなにエッセイ書いたんだ。。。)

 

 

皆さんはどのように大学を探しましたか?或いは探していますか?

 

 

補足:

APは高校で受けられる”大学レベル”のクラスです。5月にはテストを受け、点数と大学次第で大学の単位をもらえることができます。ちなみにブラウンはごく僅かなクラスだけ取ったことにしてもらえますが、単位は全くもらえません。APテストに投じたン百ドルがー(泣

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15歳の主張、19歳の失敗談

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遠い記憶のどこかで、誰に言われたかすら思い出せないけど、

 

一言。「挫折したことがなさそう」と言われた事があった。

 

自分の今までの頑張りが、辛いと思って踏ん張っていた瞬間が、一人で思いあがっていただけで「実際そんなことないよ。」と否定された気がして悔しかったのか。それとも、その言葉を掛けた人が、私が自分で頑張っていたと思いあがっていた時に近くで見守ってくれているような気がしたのに、いきなり突き放すような事を言ったことがショックだったのか。どちらか覚えていないし、もしかすると両方だったのかもしれない。

 

何にせよ、その言葉は刺さった。

 

そして何も言い返せない自分が悔しかった。意地でも「自分はここで挫折したんだ」とでも言っておけばなと今でも少し思ってしまう。

 

だって何だか、挫折したことがないって言うと天狗に聞こえるし、世間知らずだと思われそう。本気で何かに取り組んだことがないとか。遠い記憶の自分は必死だった。

 

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その言葉からいくら月日が経ったかは忘れてしまったけれど、挫折を味わう日は前振りもなく訪れた。

 

中高一貫に通っていた私は、世の中学三年生が必死に取り組んでいただろう高校受験をすることはなかったため、当時の自分、高校生になる前の自分について考え見つめなおす術が『15歳の主張』しかなかった。名前はかっこいいけど、要するに一人につき原稿用紙二枚程度の卒業文集。テーマは何でも良いと言われ、中学校卒業間近のわたしたちが主張したい事を素直に書け、と言われただけであった。

 

たかが卒業文集、されど卒業文集。中学生特有の「めんどくさい~原稿用紙埋まりっこない~」の空気を乱さぬようにする中、密かに私は燃えていた。「これが自分の中学生活の集大成だ」といき込んで書き上げたのは、私が中学入学から信じぬいていた「努力」について熱く語ったものだった。

 

世の中には何でも器用にこなす人と、何べんも地道に練習しないと人並みにまで到達できない人がいて、今も昔も私は完全に後者、いや後者を大々的に代表する内の一人である。中学で三年間打ち込んだバスケも、チームを引っ張っていかなくてはいけない三年生の時にも関わらず、ドリブルが下手すぎて「ドリブル禁止令」を試合中に出されるといった具合だ。

 

原稿用紙二枚では収まり切りそうにないぐらいの勢いで私は「努力すること」について書きあげ、先生に提出した時には自信満々でいた。というのも、『15歳の主張』にはもうひとつオマケがついていて、各クラスから一人ずつ代表者として学年全体に自分の作文を読むということになっていた。もちろん、そのために書いたわけではないとキレイごとを言いたいところだが、15歳の自分は未熟で、目先の餌につられていたところは必ずあったと思う。

 

そして自分で言うのは何だが、文章力にも自信があった。小さい頃本を多く読み、何かを書くという機会が多かったからこそ出来た恵まれた習慣だったからなのか、これこそ努力せずに培われた自分の中では数少ないものだった。

 

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だから、尚更自分のクラスから選ばれた作文を見て唖然とした。選ばれたのは全くテイストの違う生徒のもので、悔しいけど読んで感動したのを今でも覚えている。書かれた作文の多くには学校生活の感想、新生活に向けての希望などが綴られていたが、この作文だけは違った。

 

日常の些細な出来事を織り交ぜた、どこか懐かしいのに何かが新鮮で、

わざわざ15歳の時に主張しなくてもいいのではないかと思わせるのに、

15歳だからこその真っすぐな言葉で書かれていた。正論ではない、15歳の主張だった。

 

ただただ、この時は何とも言えないほど悲しかった。悔しさを通り越して悲しかった。自分の文章力、信じぬいてきた「努力」、過ごしてきた中学校三年間。その全てが不十分だと感じて、大袈裟かもしれないけれど、15歳の自分は挫折した。

 

こんなのでは挫折といわないだろう、と言われるかもしれないし私より何倍もの辛いことを経験している人は世の中にたくさんいるだろう。確かに今の自分から見ても、一瞬これは挫折なのだろうかと問いかける時もある。

 

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けれど今でもこの話を思い出すと胸がチクリと痛み、

誰に掛けられたかは覚えていないけど「挫折したことがなさそう」の言葉だけはハッキリと覚え、

その言葉と出会う度に様々な気持ちがグツグツとし、

押し入れにしまってある卒業文集で読むあの作文に未だに感動する。

 

こんなにも複雑に感情に感情が重なることを「挫折」と呼ぶのだろうか。

答えられない自分はやはりまだ挫折を経験していないのだろうか。

 

傍から見れば、偶然にも帰国子女になれて、苦労もせず英語が話せるようになり、それなりのエスカレータ式中高に通い、ブラウン大学に通っているのに生意気だと思われるかもしれない。受験勉強で挫折しなければいつ挫折するんだ、英語が元からできるからそんな事言えるのさ、と思われているかもしれない。確かに受験勉強をして悔しい思いはたくさんしてきたし、思い悩んだ時期もあるけど自分が未だに競っているのは受験戦争でもなく、同学年のライバルでもなく、15歳の時正論を言おうとしていた自分な気がしてならない。

 

もし、15歳の主張を正論で美化させようとした当時の自分に負け伏せるとしたら、今すぐこの記事を「受験で挫折した」というテーマに切り替え、苦労した思い出を語る事であろう。もちろんその思いでもたくさんあって、またじっくりと書きたい。けれど今日の自分は少しだけ違う。

 

失敗したこと、挫折したことは15歳で主張しきれなかった事だ。

これから本当の意味での挫折を味わうことになるかもしれない。そしたらこんな話も呑気だな~と思いながら読み返すのかもしれない。

 

確かなのは一つだけ。

 

『19歳の主張』はもっと真っすぐで、正論ではない。

 

 

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受験の思い出

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71年前の今頃、東京は焼け野原になっていました。

5年前の今頃、東日本大震災が発生しました。

もう二度と同じようなことは起きてほしくは無いけれど、決して忘れてはいけない、重要な出来事。

そして毎年今頃、日本中の受験生に喜ばしい、または残酷な判断が下されます。

何度も繰り返されてきて、社会現象とも言える”受験”。今回は読者の方からのリクエストがあったので、私の大学受験の体験の話をしたいと思います。

 

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昨日は20℃と急に暖かくなり、main greenには人がいっぱい!

 

”9月からイギリスに2年間留学します”

高2の4月、友達にそう報告すると、聞かれる質問は

”大学も海外に行くの?”

その頃は海外の大学に進学するなんて考えたこともなかったし、経済的に無理だろうと思っていてので

”いやいや、大学はまた日本に帰ってくるよ”

と答えてました。

しかし留学生活を始め、アメリカの大学のリベラルアーツのことや、奨学金のことなどいろいろ知るにつれて、”ここまで来て日本の大学に戻るのはもったいない。アメリカの大学に進学したい”と思うようになり、いつしかアメリカへの進学しか考えなくなりました。

思えば、”高校の後は大学進学”という考え自体、自分が恵まれているからこそできたこと。

 

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一年前の今頃は、気晴らしにウェールズの海岸を散歩してました。あの海を、次に見れるのはいつだろう…。

 

高校で行われる”カレッジフェアー”や個々の大学の説明会に行って情報を集めた9月。

とりあえず必要になるCommon Application を記入し始めた10月。1月に”お試し”気分で受けたSATも今回は真剣に勉強して挑んだ。

”まだ受ける大学決めて無いの!?”と友達に驚かれ、焦って受験する8校を決めた11月。説明会等で気に入った大学を選んだ。第一志望は特に無い。Common applicationの自己アピールエッセーも書いた。

他に受けられそうな科目が無いから、数学Ⅱと世界史のSAT2を受けた12月。冬休みはヨーロッパ旅行をするから、旅立つ前の1週間の短期間で個々の大学の追加のエッセーを書き上げた。見直しすぎてたら切りが無いと思い、書き終えてはすぐに提出した。友達に”もう願書全部提出し終えた”と報告すると、”早っ!”と驚かれ、”やっぱりもっと時間をかけるべきだったか…”と少し後悔するが、後戻りはできない。

奨学金申請に関して親に頼った1月。大学の面接も行われた。

印象に残ったブラウンの面接。自己紹介や志望理由を聞かれた後聞かれた質問は

”自分を野菜に例えると何ですか?”

は?野菜?こんな考えたことも無い質問に戸惑った。

とっさに思い浮かんだのは、お弁当にいつも入っていて、栄養満点だけでなく、色味を足して華やかにする重要な役割を持つプチトマト。でも嫌いだから、自分をプチトマトなんかに例えたくない、絶対に!でも他にどんな野菜が??(嫌いなプチトマトとやっぱり答えるべきかとも真剣に考える)同じように明るい色の野菜と言えば…にんじん!いろんな料理に使えて、でも鮮やかで存在感がある、と焦って理由を加える。その焦りを感じたのか、”根っこ(core)の野菜でもあるよね。だからしっかりもしてる”と面接官が上手くフォローしてくれた。最後は”どっかの大学に入れると良いね”となんかそっけなく言われ、”これはダメだったな…”と思った面接。

合否の通知が来始めた2月。”○○が××大学に受かったんだって!”とか、喜ばしい噂が学校を流れ始める。その一方で、もちろんまだ一つも合格をもらっていない人もいる。みんなちょっと緊張した空気。

どんどん合否発表がされ、緊張も高まった3月。とある名門校の合格発表があったある日、同じ寮に不合格だった子が数人いてとても空気が重い。無関係な私はいつものように寮の共同のリビングルームで楽しく友達とおしゃべりした後、自分の部屋に向かった。

廊下に出て見た光景にショックを受けた。同じ寮の男の子が、うずくまって大泣きしていて、寮母さんが必死に慰めていた。IBの予測点は満点の45点、運動も音楽もできて、努力家の、まさに”完璧”といえるような彼が、泣いている。結果自体よりも、自分に期待して支えてきてくれた親を喜ばせられなかったことが悔しくて、親とのテレビ電話では初めて親の前で泣いたとか。もう何時間もこんな状態だったらしい。彼ほど完璧な人が、大学に評価されないで、こんなどん底に突き落とされる姿を見て、何もできないのは本当に辛かった。そして”大学受験”とはどれほどの重さを抱えるかを痛感させられた。

今まで”この大学に絶対に入りたい!”という強い思いを持たずに来た私。日本では知られていなくとも、アメリカで知られている大学に入れれば良いと思っていた私。私が自分に合う大学を選ばなくとも、大学が私がそこに合うかを判断してくれるから、間違えは無いと人任せだった私。でも、そんなに甘い考えではいけないんだと気づかされた。周りはもっと真剣に、強い思いを持って受験に挑んでいる。こんな楽観的な考えの自分には、周りと競える能力どころか、競う権利すら無いのでは?

”アメリカで知られている大学に行ったって、将来日本で就職するとなったら’ただのどっかのアメリカの大学’と思われてしまうから意味が無い”

父の言葉を思い出す。

子供達に期待を込めて、ずっと支えてきてくれた両親。姉も兄もその期待に応えて優秀な大学へと進学し、ハードルを上げてきた。私もそれ並み、またはそれ以上を行かなくては。廊下で泣いていた彼が言っていたように、やっぱり親を喜ばせたい。

残る合格発表はアメリカの、日本で言えば旧帝国大学的な存在のIvy Leaguesのみ。今のところそこそこのリベラルアーツカレッジにしか合格していない私は、このときになって急に不安になってくる。

今まで”奇跡的に受かればうれしいな”程度だった気持ちが、”受かりたい”という気持ちに変わる。

 

3月31日、Ivy Leagues 合格発表日。高校の緊張感は最高潮。この日に限って寮のWi-fiがダウンして、友達のwi-fiを借りてどうにか合否発表のサイトへアクセス。

まずは某Y大学の結果….

不合格。

まあ、そうだよね。こんな思いで受験した私が合格できるはずが無いもんね。少しでも期待した自分がいけなかった。

”親を喜ばせたい”という思いはあったけど、やっぱり自分が合格するはずは無い。日本では名の知れぬ小さなアメリカのリベラルアーツカレッジに行くんだなと思った。

”どっかの大学に入れると良いね”あの面接を思い出す。受かってるはずがない。

期待はしないで、続いてブラウンの結果…..

 

Congratulations!

 

え?

冒頭に見えた言葉に驚いた。そしてなぜか涙が出てきた。信じられなかった。家族にどう報告しよう?

限られたwi-fiで急いで家族に送った報告のメールの件名は”桜咲きました!”

部屋を出て友達に報告すると、みんな自分のことのように喜んでくれた。

先日大泣きしていた彼もIvy Leaguesに合格したらしい。自分のこと以上にうれしかった。

 

ハッピーエンドに終わりましたが、大泣きしていた彼を見た夜と、合格発表の夜は忘れられません。相変わらずまとまりの無い文章失礼いたしました。話せばもっと受験の思い出はありますが、なるべく短くまとめてみました。

 

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日本で3月は桜の時期ですが、ウェールズではスイセンの時期!ウェールズの国花でもあります。

 

今、”東アジアの教育”の授業で日本、中国、韓国のシビアな受験戦争について話しているのですが、そこで共通しているのは”親の期待からの学生へのストレス”。多くの学生は、”親の期待に応えるため”に受験をがんばっているんだとか。

私たちは受験を一体誰、そして何のためにするのでしょう?

親のため?家族の名誉のため?学校の名誉のため?就職のため?未来の自分のため?今の自分のため?

考え始めると、分からなくなってきます。

それともこれは乗り越えなくてはいけない、”人生の試練”のひとつなのでしょうか?

テストの点数だけで評価される東アジアの制度のほうが平等で良いのか、”どんな人か”を評価するアメリカの制度は主観的で不公平なのか?

受験によって、こんなに大きく人生を左右されて良いのだろうか?そもそも、それほど大きく人生を左右するものなのだろうか?

 

日本の受験生のみなさん、お疲れ様でした。国立の二次を受ける方はご健闘祈ります。

アメリカ大学を受験している方、良い結果が出ることを願っています。

 

P.S.夏子さん、リクエストありがとうございました!

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