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日本人として知っておくべきこと

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とにかく遊ぶ!と決めた冬休み。そんな日本での日々ももう残すところ…4日!?

結局一度も開かなかったフランス語のテキスト、探さなかったインターン。予定を入れすぎたからだろうか、未だに治りきっていないようにも感じる風邪…。もっとやるべきことはあった気もするけれど、いろんな人と会って、話して、とても充実した冬休みを過ごしています。

 

”で、トランプさんはどうなの?”

人に会う度にこう聞かれた。秋学期中はあれだけ学校内で騒いで、友達と話して、いろいろ意見を交わしていたはずなのに、私は上手く答えられなかった。聞かれる度に自分が見てきたブラウンの大統領選へ対する様子は限られていて、もっと学ぶべきことはあるのだと痛感させられた。

そもそもなぜ、経済も政治も国際関係も勉強していない私に、こんな質問をするのだろうか?それはきっとただ単に”アメリカにいたから”だと思う。”ブラウンという限られた場所にいたから”という言い訳は通用しない。日本にいる身からすれば、アメリカはどこにいても”アメリカ”で違わないんだから。

 

”ゆうこちゃんに見せたいものがある”

こう祖父に冬休みの始めに言われ、先日ようやく遊びに行く暇ができた。すぐ隣の駅に住んでいるのだけれども…。

”日本人として、これについては海外の人にも伝えられるように知っておかなくてはならない”

そう言って差し出したのは、2011年3月12日の朝刊だった。そう、東日本大震災の翌日の新聞。

”震災のとき、どこにいた?”

どうやら、もうそのときは留学していて、震災を経験していなかったと思っていたらしい。日本の学校にいたことを話すと、それなら話が早い、という風になり、全部は読まなくとも見出しだけでも読んでみなと言った。

その新聞は、さずがに少しヨレッっとしていたけれど、当時の緊迫感がしみじみと伝わってきた。こんなに見出しを大きくできるのか、と思うぐらいの大きい見出し。内容は”助けて””今どこ”など、あまりにもシンプルすぎる。後で賞を受賞した写真に、今はあまり見られなくなった生々しい被害の様子の写真。確認できている死者は当時はまだ千人程度。原発の状況も、まだ分かっていない。

 

”こんなの、どこにも無いと思うよ。”

続けて夕刊、そして13、14、15日の朝刊・夕刊を差し出す祖父。祖父はあの日からずっと新聞を保管し続けて、さすがに今ではだいぶ処分したけれど、今でも2011年3月11日から6月まではすべて取っておいてあるらしい。その後は切り抜きが残っている。

祖父は昔から詩を書いていて、そのほかに文章や絵も描きます。私がまだアメリカに住んでいた頃に一緒に行ったカナディアンロッキーの旅は10年以上もかけて記録をまとめて文章にして、誰よりも詳細を覚えている、そんな祖父です。彼は福島出身なこともあって、東日本大震災には強く影響を受けました。

 

”あの日から、詩はピタっとやめたんだ。”

このような出来事は、詩では表しきれない、だから今度は小説を書いているとのこと。そして正確な出来事を書くために、過去の新聞を見て、事実を確認しているところだとか。

 

”短歌が、一番この出来事を表現するのに適している。”

そういって、祖父の小説の冒頭に引用されている短歌を見せてくれた。俳句は身近すぎず、詩は長すぎる。だから、不思議なことに、短歌が一番思いが詰まっていて、かつシンプルで、良いんだとか。確かにそこに引用されている短歌は力強かった。しかし、震災の背景を良く知らない後世に伝えるには、詩の方がより説明が多く、分かりやすいのでは?と私は思った。

 

いつも自分の作品を見せて、いろんな話をしてくれる祖父。手で飛んでいる鳥を捕まえた話や卵を守るキジの羽を後ろからなでた時の話など、一見くだらない話に思えてそうでない話をしてくれる祖父。私はアメリカに行ってから、考え方が成長したと言う。それを評価しながらも、日本人の考えを孫の私に教えてくれているのだろうと思う。”日本人として知っておくべきこと”を学びに行ったはずが、それ以上のことを学んできた気がする。

 

”今は固定概念は通用しない世界だからな。”

そういう祖父も、その証拠の一つとなっている気がする。よく、”昔の人は考えが古い”とか言うけれど、祖父からはなぜかブラウンの人たちと似たようなものを感じることがある。

 

アメリカに戻ったら、日本について、どんなこと聞かれるだろうか?そのときに、しっかりと答えることはできるだろうか?そもそも、外国人は日本について関心を持ってくれるのか?もしそうでなければ、どうやったらもっと関心を持ってもらえるだろうか?

さあそろそろ、勉強モードに切り替えようか。

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【クマタチの教室】やっぱり自分は日本人だな~と思うとき

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右見て、左見て、右見て…あやうく車にひかれそうになった時。

あ、そうか、ここはアメリカで、右側通行なのだと改めて思った。日本に住んでいて気づかぬうちに身についていた習慣に気づき、”ああ、やっぱ日本人だな~”と感じる。

 

この間、にんじんの事実を知った時。

アメリカでは良くスナックとして食べられる”Baby Carrots”。名前の通り、赤ちゃんのように小さいにんじんがパックに入って売っていて、みんな生のままボリボリ食べている。

このにんじん、実は普通のにんじんを小さく加工したものだと、初めて知った。

衝撃でした。

えっ?嘘?小さいにんじんの品種が本当にあるんじゃないの?機械で加工されているなんて…そんなのありえない!えっ?だって機械で加工しているんだったら、何で全部少しずつ大きさや形が違うの?嘘でしょ?

驚く私に、アメリカ人の友達は笑ってました。

でも確かに、あんなに小さいにんじんが畑で生えているのを想像すると…なんだか笑える。こんなこと知らないなんて、やっぱ日本人だな。

 

the-truth-about-baby-carrots

気になる方はネットで検索してみてください。

 

ルームメイトに”夜中、日本語で叫んでるよ”と言われた時。

え?そんなに寝言言っているとは…。

でも夢が日本語ってことは、やっぱり日本語が母国語なのか。

やっぱり自分は日本人だな~。

 

食事をする時。

必ず手を合わせて”いただきます”と言わないと、なんだか違和感を感じる。

日本人として、必ず”いただきます”と”ごちそうさま”と言うように育てられたからか。

日本人ならではだな~と思う。

 

背の順に並んだ時。

アメリカではいつも一番小さくて列の前の方だったのに、日本に帰って列の後ろの方に入れられた。小学校3年生だった私が感じた、日本人の背の低さ。

そして今でも日本ではLサイズでもアメリカに行くとSか時にはXSサイズ。

 

道を渡るのに車が止まってくれた時。

片手を上げるのが一般的かもしてないが、ペコッと少し頭を下げてお辞儀をしてしまう。これじゃあ運転手には感謝の気持ちが伝わっていないかも…。でも自然と身体がこう動いてしまう。

 

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図書館の窓からの眺め。キャンパス中の横断歩道や交差点は信号があっても無くても日中は大混乱。

 

友達に連絡をする時。

メッセンジャーでも、スカイプでも無く、LINEを使う。

アメリカ、韓国、中国、台湾などそれぞれの国で一般的なチャットアプリがある。だからLINEを使うと、日本人だな~と感しる。

 

たぶんもっとあるけど、今思いつくのはこれぐらい。

 

他のブラ熊のメンバーには

・見た目/ファッション

・言葉遣い/話し方

・手先の器用さ

・しっかりしてる

・学生鞄

・Facebookで日記的な投稿が多い

 

と言われました。確かに、見た目に関しては日本人の友達に”純日本人に見える”と言われたことがある。言葉遣いというのは、友達でも敬語を使ってしまうところのことだろうか?そしてFBに日記的な投稿が多いって(笑)

 

img_20161027_201727

姉が高校の時に買わされたけど全く使わなかった補助鞄。使わなくちゃ勿体無いでしょう?パソコンもちょうど入るし、床に置いても立つし、本入れるのにちょうど良い形だし…学生鞄ってこんなにも良くデザインされているんだなと感じてます。

 

みなさんはどんな時に”やっぱり日本人だな~”と思うでしょうか?

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アカウント名はburakuma_brown

日々の生活を写真を通して紹介しちゃいます!

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【クマタチの教室】あの頃も寒かった

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未だ10月。ハロウィン前だというのに、寒いです。

指先が冷え、火災報知機がなるから決して部屋に置かれることのない暖炉の前で優雅に温まることを妄想する日々が近付いては、中学1年の冬を思い出します。

 

バスケ部に入部して数か月。

 

ミーテイング中はコートを着てはいけないという決まりを、雪が深々と降る季節でも守る女子バスケットボール部。目の前には先輩がずらっと並んでいて、スカートと靴下の間に出ている膝小僧の感覚がないことを忘れる程の厳しい言葉を頑張って飲み込んでいました。

 

中学生だった私にとって、学生生活の中でも「部活」という世界はとても刺激的で、ブラックホールのようにあっという間に自分の時間と体力を吸い込むものでした。

 

「派手な色のエナメル(部活用のカバン)は使ってはいけない。バスパン(バスケ用のズボン)は黒か紺でなくてはいけない。練習前に全面雑巾がけを終わらせてないといけない。」 一体どこの誰が決めたのだろうという、代々受け継がれるルールの中、3年間わたしは「上下関係」というものを痛いほど教わりました。

 

今思えば、あんなに恐れていた先輩も、当時は自分の(だいぶ年の離れた)妹ぐらいだったと思うと、あの3年間はなんだったんだろうなと微笑ましくなります。

 

***

 

「礼儀・言葉遣い・人との接し方」

 

全部、中高時代にやっていた部活動から学んだもの。そして今となっては意識せず反射的に表に出る自分の「日本人」らしさです。

 

さすがブラ熊メンバー。個人的にはしっくりきています。

 

「あなたの日本人らしいところは何ですか」って聞かれた時に、私も自分で真っ先に「目上の人や他人との接し方」って答えるから。

 

でもそれは、日本人は必ず礼儀正しくあるべきで、上下関係を崇拝するべきだという考えからではありません。

 

おそらく、幼い頃に抱いていた、「帰国子女」という強みが通用しない世界で認められたいというワガママからきた「クセ」だと思います。

 

話をバスケに戻しましょう。

 

入部当初、自分の代で私は一人だけ帰国子女でした。

 

しかし、海外経験があるからってバスケ部の顧問も先輩も知ったこっちゃありません。ドリブルができるのか、シュートは的確か、スタミナはついているのか。そんなことよりもまず、応援の声はちゃんと出るのか、時間厳守で動いているか。

 

部活中は英語の「え」の字すら出てきませんでした。

 

嫌になるほど厳しい毎日だったはずなのに、何だか少しホッとする時間。

 

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       秋(冬)晴れです。

 

ドリブルの技を覚えた時。シュートが連続して入るようになった時。ランニングのタイムが上がった時。どれもこれも「帰国生」である自分とではなく、バスケプレーヤーとしての自分が成し遂げているように思えました。

 

「めいは英語の試験は勉強しなくていいね」、「英検なんてすぐとれちゃうね」から始まり、「留学も元から話せるなら大丈夫だね」、「他のことに没頭できる時間があっていいね」。

 

こう言われる度に、とてもとても贅沢な悩みではあるものの、何だか自分の今までやってきた事が無条件に「帰国子女」であることで片づけられていた気がしてたまりませんでした。

 

「わたしは英語がない環境でもやっていける」

 

帰国生として、周りの目が良い意味でも悪い意味でも気になりだした中学時代は、このような自分を人にアピールするのに精いっぱい。形から入ることの多かった私は、何よりも言葉遣いや他人と接する時に立ち振る舞いに力を入れていたような気がします。

 

***

 

だいぶ思い出話を盛り込んでしまいましたが、つまり「日本人」って何なのか。

 

偶然にも去年、の記事で似たようなテーマの下、記事を書いていました。

 

結論から言うと、やはり去年も書いているように、「日本人」というはっきりとした定義はありません。アイデンティティーは複雑で、個人の感覚によって違います。

 

ただ一つ言えるのは、日本特有の礼儀作法や言葉遣いは、「日本人」同士で交流するのに便利だということです。過度な上下関係が良いか悪いかは別として、敬語が使える人に嫌悪感を抱いたという人に、少なくとも私は会ったことがありません。

 

 

 

日本語を取っているルームメートはいつもこう言います。

 

「言語は、その国特有の文化を教えてくれるから好き。」

 

敬語はなんでこんなに複雑なんだーと嘆きながら宿題をこなす彼女ですが、最終的にはこのようにして自分を落ち着かせています(笑)

 

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「敬語があるのは日本語ぐらいじゃない?アメリカでは、上司にwill youって言ってもwould you って言っても気にされないからね。めいは英語を話していても物事を遠回しに言うことがあって、日本人だなーってそういう時は思うよ!」

 

「日本人って何だろう?」という質問に対して彼女はこう答えました。

 

敬語を使える人だけが、「日本人」というわけではもちろんありません。使わないけど「日本人」ってオーラの人もたくさんいます。でもどこかで、「使わなきゃ」って焦る人もいます。多分この焦りこそが、海外からの目を含め、世間一般的に言われる「日本人らしさ」なのかなと思います。単純すぎでしょうか。

 

いつの間にか、日本特有の言語に悩まされている。

 

これまで何千、何億もの人が想いを伝えるための手段として使ってきたものなのに、悩みのタネとなる。この複雑さでこそアイデンティティー。

 

***

 

というわけで、「クマタチの教室」まだまだ続きます!

 

みなさんのご意見、ご質問お待ちしております!今回の「日本人って?」というテーマについてのご意見はこちら

 

また、ブラ熊公式インスタも開始しました!キャンパスの風景から夕飯の内容まで、気まぐれにメンバーが投稿しています。

 

それではまた来週!

 

P.S. 最近ネタ切れ状態でございます。「物理・哲学ってぶっちゃけ楽しいの」とか「目玉焼きにかけるのはケチャップ?醤油?」など、ご意見・ご質問絶賛募集中です!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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私の中の「日本人」

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こんにちは、メイです。

 

サンクスギビングはブラウンにいながら、ピーマンにやられたり、課題に取り組んだり、友人と食事をしたり、ピーマンにやられました。

 

そして早いことに12月突入!!!クリスマスもあと少しですね!!

切り替えて、わたしは今からピーマンレスなクリスマスを楽しみにしています。笑

 

今週はピーマン…ではなく、「日本人」について考えてみました。

 

***

 

「外国人かぶれしていないね。」

 

先日、知り合いの方からこのようなお言葉をかけていただきました。

確かに今までの人生の1/3を海外で過ごしている身としては、自分でも比較的日本人要素が強い方かなと思っています。

 

運動部の名残なのか礼儀作法や敬語は常に意識するよう心掛け(日本人以外の人がしていないというわけではないのですが)、髪を染めたりピアスをあけたりすることにもあまり興味がないのでしていません。もちろんこのようなことが決して悪いというわけでもなく、「外国人かぶれ」が何かという具体的な定義もありません。

 

そもそも、「日本人」って何なのでしょう。

 

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日本に住むことなのか。日本国籍を持つことなのか。

日本人の血を受け継ぐことなのか。

日本語を話すことなのか。

「日本人らしく」おしとやかで礼儀正しくあることなのか。

 

これらの内一つでも欠けていると日本人ではなくなってしまうのか。

 

わたしは留学生活を通して様々な「日本人」と出会ってきました。ずーっと日本に住んでいて、海外は初めてだという人。幼少期だけ海外で過ごしたという人。日本にずっと住んでいるけどインターに通っていたという人。生まれも育ちも海外だという人。もっと言えば、日本国籍ではないけど流暢な日本語を使いこなし考え方も「日本人」らしい外国人。様々な人に会えば会うほど、ここまでが日本人だ!と線引きするのは容易ではありません。

 

そう考えている内に、遠い昔の思い出がふと甦ってきました。

 

***

 

夏の日差しがまだ残る9月頃。

イギリスの小学校、初日。

 

向こうの学校制度に合わせていたため日本ではまだ年中さんだったわたしは、ワケも分からずYear 1 (イギリスで言う小学校一年生)から始めさせられ、教室に入るまで自分は学校にいるのか保育園にいるのか分かっていなかった。

 

話せる英語と言えば、数か月前に公文で習った「アップル」と「チェア」ぐらいで、挨拶ともなれば朝でも夜でも「グッド・モーニング」。周りが何て言っているかなんてさっぱり分からなかったが、とりあえず担任の先生が優しそうなおばさんで安心したことだけは覚えている。言葉こそ通じなかったものの彼女はすぐに私の不安げなオーラを察したのだろう。私を安心させるためにある日本人の男の子(M君)をこちらに呼び掛けた。

 

先生は何らかの指示をM君に出し、彼も分かったと言うように頷いた。「レッツゴー」的な事を言われたわたしはM君の後についていき、席に案内してもらう。

 

よかった、いざとなれば日本語で話せる友達がいると思い心を躍らせたのもつかの間、「お名前は何て言うの?」と聞くと、

 

「ancmnnchrwejpjlanlnjiwjqqdjyrpajn,dbvuh」

 

と自分には聞き取れるわけがない呪文のような返答が返ってきた。

もちろん彼の名前がそうであったわけではなく、今覚えばきっと彼はわたしに何かを説明しようとしていたのだろう。いくら日本語で話しかけても、理解不能な呪文のような英語が返ってくるばかり。

 

「もしや、M君は日本語が話せないのではないか。」

 

そんな考えが頭をよぎった。そして話しかければ話しかけるほど英語で溢れかえる返事を聞きながら、その考えは確信へと変わった。

 

IMG_1063

 

イギリスに渡るまで日本で、日本人としか過ごすことのなかった当時のわたしは、見た目も国籍も日本人であるにも関わらず親とかと英語でしか会話のできないM君を不思議がり、しまいには可哀想だとまで思ってしまった。

 

今振り返ってみれば、とても大きなお世話だったのだろう。

いくら事実上M君が日本人であろうと、それを受け入れるか受け入れないかは本人次第。英語を母国語とする自分の方が彼は彼らしいと思っていたかもしれないし、日本語が話せなくても自分は日本人だという納得していたかもしれない。もう会うこともないから知る術もないが…。

 

 

私だって、毎日「自分は日本国籍を持っていて、両親は日本人だ」と思いながら生活しているわけではない。「日本人らしさ」というものの定義もはっきりさせていないままだが、周りに「あなたはなに人ですか?」と聞かれれば「日本人です。」と答えるだろう。

 

でもそれって、誰かが定義した「日本人」を名乗っているわけではなくて自分が思う「日本人」を名乗っているだけなのだと思う。

 

上手く言い表せない。

 

けど、上手く言い表せないからこそ私の中の「日本人」って結局自分の感覚に左右されるものだと実感する。

 

決めるのは両親でも、周りの友達でも、社会でもない。私以外、いない。そう思う。

 

IMG_1064

たしかに、わたしが自ら自分は日本人かどうかなんて宣言したところで、現状は変わらない。パスポートは嫌でも日本のものだし、日本以外の国にいれば外国人扱いになる。でも、わたしが宣言する「日本人」は、世の中で定義されている「日本人」より何だか透き通るようにハッキリしている気がする。自分の納得のいく「日本人」だからだろうか。

 

きっとM君にも、日本語が話せなくても彼なりの「日本人」という自分が存在していて、わたしがとやかく言う必要なんてないのだろう。

 

極端な話、全く日本と関わりのない外国の人にだって「日本人」の欠片があるかもしれない。周りがその欠片を認めなくとも、本人が「日本人」だと思っていればそれでいい。もしかしたら、毎朝チュンチュン鳴いているそこのスズメにだって「日本人」が存在するかもしれない…。

 

***

 

結局のところ、「日本人」のちゃんとした定義は分からない。

ただ、社会的に受け入られている「日本人」によって自分が誰なのかを周りに決めつけられるよりかは、自分なりの「日本人」を胸張って言える人が増えることを願うばかりだ。

 

そう思えば「外国人かぶれ」であることも、本当はその人の素の自分を表しているのかもしれない。「日本人」の度合いが世の中で認められているほど少なかったり、失いかけていたとしても、それがその人の生きる道。外国人かぶれ万歳ではないか、うん。

 

IMG_1062

みんな「日本人」の定義が違って、みんな良い。

みんな「日本人」の欠片の大きさが違って、みんな良い。

みんな違って、みんな良い。

 

皆さんにとって、「日本人」とは何ですか??

ご意見やご質問、お待ちしております!

 

それではまた来週!

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