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感情に振り回されるな!

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こんばんは!柚子です。

明日は私にとってこの夏の一大イベントのひとつが迫っているので、今夜はちゃんと眠れるか心配です。実はもう既に昨夜の時点でいろいろ考えすぎてなかなか眠れなくて、おまけに寝坊する夢を見てかなり焦りました(笑)

その一大イベントとは、私の高校留学で行ったUWCの今年の新入生のためのオリエンテーションキャンプなのですが、今年は企画を担当しています。たった三日間のキャンプでも最初から最後まで企画するのはこんなにも大変なのだと気づき、今まで企画をしてきた先輩方を本当に尊敬します。責任のある仕事ってやっぱり不安も多くて正直怖いです。参加者のみなさんが楽しい時間を過ごせるように、誠意一杯頑張ってきます!

 

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忙しいけど、せっかくタルト型を買ったのでフルーツタルトを作りました!カスタードクリームにも初挑戦してみました。

 

さて、今テレビで”日本のイライラ解消スペシャル”なんてのがやっています。世間がイライラを感じている最近の話題について、スタジオの人に”好き”か”嫌い”か言ってもらって、それについて議論するって番組です。わりと面白い番組だなと、明日の準備に追われながらもちらちら見てたのですがちょっと思ってしまいました、最近なんか感情に振り回されて判断する人が多いなって。

その典型的な例が先週の一大ニュース、そう、英国のEU離脱の国民投票です。EU離脱したら経済がどうなるとかいう残留派の意見なんかより、移民が生活を圧迫しているだとかいうどちらかというと感情的な離脱派の意見が最終的には勝ってしまったのです。更に、投票結果が出てから”まさか離脱派が勝つと思わなかったからふざけて離脱派に票を入れてしまった”とか言う人が出てきて、EU離脱が現実になるのが急に怖くなったのか、再投票を求める署名活動が始まっています。

なぜでしょう、最近は世界的に人がイライラしているのでしょうか?アメリカのトランプが支持を集めているのも、彼が普通の政治家は言わないけどみんなが思っているイライラを思いっきり言ってくれるから、ってのが大きいです。いつからか私たちは自分のストレス発散の機会を失っていって、それがたまりにたまってもう抑えきれなくなってしまったのでしょうか?

これって時代のせいなの?技術が発展して、全てが早く、密度が濃くなってきたから?

ふーむ、どうだろう。

でも感情に振り回されるのは仕方が無いとも思います。私だって今、キャンプの企画で忙しいと”あーもう面倒くさい”とか、”なんでこうなるの?”とか思ってイライラすることはあります。しかし、責任のある仕事をしている分、そういう感情に振り回された判断をしてはいけません。

でも、英国の人は感情で判断をしてしまったし、アメリカの人の多くもその方向に向かっている。英国の人は結果を見てようやく自分の一票の責任に気がつき、再投票を求めている。自分の持つ力というか責任に気がつかない人がいるのは悲しいですが、それ以前に、もう感情しかに影響されないぐらい追い込まれている人たちがたくさんいる世界になっているのが悲しいというか。そんなに今の世界は絶望的なのでしょうか?

 

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甘いものばかり家に増えると大変なので、この間はウィンナーパンを作りました。

 

いろいろと考えが巡りましたが、最後にもう一つ思おうこと。そうだ、参議院選と都知事選はちゃんと投票に行こう。ようやく投票できるようになったのだし、自分の一票だって小さく思えても影響のある、重要な一票になるのだろう。感情ではなくて、冷静に考えて、一票を投じたいと思います。

明日は朝早いので今日はここら辺で失礼します。

それではまた来週!

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やっぱり私はまだ”大人”ではないようです

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”夏休み”のはずなのに全然休めてない柚子です。相変わらず寝不足な毎日を過ごしています。

先日かのさんがブラウンを、そしてブラウンの熊たちのブログを卒業されました。これでブラ熊の設立当初のメンバーはいなくなったことになります。これからは新しい世代が引き継いでいきます。正直、設立当初を知る先輩方のいないブラ熊を、今までのように続けていけるか不安が多いです。だから今いるブラ熊のメンバーは設立当初のメンバー以上にがんばらないといけないと思っています。また、先輩たちが作り上げてきていくれたものを大切にすると共に、思い切って変えていく勇気も必要だと思います。どんなに頑張っても、私たちは卒業された先輩たちにはなれません。同じことをただ続けていたら、衰退していってしまうだけです。きっとブラ熊は変わっていくと思います。しかし今までと同じようにたくさんの読者の方に支えられながら、自らも成長できる場であり続けられるようにしたいです。

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梅雨に入り、あじさいが綺麗な季節

 

かのさんの卒業記事を読んで思いました、”なんて落ち着きのある、美しい文章なのだろう”と。

”忙しい忙しい”と言って予定を詰めて、”これがこうなったらどうしよう?”とか心配して、”あー大変だ”と思って、やりたいことをやっているはずなのに、なんか常に焦っていて。何こんなに頑張っているんだろう?そもそもこれって頑張っているって言うのか?ただ無駄に忙しくしてがんばっているふりしてるだけなのではないか?考えだけ先走りして、とにかく日々新しいことを行って突き進む毎日。

もっと自分のことを客観的に見て、落ち着いてものを判断するスキルを、かのさんのブログから感じました。物事がルーティン化して”日常”となっていくのは、一見なんだか刺激のなくてつまらない毎日に聞えますが、それって経験を積んだ人にしかできない事だと思います。今の私は日々の変化に対応していくのに精一杯で、なぜ、何のために今していることをしているのか考える間もなくす過ごしている気がします。毎日が”日常”となっているからこそ落ち着いて自分と向き合う時間が取れて、物事の細部まで目が届くようになる。

なんだか自分の未熟さを感じさせられます。ただ毎日必死に生きているだけで、実際自分と向き合えてなくて。そもそも私は落ち着けない性格なのかもしれませんが、私の”日常”を見つけたいです。

 

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”Training is different from teaching”

鍛えることは、指導することとは別物だ

先日、お世話になっているディーベート・スピーチのクラスのTさんがおっしゃりました。

私はこの言葉にはっとさせられました。

今まで学校は学びの場であって、社会に出て行くための準備の場所、つまり自分を鍛える場所だと思っていました。しかし”学ぶ”と”自分を高める”ことは実は全然違うことで、学校は教えてはくれるけど鍛える場所では無いのだと気がつきました。そして考えてみると、失敗してもかまわない、必ずしも結果を出さなくて良くて、いろんなことを試せるいわば”練習の場”って世の中にあまり無いんだなと思いました。Tさんは自分のことを”先生”とは言いません。そして私が参加しているディベート・スピーチ”クラス”も”クラス”とは言わずに”練習場”と言うのを好みます。一見同じように聞えて全く違う、”training”と”teaching”。

ブラ熊はある意味、私にとって日本語の文章力や意思の表現力、曖昧な表現ですが”私”という存在を鍛える”training”の場である気がします。これからも失敗とか成功だとか、気にしすぎずに自分を信じて発信したいと思った等身大の姿を書いていきたいです。

 

更にTさんはこうおっしゃりました。

”人と差をつけるには、人がやらない事をやり続けるしかない。だから僕は人と違うことをやり続けてきたんだ。”

成功している人や憧れの人を見ると、関心して自分も同じようになりたいと思うし、同じことをやればある程度の成功は保障されます。その反面、人がやらないことをやるのって、未知の世界に飛び込むので不安が大きいです。しかしそれを信じてやり続ければ自分だけのものになって、人と差がつく。当たり前だけれど、勇気のある行動です。ブラ熊の先輩方のような、inspiringで心に響いてとにかくかっこいい文章、私も書いてみたいと思いますが、真似したところでそれは”私”ではなくなってしまうし、そもそも真似できません。先輩方が”人と違う”ことをやり続けてそれぞれ個性のあるブログを書いていったように、私も、人と違う、”私”を確立していきたいです。

 

最後に質疑応答のトレーニングのセッションでTさんにこんな質問をしてみました。

”ずっとやりたいと思っているけれど、まだできていないことは?”

するとTさんはこう答えました。

”私はいつも70%ぐらいで満足しているから、そういうのは無い”

ちょっとお驚きました。しかし彼は70%で満足しているから向上心が無いわけではなく、むしろ常に新しい試みに挑んでいます。100%どころか、120%のことを実際は達成しているように見えます。今あるものに満足しながらも、好奇心と向上心を常に持つ。”あれをやらなくては!”と常に果たされていない目標へ向かって必死になっている私にはできないことです。

 

”刺激の多い日々を過ごしたい”と以前ブログに書いた気がしますが、こういう風に人生の先輩の方々の話を聞いて、自分の考えが浅いことに気がつきました。私もいつか、落ち着いて”日常”を過ごせるようになるのでしょうか?やっぱり大人は大人なんだなと思わされた一週間でした。

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いい意味での違和感

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どーもどーも。健太です。

 

久しぶりの登場です.

 

前回の投稿から時間が空いた分、書くことがたくさんありそうなので、今日は少し長めに書きたいと思います。

 

まずは僕のコーヒーショップでのとある会話からお聞き(お読み?)下さい。

 


 

Processed with VSCOcam with b5 preset恒例、「記事には関係ない写真で近況報告」のコーナー。建築の授業の最終課題の模型。

いつも通りコーヒーショップで僕が店番をしていると、一緒に働いている1年生の男の子(A君)が、店番をしにやってきた。その時お店にいたのは、僕とその男の子ともう一人の1年生の女の子(Rちゃん)。Aくんは経済を専攻する予定で比較的生真面目な男の子、RちゃんはUrban Studies(都市計画)を専攻する予定で、いわゆる文化系な女の子だ。

 

僕は経済のクラスの宿題があったので、店番をしながらペンを片手にうんうんと唸っていた。

1年生の2人はというと、僕の後ろで世間話に花を咲かせていた。

 

宿題の一番の山場をむかえ、あーでもないこーでもないと考えていると、ふと2人の会話が耳に入った。

 

「古典学とか文学を専攻にする人って、何考えてるんだろうね」

 

気になって振り返ると、それを聞いたRちゃんが唖然として、口をポカーンとあけていた。Rちゃんの反応を少し気にしながらも、Aくんは続けてこう言った。

 

「僕が思うに古典学とか文学って、他の学問に比べると学位が取りやすいと思うんだよね。必修科目も少ないし。そもそも大学に高いお金を払ってまで、勉強するものなのかな?自分で本を読めば学べることがほとんどだし、僕の経験から言って国語の授業でするディスカッションから何かを学んだことなんてほとんどないんだよね。せっかくブラウンにいるんだったら、ブラウンにいるからこそ学べる学問を専攻したほうがいいんじゃない?しかも古典学も文学も学位をとっても就職につながらないしさ。だから古典学とか文学を取ろうとしてる友達を見ると、なんかイラッとするんだよね。『こっちは必死に勉強してんのになんでこいつ楽しようとしてんだよ』って思っちゃってさ。」

 

 

Processed with VSCOcam with c1 preset 15年ぶりくらいの野球観戦。レッドソックスvs.ヤンキース。結果はレッドソックスの大勝。おとなりの某ヤンキースファンはため息をついてました。

 

ふむふむ。なるほど。面白い。この時点で僕は宿題に取り組むのをやめ、2人の会話に参加することにした。

ここにいわゆる「ブラウンっぽい学生」がいたらどうなっていたか、今考えると冷や汗がでるが、幸いその場にいたRちゃんは、とっても寛容な子だったので、Aくんの意見に驚きつつも、こう返した。

 

「古典学や文学への考え方は人それぞれだし、個人の考えだからそれは置いとくにしても、なんで友達に対してイライラするの?」

 

そう言われるとAくんは少し黙ってしまった。そしてしばらくしてからこう続けた。

 

「確かにイライラするのはちょっと筋違いかもね。でもねブラウンは校風的に古典学や文学みたいないわゆる『リベラル・アーツの代表格』みたいな学問を持ち上げすぎてると思うんだ。僕は経済を専攻しようかと思ってるけど、専攻について聞かれた時に、経済って答えると、明らかに『つまんないやつ』みたいな反応をされることがあるんだよ。」

「なるほどね。でも古典学や文学を専攻する子たちに非はないんじゃない?あと国語の授業でディスカッションをして学ぶことがないって言ってたけど、なんでそう思うの?」

「だって、本なんて一人で読めるじゃない。わざわざ集まって感想を言い合ったって、個人の解釈の違いを確認するだけになるだろう?」

 

 

そう言われると、今度はRちゃんが黙ってしまった。ちょうど来店したお客さんにコーヒーをサーブしながら考えこむと、彼女はこう続けた。

 

「私の親友がね、今コロンビア大学に行ってるの。コロンビアでは1年生の時に全員必修の授業で、1冊の本を読むらしいんだけど、その授業では何十年も同じ本を取り扱ってるんだって。その授業を取り終わった友達が、この間何十年も前に卒業したコロンビアの卒業生に会った時に、その卒業生も同じ授業をとっていたことを知って、本の解釈をめぐってディスカッションをしたって言ってたんだ。これを聞いても、あなたは本を読んで議論することが無意味だって言える?」

「ふーん。そっか…. 何か結局自分でも何を言いたいのか、わからなくなってきたな」

 

Rちゃんの友達の話を聞いたAくんは、またもや黙ってしまった。しばらく沈黙が続いたので、僕も感じたことを言うことにした。

 

「Aくんの意見はとっても面白いと思った。でも僕の感じたこととは正反対だったな。Aくんは『古典学や文学は自分で本を読めば勉強できる』って言ってたけど、僕は古典学や文学みたな学問が一番、「自分で本を読んで勉強する」のが難しい学問な気がする。むしろ経済とかコンピュータサイエンスのほうが、自分で勉強しやすい学問なんじゃないかな?僕も2年間でいろいろ授業を取ったけど、一番クラスに必死に行ってディスカッションにもしっかり参加していたのは、歴史とか映画の授業だった気がするよ。そうしないとついていけない気がしたから。」

「なるほどね。確かに経済とかの方が自分で勉強しやすいのかもね…」

 

沈黙を破ろうと思って話をしたのに、Aくんは余計にだまりこくってしまった。

しばらくするとRちゃんがAくんにこう質問した。

 

「あなたはブラウンにいて幸せ?」

 

そう聞かれると、Aくんは控えめに「いや、幸せじゃないと思う。」と言った。

 

「リベラルな校風のブラウンには、僕みたいな意見を持ってる学生が少ないから、居場所がない気がするんだ。ここでは僕が少数派かもしれないけど、例えば僕がU Penn(ペンシルバニア大学)に行ってたら、全然そんなことなかったと思うよ。」

「じゃあU Pennに行けばよかったって思う?」

「うーん。それはどうかな…..」

「でもブラウンにいて居心地がいいってわけじゃないんでしょ?」

「まあね。」

 

 

Processed with VSCOcam with f2 presetブラウンのサッカーの大会で優勝。スケジュールの都合上、準決勝と決勝を2時間ぶっ通しでやったため、疲れきっています。おや?右上に見覚えのある顔が?
 

そうAくんが答えると、また少し沈黙が続いた。どちらかというと「ブラウンっぽい」Rちゃんと、あまりブラウンにはいないタイプかもしれないA君という構図。何かが少し引っかかった。

 

「AくんとRちゃんの会話を聞いてると、居心地が悪いことが悪いことのように聞こえるね。なんだかそこ留学生とアメリカ人学生の考え方の違いな気がするな。留学生からすれば、異国の地で大学に通うことは、言ってみれば『居心地の悪いこと』だと思うんだ。言語も違うし文化も違う。それでも僕らはわざわざここまで来ることを選んだ。僕の立場なら、日本の大学に行くほうが遥かに簡単だし、そのほうが『居心地のいい』選択かもしれない。でもあえて『居心地の悪い』アメリカの大学を選んだのは、そっちのほうが刺激的だし、エキサイティングだから。だから案外『居心地の悪い』ことっていうのは、悪いことじゃない気がするんだよね。」

 

そう僕が言うと、Rちゃんは少し目を丸くしてこう言った。

 

「そんな風に考えたことはなかったな。私はブラウンの校風が自分の肌に合うと思ったから、ここに来たし、居心地がいいかを基準に大学を選んだから。」

 

その後も議論は派生して、結局1時間ほど話しっぱなしだった。

 

Aくんがお店を出て行く間際に、僕は「ほとんどの学生が、Aくんみたいな意見を聞いたら、目くじら立てて怒り出すかもしれないけど、なかには僕みたいに面白いと感じる人もいるだろうから、自分が他の人と違う意見を持ってるからって、意見を言うことをやめないでね。」と言った。Aくんは「大丈夫。やめないよ。言い方は考えなおすけどね。」といってお店を出て行った。

 


 

 

はい。ということで。

いかがでしたか?

あなたはAくん派ですか?Rちゃん派ですか?

 

 

僕はこの会話がブラウンのいい部分も悪い部分も切り取っていると思うのですが。

 

ブラウンは他のアイビー・リーグの大学などに比べると、比較的リベラルな学校ですし、明確なカラーがあるというよりは、多様な個性を持った学生が集まっている学校だと思います。

それでもどこかに、「ブラウンっぽさ」みたいなものはあるわけで。

 

「哲学を勉強しながら、コンピュータサイエンスも勉強します」

という学生のほうが、

「経済と会計を学んで取り敢えず銀行に就職したいです」

という学生よりは多いはずです。

 

多様性を語る上ではついてまわる問題ですが、極端な思想を排除することは、果たして多様性といえるのでしょうか?本当の意味での多様性を実現するには、肌の色や性別や文化の多様性だけでなく、Aくんみたいな考えも進んで受け入れるような、「考え方の多様性の尊重」も必要だと思います。そして「Aくんみたいな考え方は間違っています」という風に反応するのは、全く建設的ではありません。

全然次元が違いますが、「ドナルド・トランプのいうことはおかしい」と言っても意味がないのと一緒です。

 

これはあくまで僕個人の考え方ですが、人は、自分と違う考え方を持った人から学ぶことの方が、同じ考え方を持った人から学ぶことより多い気がします。自分と対極にいる人から学べることは、たくさんあると思うのです。そしてそういった類の学びは、「居心地の悪さ」「違和感」を避けていては、絶対に得ることができません。

 

全く違う切り口の話ですが、僕が大好きなミュージシャンで、常に様々な楽器を使って楽曲を制作するトクマルシューゴさんも、自身の音楽についてこんなこと仰っていました。

 

shugo-tokumaru違和感たっぷりの楽器が写り込んでおります。(Photo

インタビューアー:トクマルさんの曲は、ちょっとギターの音が歪んでいたり、すこしずれた拍手が入っていたり、そういうものが放り込まれた違和感があると思うんですけど。

 

トクマルさん:僕の中では違和感というのはすごく重要で、僕はいろんな楽器を使っていますが、いろんな楽器を使うことが最も重要なことではなくて、それによって違和感を持ち込めるかが重要なんです。

違和感がないもの、例えば、いつも吸っている空気とかには、誰も感動しないじゃないですか。でも山頂に登ったときに吸う空気には感動する。そこにはいい意味での違和感が生じると思うんです。違和感は解消されたら面白くないと思うんですよね。

 

確かに人が苦労してわざわざ山に登ったりするのは、日常では味わえない「違和感」を味わうためなのかもしれないですね。

 

そういった「違和感」や「居心地の悪さ」を味わうためといってはなんですが、この夏、僕はルワンダに行くことになりました。皆さんどこにあるかご存じですか?

 

ちなみにこんなとこにあります。

 

map_rwanda(Photo)

 

アフリカと聞くと、こんな絵を想像するかもしれませんが、

 

39883(Photo)

僕が行くのは首都のキガリというところで、アフリカでも指折りの都会な街なので、決して森の中で野宿をしたり、ゴリラやキリンと生活するわけではありません。

 

IMG_2236キガリはこんな感じ。
 

でもなぜ突然ルワンダに行くことになったのか。

 

ことの発端はというと、とあるアメリカのコーヒー会社のインターンへの応募がきっかけでした。

 

昨年の夏にも応募を考えたインターンだったのですが、いろいろと事情があり断念。今年になって応募し、インタビューなどを経て、結果発表という運びでした。

 

「結果を伝えるにあたっていろいろと話したいことがあるから、スカイプしましょう」とメールが来て、内心「これは合格なのか、不合格なのか」とビクビクしながら、スカイプをしました。

 

緊張のスカイプコールが始まるやいなや、「とりあえず結果から言うと、うちでインターンをして欲しいと思っています」と言われました。しかし喜ぶのもつかの間、次にこう言われたのです。

 

「いろいろ社長とも話し合ったんだけど、あなたの場合はすでにコーヒーに関わる経験があるみたいだから、本来のインターンシップ・プログラムじゃなくて、違うプロジェクトに参加してもらおうかと思うの。」

 

もうちょっと喜ばせてほしいと思いながら、一気に緊張が走りました。しかし採用担当者は僕の緊張を気にすることもなく、こう続けました。

 

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「この夏、ルワンダに行く気はない?」

 

 

「なんだその旅行会社の広告みたいなセリフは」と一瞬ツッコミを入れそうになりましたが、次の瞬間に驚きが押し寄せてきました。そして驚きに頭が支配されつつも、この会社がルワンダにオフィスを構えていて、現地でプロジェクトを展開していることを思い出しました。

 

「でもアフリカなんて行ったことないし」「病気とか大丈夫なんだろうか」

「アメリカでインターンするつもりだったのに」

 

そんなことが頭をよぎりそうになりましたが、気づいたら「もちろん、行きます。」と答えていました。

 

なんの詳細も知らないまま、承諾してしまった僕ですが、今は予防接種を打ったり、現地のスタッフの方と打ち合わせをしたりと、なんやかんやで忙しく準備を進めています。今になってやっと実際のプロジェクトの内容や、自分の役割などが明らかになってきたのですが、今思えば、自分でもなぜ何もわからない状況で、即答したのかわかりません。

 

でもきっとそれは「アフリカで貧富の差に苦しむコーヒー農家の人を救いたい」と思ったからでも、「このプロジェクトを通して、少しでもコーヒーのサプライチェーンを改善し、コーヒー業界に寄与したい」と思ったからでもないと思います。

 

多分「ルワンダにいる自分なんて想像もつかないけど、その経験から自分は何を学べるんだろう」という純粋な好奇心が、即答につながったのだと思います。

 

東京で育った僕にとっては、ルワンダはある意味究極の「居心地の悪い」場所かもしれません。ルワンダでの経験はきっとたくさんの「違和感」の連続でしょう。でもそこから自分が何を学べるのかが、楽しみで仕方がありません。

 

というわけで、コーヒーショップでの会話からルワンダまで、無理やりつなげましたが、今日はこんな感じで。

 

少し長くなりましたが。

 

ルワンダへの思いは募るばかりですが、まずは目の前の期末試験と最終課題をやっつけます。

 

 

それではまた来週!

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イタリア語で読む村上春樹と、ノルウェーのラーメン

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春よ来い、春よ来い。

 

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連呼して本当に来るなら、お経のように唱えたいこの頃です。

 

4月に入ったというのに、割としっかり目に雪が降り積もっているプロビデンスからお送りしています、ケンタです。

 

春休みも終わり、またいつもの生活に戻ってきています。

 

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春休み最終日は、ジャズピアニストの上原ひろみさんのトリオプロジェクトのコンサートに行ってきました。バークリー在学中にデビューした上原さんですが、卒業以来の凱旋公演ということもあり、なんだかとても嬉しそうでした。

 

演奏自体は、ここ数日のニューイングランドの天気のようで、とってもエモーショナルな演奏でした。トリオプロジェクトのアルバムは全て拝聴してきていますが、最新アルバムのSPARKは、トリオとしての円熟味も増し、聴き応えのある一枚になっていますので、是非気になったら聞いてみてください。ただし耳を癒すためのスムースなジャズでは全くないので、心してから聞いてくださいね笑

 

 

さてさて。

 

今日は最近読んだ本から派生して考えた事について書こうと思います。

 

 

春休みということもあり、大学の課題からも解放されていたので、久しぶりに本腰を入れて読みたい本を読むことができました。3~4冊ほど読破したのですが、その中から1冊を取り上げたいと思います。

 

 

Processed with VSCOcam with c1 preset写真は関係ないですぜ。

それがこちら。「村上春樹とポストモダン・ジャパン: グローバル化の文化と文学」

ふと大学の図書館に立ち寄った際に目に留まって読んでみたのですが、その中でもある章にビビッときたので、それを取り上げようと思います。それが第1章の「グローバル化の文化と文学」です。

 

この章で著者は、グローバル化が世界の文学にどのような効果をもたらしているか、ということを論じているのですが、その具体例として村上春樹さんを取り上げています。

 

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村上春樹は、その初期の海外での受容において、翻訳の問題を色々取りざたされた。まず、もちろんその理由として、今日では常識となっているが、村上の翻訳が海外において、非常に売れているということがある。(中略)この広い受容においては、文学としては、村上は世界でも圧倒的な存在のわけだが、だからこそ、その翻訳には重要な意味がある。(中略)文学作品の翻訳は、何が正確で何が不正確な訳なのか、何が正しくて何が正しくない訳なのか決定するのは非常に難しいので、抽象的なレベルで、どのような翻訳が許され許されないのか、原作者はどのような翻訳を望むべきかを議論しようとしても答えが出るはずもない。

 「村上春樹とポストモダン・ジャパン: グローバル化の文化と文学」より

 

そう前置きした上で、著者はこのような疑問を投げかけます。

 

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たとえば、ひとつの極端な思考実験として、日本には相当数のアンチ村上がいて、対して、イタリアならイタリアで、村上の新作が非常に高く評価され、多く売れたとするとき、日本とイタリアではどちらが村上をより正確に評価していると言えるのであろうか。あるいは、それが、イタリア一国ではなく、ヨーロッパの数カ国であったら。イタリアでは、イタリアなりの読みを「正しい読み」として提示することはできないのだろうか。(中略)村上をきちんと理解していると言えるのは、それを日本語で読む日本の読者であろうか、それとも熱狂的な海外の読者なのだろうか。

「村上春樹とポストモダン・ジャパン: グローバル化の文化と文学」より

 

 

とても興味深い問いかけな気がします。

 

ちなみに英語、日本語、中国語をネイティブレベルに話す事のできる友達は、村上さんの作品を3カ国語で呼んだそうですが、日本語、英語、中国語の順で好きだったと言ってました。

 

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「作者の意図を正しく理解できるか」という観点からは、村上さんが日本語で作品を執筆しているので、日本語で読むのが、村上さんの文体や言葉遣い、文章の息遣いのようなものを感じるのには適しているのかもしれません。

 

上で紹介した本で、著者は村上さんのことを、「アメリカ文学を日本語で書く作家」と位置付けています。僕自身は文学的に作品を分析した経験がほとんどないので、素人目線での議論にはなりますが、確かに村上さんの作品の多くは、舞台設定となっている日本の都市と、海外の都市を入れ替えてたとしても物語が成立するケースが多く、その作風は古典的な日本の純文学とは大きく異なっていると思います。

 

もし村上さんが「アメリカ文学を日本語で書く作家」なのだとしたら、彼の作品に質のいい英訳が施された時、村上さんの作品をより理解しやすくなるのではないでしょうか?上の本でも紹介されていましたが、村上さんはデビュー作である「風の歌を聴け」の最初の数ページを英語で書き、その後日本語に訳していたそうです。

 

村上さんの中に本にしたい物語があり、村上さんがたまたま日本人だったために、それがたまたま日本語という言語を使って紡がれただけであって、もしかしたら英語で書かれていた方が、より正確に、鮮やかにその物語を紡ぐことができた可能性もあったわけです。もちろん、語られる物語が日本固有の文化や文学的表現と密接に結びついている場合もあるでしょうが。

 

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この翻訳問題は、決して文学作品だけで起こっているわけではありません。例えば近藤麻理恵さんの「人生がときめく片付けの魔法」という本は、英訳されアメリカでベストセラーになりました。日本でも話題になっていたとは思いますが、それ以上のムーブメントを海外で起こしたのです。

 

そして書籍だけでなく、この問題は多分野で見受けられます。例えば「カリフォルニアロール」と「江戸前寿司」。どちらも全く違う歴史的・文化的背景を持っていますが、立派な寿司。ここまでくると、どちらが正しい、正しくないという議論をするのは馬鹿らしく思えてきます。

 

 

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村上さんの小説しかり、お寿司しかり。その国固有の文化や芸術が、比較的容易に他国に向けて発信できるようになった現代社会では、一つの作品に対して多様な評価や解釈が生まれたり、文化が異国で独自の発展を遂げたりする可能性があるのです。

 

ここ数年クールジャパンという言葉が生まれたり、日本の文化を世界に向けて発信する動きが活発になってきています。その動き自体はとても素晴らしいことだと思うのですが、日本の文化や芸術を海外に持って行く時に、必ずしも元々の文化や芸術をそっくりそのまま再現しなくてもいい気がします。

 

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例えばノルウェーにラーメン屋さんを開こうとした時に、日本と全く同じ食材を手に入れることは不可能に近いでしょうし、それなら現地の食材を使ってノルウェー流のラーメンを開発したほうが良いでしょう。長い目で見た時に、ラーメンという食べ物の発展にはその方がいいでしょうし、もしかしたら日本にノルウェー流ラーメンが逆輸入される日が来るかもしれません。

 

Processed with VSCOcam with f2 presetブルックリンにある日本食屋さんでランチ。

 

文化や芸術や伝統芸能と言われる類は、積極的に世界に輸出して、それぞれ独自に発展してもらうことで、日本では起こりえない文化の発展を起こせるのではないでしょうか。もちろん国内では、これまで通りの形で文化を守り続けていけばいいのです。文化の原点自体は国内で維持し、独創的な発展は他国に担ってもらうというのが、現代における有機的な文化発展の形なのかもしれません。他国への輸出を通して、日本では廃れつつあるような文化も、新たに生まれ変われるかもしれないですし、他国で独自に発展を遂げた日本文化を日本に逆輸入することもできるでしょう。

 

人材も全く同じこと。同じ「作品」であっても、「翻訳」によって評価が変わるのであれば、同じ「人間」でも、「異文化」に身を投じれば、違う形で評価されるかもしれない。そして今の時代は恵まれていることに、比較的簡単に異文化に身を投じることができる。別に日本で認められなくても、欧米で評価されなくても、例えばミャンマーで必要とされているなら、ミャンマーに行けばいい気がします笑

 

「世界で活躍したい」なんていうと、ちょこっと曖昧かもしれませんが、「自分の才能が役に立つ国に行きたい」と言えば少し具体的になります。最も役に立つ才能が何なのかは、自分で探さなくてはいけませんが笑

 

今日はこんな感じでいかがでしょうか。

 

最後に春休みに読んだ本をもう1冊だけ紹介して終わります。

 

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「火山のふもとで。」という作品。

 

本の装丁がとっても素敵ですが、内容もとても素敵。久しぶりに一気読みしました。ちなみに著者の松家さんの他の2作品も、もう直ぐ読み終わりそうです笑

 

それではまた来週

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思わぬ来客

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こんにちは、メイです。

 

今週はちょっと(いやだいぶ)課題やらテスト勉強やらに追われていまして、手短に写真と先々週末のお話だけして失礼致します(汗)

 

前回はついSpace Horizons 2016でテンションが上がってしまいすっかり忘れてしまっていたのですが、実は週末での出来事はまだ続きがあったのです。

 

というのも、遥々日本から中高時代の友人がアメリカ旅行のついでにブラウンに遊びに来てくれました。昔から知っている人に大学を案内するのって少し照れくさいですね。部活の試合に親が応援に来ている感覚でした。

 

良いとこ見せたいけど、頑張りすぎているところを見られるのも恥ずかしいというか。

 

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何がともあれ、「ここは日本か」と錯覚するほどの雰囲気で休日が楽しめましたので、友人T君には感謝しています。

 

それではまた来週!

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琥珀の鏡に映るもの。

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どーもどーも。

 

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健太です。

 

 

月曜日は、雪のおかげで学校が閉まっておりました。

 

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こんなにこんもり。そういうケーキみたい。

 

というわけで昨日はほとんど外には出ず、寮の中で課題をやってました。

 

 

さてさて。

 

 

今日の記事は、なんだか昨日のキアの記事と若干内容が被りそうですが悪しからず。

 


 

 

突然ですが、皆さん。

 

 

毎日続けていることってありますか?

 

日記、犬の散歩、ヨガ….. なんでもいいのですが。

 

先日友達と話している時に、友達が

 

「この前ある人に、『毎日自分が好きなことに当てる時間を決めて、必ず少しでもいいからその時間を確保しなさい』って言われたんだよね。」(毎日だったけ、1週間だったっけ?)

 

と言っていました。

よく聞く格言といえばそうかもしれないですが、きちんと考えてみると、これを全うするのってかなり難しいことだと思うのです。

 

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例えばあなたの好きなことが絵を描くことだとして、それを毎日10分でもいいから続けてくださいと言われたらどうでしょうか?

 

中々大変な気がします。

 

もちろん、それぞれの人が好きなことが毎日続けるものとして簡単な場合と、難しい場合とあるとは思いますが。

 

うーむ。

 

少し話がそれるかもしれませんが、僕は自分の苦手なものの中で一二を争うものに、日記があります。

小学生の頃、夏休みに日記を書かされた人も多いと思います。僕もその1人でした。

でも恥ずかしながら、いつも三日坊主で夏休みの最後の1週間になり、思い出しながら40日分くらいの日記を書いてました笑

 

 

英単語をたくさん覚えている時もそうでした。

「毎日2ぺージ分ずつ単語を覚えよう!」と思っても、なぜかいつも10ページずつ覚える羽目になっていました。(ちなみにTOEFLもSATもそんな感じで乗り切ってました)

 

勉強に関しては完全に追い込み型です。とにかく毎日コツコツやるのが大の苦手です。

 

そんな性格ですから、例え好きなことであったとしても、僕は「毎日続ける」というフレーズがつくと、途端にハードルが上がったように感じます。魔法の言葉です。

 

 

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話は戻って、友達との会話。

 

そんな日記のことやら英単語のことやらを思い出しながら、

「確かに好きなことでも毎日続けるのって大変だよなあ」と思ってました。

そしてふと、「自分が毎日続けていることってなんだろう?」

 

と思いました。

うーん… と30秒ほど考えて。

 

「就寝前の読書」と「コーヒーを淹れること」だけであることに気づきました。

 

そして何故その2つが続いているのか考えてみると、「確保されているか否か」というのがキーであることに気づきました。

 

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僕の場合、どんなに忙しくて時間がなかったとしても、コーヒーを淹れる5分より何かが優先されるということはありません。1日大体2~3回はコーヒーを必ず淹れますが、この時間だけは、いろいろな物事の優先順位を飛び越えて確保されています。

コーヒーが好きだと言うと、「ああ飲むのがね」と思われるかもしれませんが、僕にとっては淹れることの方が飲むことよりも大切です。もちろんん飲むのも同じくらい好きですけど。

 

就寝前読書も然り。どんなに眠くても、毎晩寝る前に1ページでもいいから本を読みます。徹夜してる時はどうなんだと思うかもしれませんが、僕の場合徹夜になりそうになっても、15分くらいは仮眠をとるので、その仮眠の前に本を読んで寝ます。どんな状況でも、寝る前にベッドにいる時間は必ず存在するので、これも確保されているのです。

 

 

キアの記事に1時間何も考えずにベーグルを食べられるか、という話がありましたが、僕の場合、コーヒーを淹れるときは、なるべくコーヒーのことだけを考えてコーヒーを淹れるようにしています。

 

たかだか5分の間です。

 

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でもその間に、豆を計って挽き、お湯を沸かし、器具を温めていく中で、少しずつ気持ちがコーヒーに向かい、実際にコーヒーを抽出しているときは、ほとんどコーヒーのことしか考えていません。

 

高尚な言い方をすれば、僕にとっての豆を計ったりする行為は、書家が硯に向かって墨をするのに似ているかもしれません。少しずつ雑念を払って、コーヒーのことだけを考える準備をしているような感じです。

 

4年も5年も同じ動作を毎日繰り返していると、当然ながら身体にその動作が染み付いてきます。いわゆる目をつぶっていてもできる、というやつです。

 

でも面白いことに、そんな身体に染み付いている行為でさえ、気持ちが乱れている時に行うと、見事にその乱れが味に出ます。

 

たまに、ほとんど何も考えずにコーヒーを淹れて、実際に飲んでみると「あれ?なんかおかしいな?」と感じることがあるのですが、そういう時は大概、気が散っていたり、自分のキャパ以上のことをこなしていたりする時です。

 

逆にいろいろなことがうまくいっていて、自分に余裕があると、イメージ以上の味が作れたりします。

 

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つまり、自分よりコーヒーの方が、自分のことをよく知っていたりするのです。

 

コーヒーを飲んでやっと自分が疲れていることに気づいた、ということが今までに何度もあったりします。

 

不思議なものですが。

 

だから僕は、自分の生活に対する明確なボーダーラインとして、

「コーヒーを美味しく淹れられなくなったら終わりだ」と考えています。

 

就職して、たとえ息つく間もないような激務をこなすことになっても、机に一日中かじりつくことになっても、イメージのわかないような大金を動かしていたとしても、はたまた肉体的な労働をしていたとしても。おいしいコーヒーが淹れられていれば、そしておいしいコーヒーをおいしいと思えていれば、とりあえず自分の生活は安定しているなと思えるような気がします。

 

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「何かに追われる生活」から、人はある種の充実感を得ることができます。

あの大学に入りたいから。

この授業でAを取りたいから。

仕事で○○を成し遂げたいから。

あんまり人種で人を一般化するのは好きではありませんが、日本人は、目標を設定して、それに向かって努力をするのが得意な傾向がある気がします。

ただその分、何かに追われることが目的になり、何がしたかったのかを見失う可能性も高いのかもしれません。

 

自分を見失わないためにできることは、いくつかあると思いますが、「何にも追われていない時間」を確保するのは、かなり有効な手段だと思います。

 

というわけで。

 

「毎日続けていることがあるよ!」という皆さん。なぜ続けているんでしょうか?

是非教えてください。

 

「いやいや継続っていう言葉が一番苦手です」という皆さん。何か始めてみてはいかがでしょう。

 

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何も思いつかない人には、手始めにコーヒーを淹れることをオススメしておきます笑

僕は僕でランニングが毎日続けられるように頑張ります!

 

また来週!

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そこに残るもの。

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“Well, and I told myself at some point – let’s first try to forget everything we’ve learned, meaning everything about art history and all the trainings we’ve had and so forth. And try to come up with what’s left. And for me actually, what was left was pretty simple.
It was myself, my body, and the earth, and time.”
「今まで学んできたことを全て忘れた時に何が残るか。その問いかけに対する自分の答えはとてもシンプルだった。それは、自分自身、自分の身体、この地球、そして流れている時間だった。」

・・・・・

 

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昨晩行ったCharles Simondsというアーティストのトークで、彼は自分が制作活動に向き合う時の想いについてこう話していた。今まで学んできたことを全て忘れた時に何が残るのか。

 

学校から学び、
職場から学び、
人間関係、友人、家族から学び。
沢山の場面で、というか全ての場面で、私たちはなんらかの「学び」を手にし、何かを吸収している。
知識。知恵。教養。学び。学び。学び。
自分が思っているよりもずっと、私たちの毎日はその「学び」とかいうもので溢れているような気がする。
溢れかえって、そこら中に転がっているその「学び」とやら。
それらを全て忘れた時に何が残るのか。

 

今まで21年の人生で「学生」として生きて来た私は、学校という施設の中で勉学に励み、知識を吸収し、そのコミュニティーに属しながら人々と接し。それを元に自分の考えを構築してきた。そしてそれらから、自分のアイデンティティーのようなものを構築してきたのかもしれない。
高校生の時に芸術制作に初めて真剣に向き合うようになって、絵を描くことの楽しさやその動作が持つ不思議なパワーに気づいた。少しずつ、自分が好きなこと、ワクワクするもの、そういうことが積み重なるように自分の身体の中で塊のように固まっていって。
ブラウンで美術史を勉強し、自分でするものづくりではなく、他の芸術家の作品について学び始めた。その結果、歴史という観点から芸術に向き合うことがどういうことなのか、教えられる機会を得る。

 

こういう「今まで学んできたこと」。
それらから自分は何を得たのだろうか。逆に、それらによって自分は何を失ってきたのか。
「自分」というものが、どのように変化してきたのだろうか。
それらを自分の中から取り除いた場合、何が残るのだろう。

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きっとそこに残るのは、
何かを見た時、聴いた時、何かに触れた時、
「自分がこう考えた」ということではなくて、「自分がこう感じた」ことなのではないか、と。
感性というものは、生きてきた年月の中で自分が触れ合ってきたものがベースとなって出来上がるものなんじゃないか、という人もいるかもしれない。
私も確かにある程度はそうだと思う。や、というか大賛成。
でも、Charles Simondsが言っていたことをアートという観点からみると、なんだか違うものが見えて来るような気もする。

 

綺麗な星空を見た時に、
白い壁に掛かる一枚の絵を見た時に、
誰かから生まれる声と誰かが奏でる楽器の音が生み出す一つの曲を聴いた時に、
「あぁ綺麗だなぁ」と思うこと。「あぁ切ないなぁ」と思うこと。「あぁ好きだなぁ」と思うこと。感じること。

 

この感情は、なんだかとても純粋な気がする。
色んなしがらみや難しいことや頭の中をグルグルと巡るものから遠いところで、自分がとても動物的に反応している瞬間のような気がする。
自分の脳みそが「こうだ!」と主張してくる感じじゃなくて、なんというか、もっと自分の肌が何かを感じて、身体の中のなにかがグラグラと揺さぶられて、ギュギュッと何かが締め付けられるような気がする。
それはきっと、
たとえ「今まで学んできたこと」を忘れて、
「自分自身、自分の身体、この地球、そして流れている時間」だけが残ったとしても、私はずっと感じ続けるものなのではないだろうか。

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冬休み中、バキバキになった身体を労わるため整体に行った時に、そこの整体師の人が話していたことをふと思い出す。
「整体って仕事は、人間の身体のシンメトリーを探して保つために存在するものだと思うんです。でも長年この職を続けてきて、今考えると、人間のとってのシンメトリーって、綺麗に50:50ってわけじゃないかなって。ある時に気づいたんです。誰かにとっては48:52かもしれないし、55:45とかかもしれない。人それぞれなんですよね。そう気づいた時に、この仕事とか、人間そのものってすごく興味深いなって思ったんです。」

 

”シンメトリー”というものは、「平均のとれた、均等なこと」ということではなく、
「自分が心地良いと感じること」なのかもしれない。
「自分が美を感じること」なのかもしれない。
そしてその、人それぞれ、一人一人が感じる”シンメトリー”は、
自分が生まれ持った感性や、感覚や、才能や、身体そのものを象徴するものなのかもしれない。と。
きっとそれは、
すべてを自分の脳内から取り除いたとしても、残るものなのかもれしれない。と。
残って欲しいものだなぁ。と。

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ベビーシッターの旅

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こんにちは、メイです。

2015年最後の水曜日投稿となりましたが、ただいま電波状態が最悪な上、三歳児(いとこ)を背中であやしながら書いているので写真だけ置き逃げします(^^;)

 

わたしは今、どこにいるでしょうかっ?

 

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じゃん。

 

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じゃじゃん。

 

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じゃじゃじゃん。

 

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答え合わせは、次週のブログのお楽しみにします!

そして、みなさま良いお年を!来年もよろしくお願い致します(^^)

 

それではまた来週!

 

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計算機科学(コンピューターサイエンス)の授業を受けた学生の末路

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こんにちはー。

まだ少々風邪を引きずっている巴基です。

 

余談ですが、先日AMPに入っているピアノの学生たちのコンサートで弾かせてもらいました!撮影者の柚子に感謝 ^_^

動画は時間ができたらYouTubeに載せます。

 

それまでは去年僕がロサンゼルスのSteinwayのホールで演奏した月光のソナタ全楽章を聴きたければ是非:

 

で、本文ですが最近あり得ないほど忙しいので今回の記事は僕のここ数日間について書いてみました。(人生初の勉強付けの徹夜含む)

 


 

12月6日日曜日、午後4時。

ピアノの練習を終えた学生は寮に戻り、友達と応用数学の宿題を始める。

学生は本当はほかの友達と計算機科学(コンピューターサイエンス・CS)のプロジェクトを一緒にやる約束をしていたが、応用数学が翌日までということでプロジェクトは後回しにすることに。

 

午後7時。

宿題をやり続けて疲れ切った学生は食堂に行き一人で晩御飯を食べる。今日の晩御飯は美味しいなーとか思ったりする。

 

午後8時半。

友達と再び会い、応用数学の宿題を再開。

 

午後10時過ぎ。

ようやく応用数学の宿題を終えた学生はコンピューターサイエンスのプロジェクトをやるために別の友達とともに勉強用のラウンジへ。

プロジェクトの内容は、四目並べのゲームを作ること。ゲーム何て言うと楽しいんじゃないかとか思う人がいるかもしれないが、学生はコーディングの量と難しさから、「ゲームというものは楽しいものだと思ってたよ。。。」と思わず愚痴がこぼれる。

 

12月7日月曜日、午前3時。

友達が食堂でとっておいたM&Mをつまみ、頭が痛くなったら風邪薬を飲み、何とかここまで頑張ってきた学生。とうとう友達が寝るといって帰ってしまった。

一人のラウンジ。
静かなラウンジ。

恵まれている環境だが、ストレスMAXの状態でひたすらコンピューターと向き合い、頭をひねる。

 

午前6時。

コンピューターの電源が切れそうだったのでチャージャーを取りに一度部屋に戻ることに。その後別のラウンジに行き宿題を続ける。

なんか頭がふらふらしてきた。集中力も限界をとうに超えている。でもプロジェクトの締め切りは午後10時だということは変わらない。そもそもその締め切りも与えられた”一日遅れて提出してもいい券”みたいなものを使って得たものだし。

 

午前7時。

流石にもう限界に達した学生は仮眠をとることに。

 

午前8時45分。

起床。

 

午前9時。

今学期最後の応用数学の授業を受ける。

 

午前10時。

今学期最後のコンピューターサイエンスの授業を受ける。最近はコンピューターサイエンスの授業だけは宿題をやりながらチラ見ばかりだったが、今日は金曜日に引き続き教授の話を聞くことに。最後になってやっとまたちょっと面白いと思える授業を受けることができたと学生は思う。ここ1か月はコンピューターサイエンスの授業では何も学ばず、毎クラス宿題に没頭する始末。何か本末転倒だと思うが何せ時間がないので致し方ない。

 

午前11時。

ブランチにフォーを食べながらコンピューターサイエンスのプロジェクトの続きをする。

 

午後2時。

中国語の授業を受ける。寝ないように頑張る学生。

 

午後3時。

コンピューターサイエンスのラボの時間。プログラムの実行時間の分析。わからないところがあるので、ラボを仕切っている教授の助手を呼ぶために挙手。このラボに2人いるにも関わらず結局1時間半待っても助けは来ず、ラボは自分で後で終わらせなければいけない羽目に。学生のストレスレベルがLimit Break(ファイナルファンタジー7をやったことがある方いませんか?)。

 

午後5時過ぎ。

ラボを”終えた”学生は友達の部屋に行き、コンピューターサイエンスのクラスメイト達と共にプロジェクトに没頭。

 

午後8時半ごろ。

午後10時締切で全然プロジェクトが終わっていない上に全然進まないのでとうとう学生は頭を後ろの壁に打ち付け始めた。友達にやめるように言われたのでしばらくして辞める学生。しかし集中力は完全に切れ、ストレスがたまり、おまけに睡眠不足なので集中力0。

 

午後9時。

あきらめて晩御飯を買いに。

 

午後9時15分。

ラウンジに移り、晩御飯を食べながらクラスメイト達とプロジェクト再開。

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寮にある何個かある勉強用ラウンジの一つ

 

午後9時53分。

コードの一部が上手く作動していないが、時間がないので提出。

 

午後10時。

学生のクラスメイト達はプロジェクトのお祝いを祝福。全員部屋に戻る。その頃学生はというと次の日までに提出の歴史の論文を始める。

 

午後11時。

全く書けていないまま以前から約束していたので先輩に歴史の論文を書くにあたってのアドバイスを聞きに。非常に興味深く、役に立つアドバイスをくれた。

 

午前12時。

集中力補充のため、近くのクレープ屋さんで砂糖バタークレープを注文。しかし食べた後でも全く集中力が戻らない。

 

午前1時。

あきらめて就寝。目覚ましを午前5時と7時半(予備)にかけて寝る。

 

午前8時半。

目覚ましがなるのに気づかないという初めての経験をし、やばいやばいと論文を書き始める。

 

午後2時。

論文を書き始めたが疲れたので息抜きにこの記事を書く。

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サイエンスライブラリー、略してサイライ。期末試験(ファイナル)の時期だけあって図書館には人が多い

 

そして今、その学生はこの記事を書き終えたことでやる事リストからやる事が一つ消え、リストの次の項目の今夜12時提出の歴史の論文を終わらせるために集中力を高める。

 

そして思い出す。

 

そういえば明後日の夜提出のコンピューターサイエンスの期末試験が今晩ウェブサイトに載るんだっけ。。。(溜め息)

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僕の趣味たち

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こんにちは!

 

今もなお火曜日に始まった風邪を引きずっている上に今週が宿題的にも土曜日にピアノコンサートがある点においてもやばいことになっている巴基です。。。柚子、今週曜日代わってくれて本当にありがとう^_^

 

先週読者の方々のコメントを読んだところ、やはり自分の個性がそこまで出ていない(そして写真が全然足りない。。。)と思ったので今回は写真付きで僕の趣味について勝手に語っちゃおうと思います!

 

1.ピアノ

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ブラウン大学のAMP学生用のピアノの一つ

 

ピアノを弾くことは今までもこれからも僕の一番の趣味です。小学校2年生ぐらいの時に弾き始めてから一度も辞めようと思ったことはありません。前回の記事で書いたように他人との付き合いが苦手だった僕にとっては、言葉を使わずに自分を表現できる音楽はすごく楽しく感じました。始めた当初から個人レッスンを受け始め、今でもブラウン大学のAMP(Applied Music Program)を利用して個人レッスンを受けています。今は、音楽が引きだしてくれる自分の感情、そして逆に自分の感情を音楽に上手く入れられるように毎日ピアノを練習しています(大学に入ってからはたまに宿題が多すぎて休むけど。。。^_^;)。

補足:AMPはまず学年が始まる前にオーディションで2曲異なる時代の曲を演奏し、受かれば720ドルを払って12回分の個人レッスンを受けることができるというプログラムです。720ドルは1学期分ですが、大学のクラスの半分のクレジットをもらえる上にレベルの高い指導を受けられるのでお金の価値は十分あると思います。ちなみにAMPに入った場合、2年生を終えるまでにセオリークラスを一つ取らなければならないのですが、学年が始まる前にテストを受ければより高いレベルのセオリークラスを代わりに取れたり、セオリーではない音楽のクラスを代わりに取れたりします。

 

2.クラリネット

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カーネギーホールでの演奏の写真、僕は下の写真の真ん中辺にいます

 

多分これからはピアノに専念したいのであまりやりませんが、小学校4年生の時からクラリネットもやっています。高校3年と4年の間の夏では2週間のヨーロッパ演奏旅行に行かせてもらい、4年生の時は学校の吹奏楽バンドがニューヨークのカーネギーホールに招待されたので春休みにカーネギーホールで演奏しました。パパ、ママ本当にありがとう!!

 

3.テニス

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ブラウン大学のインドアテニスコート

 

最近あまり出来ていませんが、テニスも小学校2年生の時に始めました。個人レッスンを受けてないので今でもフォームが滅茶苦茶、ボレーも全然だめですが一応高校2年と3年は高校のJVチームでプレイしていました(JVはいわゆる”2次リーグ・Bチーム”です)。

 

4.旅行

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ニューヨークの夜景

 

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カリフォルニアのとあるスキー場にて

 

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スイスのマッターホルン

 

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で、スイスに来たらやっぱりこれでしょ(笑)

 

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長崎の平和祈念像

 

旅行!!家族の影響もありますが、日本に住んでいないので日本の事を知るために日本を旅行したいという願望は昔からありました。もう本当にいろいろな所に連れて行ってもらっていて親に感謝してもしきれません。。。

 

5.大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii U

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僕のツイッターのプロフィール写真。スーパーマリオギャラクシーより右がロゼッタ、左下がチコ。スマブラでは二人合わせてロゼッタ&チコというキャラクター。僕のスマブラのメインキャラクター^_^ ロゼッタについて詳しくはこちらを参照してください。

 

先日近くのスマブラ大会で5位を獲得し、すごく嬉しかったです^_^ スマブラはちょうど大乱闘スマッシュブラザーズ for 3DS/Wii Uが発売された去年の秋ごろにはまり始め、スマブラを持ってもいないのにプロの対戦動画やテクニックをオンラインで探しまくって上達してきましたが、ようやく少し実を結んで本当にうれしかったです!

補足:ちなみに大会はダブルエリミネーション制です。このシステムについて知らない方はこちらをクリックしてください。WBC(ワールド・ベイスボール・クラシック)もこのシステムを使っています。ちなみに僕は野球観戦も好きなので、第一回と第二回のWBCで日本が優勝した瞬間は今でもよく覚えています^_^

 

6.グルメ

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僕の最初の投稿にも出てきたお父さんが作ったウニスパ(殴

 

こちらは完全にグルメで料理が上手なお父さんの影響です(笑)。でもやっぱり日本のどこを旅行しても”やっぱり日本は旨いものがたくさんあっていいなー野菜もみずみずしくておいしいしー”とか思ったりするので皆さん、野菜はちゃんと食べましょう!アメリカのより全然美味しいんですから。

 

7.合気道

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合気道はブラウンに来てから始めたものですが、本当に楽しいです^_^ バランスが付きますし、足腰を鍛えられますし、何より上半身を全く使わなくていい武道!!上半身筋肉0の僕にぴったりだと思いました。高校から気になっていたんですが、ブラウンに来て合気道クラブがある上にそれが正式な合気道道場。。。もうこれこそDream Come Trueですね。

 

8.剣道

2015 October 21 Kendo Club (first time wearing gi)

ブラウンに来る前に親から運動不足にならないようにとさんざん注意されたので剣道も始めました。昔から剣が好きだったので剣の使い方を習うのは結構楽しいです。これですべての練習に行った場合は週に5日、1時間半から2時間当たり武道をやります。宿題やほかの課外活動をやっている身には正直かなりきついです。皆さんがブラウンに来た場合は課外活動は僕みたいに4-5個みたいな馬鹿げたことはせずに2-3個程度にしておきましょう(笑)

 

という訳で僕の趣味について書いてみましたが、皆さんは僕と同じ趣味がありましたか?それと、こんな自分の事しか書いていない記事で大丈夫だったでしょうか?自分の趣味の事や次に書いてほしい記事など、コメントお待ちしています!

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