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高校を卒業する前だったから、2年前の春のことだっただろうか。ロシア人の友達と、”卒業後は何をするか”とか進路について話していた。お互いもうアメリカの大学から合格の通知は受けていて、残すは最終試験だけって所だったけれど。ロシア人の彼には一つ迷っていることがあった。それは入学を一年間遅らせて何か他のことをする、いわゆる”Gap year”をとるかとらないかであった。

”いいね、やれば良いじゃん!”

私が促すと、彼はこう答えた

”うーん…そうしたい気持ちは山々なんだけど、アメリカとロシアの関係っていつどうなるかわからないから…。もし入学一年遅らせたら、その間に関係が悪くなって入学できなくなったりしないかが心配なんだ。”

….

このとき、私はこんな心配が存在することを初めて知って驚いた。しかし自分の中では”そんな、ロシア人の学生がアメリカの大学に行けなくなるほど、1年の間に大きく国際関係が変化することは無いだろう”と思った。

 

あれから二年。信じられないことが起こった。それもいとも簡単に、一人の男によって。ロシアではなかったけれど、ムスリムの国7カ国の国民のアメリカへの入国が制限されたのだ。私は直接影響を受ける訳では無いけれど、対象の7カ国から今アメリカの大学に勉強しに来ていると知っている高校の頃の友達の顔が頭に浮かぶ。世界の注目が、とあるツイッターアカウントに集中する。

 

何だろう。

悲しい。

 

前はよく、歴史の教科書や戦時中が舞台のドラマなんかを見たりして、”あの頃に生きた人は大変だったんだろうなあー”とか他人事のように思っていた。自分の生きている間に、そんな歴史の教科書に載るような大きな出来事なんて起こらないだろう、と。しかし最近はそうでも無い気がする。6年前、部活中の体育館であの大きな揺れを感じた時からだろうか?それとももっと前、突然学校に母が迎えに来て、無残に崩れる高層ビルをテレビの画面で見た時からか?

 

自分は、歴史的な瞬間を生きている。

最近はそう自覚するようになった。

 

雪の次の日、晴れるとなんとも爽快

 

さて、私の感情や、専門知識の無いことについて語るのはここまでにして、もっとちゃんと分かっていることについて書きたいと思います。ということで、今学期の授業を紹介したいと思います。まだ宣言はしていませんが、この間ようやく専攻を決めました。“Science and Society”と言って、直訳すると”理科と社会”….なんだか小学校の教科に聞えてしまいます。だからと言って英語が分かる人に言っても”は?”って顔されます。簡単に説明すると、”理科の歴史”です。実はこれはそんなに珍しい学問ではなく、ハーバード等では名の知れている独立した学部もあります。

ScienceとSociety(日本で言えばいわゆる理系文系?)は二極化して見られがちですが、社会の中ではどうかかわって、お互いどのどのように発展してきたか、ということを学びます。なかなか理解しにくいと思うので、これから紹介する今学期の授業の説明の中でもう少し掘り下げて行けたらと思います。

 

SCSO 1000 Introduction to Science and Society

(理科と社会:入門)

その名の通り、私の専攻の入門の授業です。Scienceとは一体何なのか?他の考え方(ways of knowing)とはどう違って、なぜこんなにも私達の社会の中で価値あるものとして評価されるのか?こんなことを考えるディスカッションが中心の授業です。例えば今日の授業では、Popperという哲学者が考えたScienceの定義について話しました。今の世の中で一番Scienceとして認められているのは物理や数学だけれども、生物はちょっと違ったりする。さらに心理学になると、”それはscienceでは無い”と言う人も出てくるが、社会科学の学問の多くは”私達もScienceだ”と主張したがり、その地位を望むのはなぜなのか?

少しはどういう学問か、分かっていただけたでしょうか?

 

CLPS 0040 Introduction to Cognitive Neuroscience

(認知脳科学?認知神経学?入門)

テレビのニュースや新聞で、”○○は脳の××が関係していることが判明”というような見出しの記事を見たことがあるでしょうか?それらはこの分野の研究によるものです。正しくどう訳して良いかわからず申し訳ありません。脳科学と認知科学を合わせたというところでしょうか。私の専攻では、理系科目も4単位必要なので、認知科学の分野を選びました。私にとっては初めて、ちゃんと”教科書”がある授業です。初めて”試験”が中心の授業です。今までの文系科目はいろいろな文献からの抜粋が多く、課題はエッセーばっかりだったので新鮮です。また、私がとったことある授業の中では最大規模の120人なので、初めて講堂で授業を受けます。

今までとった授業の中で、一番理系の授業です。

 

ANTH 0310 Human Evolution

(人類の進化)

この授業も、名前の通り人類の進化について学びます。これはbiological anthropology(自然人類学)の授業で、人類が物理的にどうやって発展してきたかを学びます。”人類学”と言うと文化人類学を思い浮かべる方も多いと思いますが、このようにとても理系よりの分野もあるんです。今はまず、進化論の発展や遺伝の仕組みなどを学んでいます。細胞分裂やら染色体、DNAやRNAなど、高1の生物の資料集を思い出します。今思うと、あれは図解や写真が多くて、とっても分かりやすくできていましたね。メンデルの豆の実験など、懐かしいものが英語に姿を変えて現れてきています。

覚えることが多そうですが、がんばります。

 

FREN 600 Writing and Speaking French Ⅱ

(フランス語で書く、話す2)

相変わらすフランス語は続けています。これが基礎レベルの授業最後となり、これ以上のレベルの授業は文学や政治など、テーマごとの授業になります。そして、この授業を終えれば、フランスに行っても問題なく過ごせる程度の語学力が身につく…はずです。少なくとも、この授業をB以上で終えれば、フランスへの留学に必要な語学力があるとみなされます。私は来年一年間留学したいと思っているので、気が抜けられません。

 

HIST 1825 Science at the Crossroads

(理科の岐路)

秋学期の授業Roots of Modern Scienceの続きです。先学期の経験から、”今学期は絶対に4つしか授業はとらない!”と思っていたはずが、この間受けた授業の続きなので今学期取らなくては!と思い、登録してしまいました。実は、教授は先学期の授業、そしてSCSO1000の教授と同じなんです!彼女の授業は本当に面白くて、とっても好きです。更に、もう一人この授業には教授がいて、彼は私の専攻のアドバイザーの方なんです。今度の授業はアインシュタインから、現代までの理科の歴史を学んでいきます。

 

そして更に…

Religious Literacy Projectというものに参加します。

これは授業では無いのですが、毎週集まるセミナーのようなもので、2週ずつキリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教の5つの宗教について学んでいきます。宗教ごとに、牧師や僧侶など、その宗教に深く関わっている方もいらっしゃるそうです。これは来週から始まります。

 

雪景色の中に…あれ?何か黄色いものが?

 

授業5つ+セミナーを受けることにし、自分で自分の首を絞めることになるのではないかと少し心配ですが、きっとやってみせます。専攻も決めて、ようやく少し方向性が見えてきて、授業同士もかなりお互いに関連してきて、どんどん面白くなってきました。というより、生まれて初めてこんなにも”面白い!”と思える学問を見つけた気がします。今、”一番好きな教科は?”と聞かれたら、迷わず”理科の歴史!”と答えられます。理系・文系選択で迷った高一の頃の私の願いを、こういう形で叶えられるのはうれしいです。今学期はかなり理系よりの授業選択で、初めてのことも多いですが、予測不能なアメリカ情勢にめげずに進みたいと思います。

 

今日行われた、トランプ政権下の環境政策についてのteach in

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世界をより良くする責任

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新年明けましておめでとうございます。

 

昨年末、秋学期の成績を確認してみた。すると、ビジネスの授業の成績がなぜか233%というありえない数字になっていた。配点を見ると、何の間違えがこれの原因になっているのか明らかだったが、最後のエッセイにTAからうれしいコメントがあった。

 

Proffessor Hazeltine please take note of this paper. It is well thought out and quite different from all of the others so I gave it a 3.

(ヘーゼルティン教授、このエッセイを確認してください。とても良く考えられていて、他の生徒とはとても違うので(満点が2点のところ)3点をあげました。)

 

この授業では、8つの短いエッセーを提出しなければなく、それぞれ2点満点で判定された。始めの頃は何を書いて良いのかいまいち分からず、”不十分だからもう一度書きなおしてくれ(0点)”とも言われた授業だったから更に、この最後の3点はうれしかった。

 

The phrase “The Engineer’s Burden” implies that people with advanced knowledge (like people in this class when they graduate) have a special responsibility to make the world a better place.  Do you believe you that you personally have this special responsibility?  Of course, explain your answer.

最後のエッセイのテーマは授業の名前”The engineer’s burden”(技術者の重荷)にちなんで、”教養を得た人は世界をより良い場所にする責任があるだろうか?あなたは個人的にこの責任があると思うか?”というものだった。これに対し、私は”無い”と答えた。せっかくユニークだと言ってもらえたので、その理由を紹介したいと思う。

 

1.”世界をより良い場所にする”ことのは、人によって違うことを指す

“世界(world)”とは人によって違う枠がある。例えば私はブラウンと東京、少なくとも二つの世界に生きている。そしてそれぞれの”世界”にとって”より良い(better)”なことは違う。東京にとっては土地の有効活用として高層マンションを建てることは良いことかもしれないが、いくら学生寮が溢れていると言っても、ブラウンでそんなことをすれば景観も損なうし、決して”良い”ことにはならない。それどころか、”良くない”ことになるかもしれない。だから、”教養を得た人”が”責任”として”世界をより良い場所にする”のでは無く、それぞれの”世界”に生きている人の方が”special responsibility(特別な責任)”を持っている。

 

2.世界を良くするには、必ずしも”advanced knowledge(発展的な知識)”が必要とは限らない

大学を出ていなくたって、自分の生きる世界をより良い場所にした人はいる。例えば、マラウィーのWilliam Kamkwamba さんは高等教育を受けていないのにも関わらず、風車の本を図書館で見つけて自作の風車を作った。これは彼は”ここは良く風が吹く”という知識を持っていたからできたことで、風車からの発電によって家族は夜も活動できるようになり、William Kamkwamba さんが生きる世界をより良くした。だから決して”advanced knowledge(発展的な知識)”は特別ではなくて、どんな形の知識にも価値はある。

 

3.モチベーションが無ければ、世界をより良い場所にはできない

”世界をより良い場所にする”ことが”責任”だと思っていたら、何もできないと思う。心の底から”これを改善したい!”と思わなければ、中途半端になったり、クオリティが欠けると思う。パッションがある人でなければ、問題の原因を突き止めるなどの根気のいる作業はできないと思う。だから”責任”だと思って、ただ”やらなくてはいけないこと”だと思っていたら、何も変えることはできない。

 

結論

私はブラウンから卒業した後、ただ”教養があるから”と言って”世界をより良い場所にする責任”は無い。でも私は”世界をより良い場所にしたい”からそれを試みる。

 

私にとってこのエッセーに書いたことはこの授業だけでなく、秋学期の授業全てから得たもののまとめになったように感じる。正解も間違えも無く、知識に”絶対”は無い。なんだか、今まで学んできたことをdeconstruct(解体)しすぎて、もう何が何だか分からなくなってしまった。

 

親戚同士の新年会で秋学期学んだことを話していたら、”それは将来どう役に立つの?”と聞かれた。やっぱり、大学に行っているからには”将来社会の役に立つ何か”を学ぶ”責任”があるのだろうか?とふと思った。でも答えの出ない、一見何の役にも立たない授業ばかりを今まで受けてきて、後悔はしていないし、確かに得たものはある。だからこれからも自分を信じて進もうと思う。

来学期はいよいよ専攻を決める時。重要な決断です。

 

本年もよろしくお願い致します。

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成功とは?

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かなり久しぶりの投稿になってしまいました、巴基です。

いよいよ期末試験の時期になっているのですが、コンピューターサイエンスという地獄がないせいか意外と普通の生活を維持できています。

 

ただ、普通の生活が維持できているのはいいのですが最近何に対してもやる気が出なかったりアニメにはまったりと典型的な勉強をしたくない学生の気分を味わえてしまっています。なので最近は”ある意味いい経験”とポジティブにとらえて乗り越えようとする自分と、せっかくブラウンに通わせてもらっているのにこんなに時間を無駄にしていて申し訳ないという罪悪感でいっぱいの自分がいる状態です。

 

そんな中、中国語の期末プレゼンテーションで選べるお題の一つに”成功とは?”というものがありました。今の自分を見つめなおすのにぴったりだと思い、このお題を選びました。

 

すると、驚いたことに半数以上のクラスメイトが全員このお題を選んでいました。やはり色々なことにおいて自由度が高いブラウンだけあって、皆それぞれ自身の目標や自身にとっての成功は何かを考えているんだなと感じました。

 


 

成功とは何か。

 

 

成功とは、自分が自身の生活に満足し、自分は幸福だと感じる事。それは人によって基準が異なってくる。

 

 

これは自分を含めどれのプレゼンテーションにも共通していたことです。

ではお金儲けにしか興味がない泥棒が銀行からお金を盗んだ場合、それは成功と言えるでしょうか?親が子供の意思とは関係なく子どもの事を思い医者にさせた場合、それは成功したと言えるでしょうか?

 

確かに泥棒が盗みに成功し幸福感に浸った場合、上記の定義だと成功したと言えるでしょう。しかし、僕は成功は他の人の成功を邪魔してはいけないと思います。成功はすべての人の権利であり、それを奪う権利はだれにもありません。親が子どもの将来を勝手に決めるのも同じことです。子供の将来は子供が決めるものであり、親が出来る事は子どもの人生を決める事ではなくただ手を貸したり助言をしたりそっと見守る事です。もし親が決めることによって子供が不幸に感じてしまっては本末転倒です。

 

僕は別に自分にとっての成功が他人の成功につながらなければならないとは思いません。もちろん実際にそうだったとしたらそれに越したことはないのですが、僕にとっての成功とは”人の邪魔にならないように気を付けながら自分が立てた目標を達成するために日々精進すること”だと思います。

 

僕自身まだはっきりをとした目標を持っていません。それが日々のマンネリ化、そしてやる気のなさに繋がっているんだと思っています。それでも時間は止められません。”ちょっと待って”と言っても、時間は勝手に過ぎていきます。

 

2年生の1学期目もあとわずか。自分の心と相談しながら、自分が本当にしたいことは何なのか模索しつつ、選択肢の数を維持することに集中したいと考えています。

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大学は、勉強しない場所?

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午前9時。フランス語の授業が始まる。教授が来週からはこの本やるよとか、テストを始める前にお知らせをする。

ベーグルをくわえて教室に入る男の子、席に着いてシリアルをバックから取り出す女の子。

結局教授は3回も同じことを繰り返さなくてはならなかった。

 

午前10時。人類学の授業。”なんだかいつもより人数が少なく感じるけど、始めよう”と、5分遅れで授業が始まる。

チラチラ画面が移り変わる前の子のパソコンの画面。友達へのメッセージを送って、ハロウィーンの衣装をネットで探している。

ディスカッションするグループに分かれてから、遅れて入ってくる数人。グループの人に、申し訳ないがまだ名前を覚えていないので自己紹介を頼むと”私いつもここにいないから、覚えてなくとも不思議じゃないわ”と答える4年生。

 

午前11時。ブラウンで有名な教授の一人、Prof. Hazeltineの授業。60人程授業には登録されているはずなのに、いつも30人も来ない。せっかく学期の始めに大きな教室に移動したのに。

教授が話し始めても止まない話し声。何もメモすること無いときにも続くキーボードの音。ディスカッション中心のセミナーのはずなのに、静かな3列目以降。顔はパソコンで隠れてる。

80歳を超えたとても尊敬されている教授が声を上げて発言を促しても、無反応な生徒たち。後ろに座っている人たちが何をしているのかは見えないけれど、おそらく全く授業には関係ないことをしているんだろう。

 

正午。フランス語の会話のセクション。TA(Teaching Assistant)とカジュアルな会話をする。

”今日のテスト、難しかったね。私、提出しない宿題何もやってないから。あはは。”

と笑顔で堂々と宣言するクラスメート。

 

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Roger Williams Park のイベントJack-o-lantern Spectacular。毎年行われる、5千のかぼちゃのディスプレイ!

 

日本の大学ではみんな勉強よりもサークルやバイトばかりで、アメリカの大学はちゃんと勉強すると言われているけれど、本当にそうだろうか?夏休みに聞いた日本の友達の話からすると、彼女たちはちゃんと勉強もしてる。最近は、ブラウンで授業に対するとても”真剣”とは言えないような他の生徒の態度が見えてしまって失望というか、なんだかイライラしてしまう。結局生徒はどこも同じなのか。フランス語の授業で、”Entre les murs”というフランスの教育の問題をあらわにした映画を見て、ブラウンも同じようにカオスじゃあないかと、ふと思ってしまった。

何で?

私には分からない。何で?何で遅れて入ってきて平気な顔で朝ごはん食べてるの?フランス語の授業は、朝食会場では無いのに。ハロウィンの衣装、授業終わってからでも探せるのに。発言したく無いなら、何でセミナーの授業をとったんだろう?来ないならまだしも、何で授業に来る努力はしながら来て何も聞かず、話さないんだろう?何でこんなに尊敬されていて、みんなの名前を覚えてくれる教授を平気で無視し続けられるのだろう?教授に対する尊敬の気持ちってのは無いのだろうか?

私には理解できない。

 

先日ブラ熊の大先輩のアツさんにお会いし、このことを話しました。そしたら意外な答えが帰って来ました。

”でも、そんな人のこと言えないんじゃない?だってそう言ったら、毎回5つ授業とらない意味が無いじゃん。全部の授業で一番前の真ん中に座らない意味が無いじゃん。それを全部やってから、ようやく人のこと言えるんじゃない?”

その時、お店の中は賑やかで、アツさんの言葉をちゃんと理解できたかは分からないけれど、何だかはっとさせられました。

 

私は先学期から授業を5つとっていて、多くの授業で一番前の真ん中に座っている。だから、アツさんの言うことからすると私には他の生徒に対して文句を言う権利がある。でも、考えてみれば例としてあげたられた以外のことで私は全てに全力を注いでいるかと思うと、そうではない。

確かに、一番前の真ん中に座らない意味が無いけど、逆にそこに座る意味も無い。全部に全力を注いでいたら、疲れ切ってしまう。他の人はどこに力を注いで、どこは手を抜くか上手く判断ができているとも言える。私にはそれができていないから、reading intensive(読む量が多い)授業ばかりを5つも取って、疲れ切って自分を苦しめているのか。このブログだって、他のメンバーは時間に余裕がある時、書く甲斐のある内容を良く考えて書いているのに、私は”毎週書く”ということに全力を注いで書いている。別に考えずに書いている訳では無いけれど、内容が薄かったり、宿題を終わらせられなかったり、夜遅くまで起きて翌日疲れてたりすることがあのではないか。

 

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ブラ熊メンでディナー。やっぱり店員ってあまり写真頼りにできない…。

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Take2。全員写ってはいるものの….。きあさんの笑顔が眩しいです(笑)

 

一番大切なものって何だろう?私にだって私なりの優先順位があるけど、そもそも私の基準のつけ方がおかしいのか?忙しくしすぎた夏休みから何も学んで無かったようだ、またとにかく忙しくして、がむしゃらに頑張っている。”忙しくするのが好き””時間を無駄にしたくない”とは、実は”何も無くなって、一度止まって考える恐怖から逃れるため”の言い訳ではないか。それとも、いつかのブログにも書いたように、真面目な人ほど損する世界なのか。

 

今日、春学期の授業の事前登録がありました。そろそろ専攻について考えて授業をとらないといけないことに気がついて焦る私。とりあえず授業登録したけれど、冬休み中にじっくり専攻とか、インターンのこととか、将来のこととかいろいろ考えなければ。でも、なんだかまた冬休みもバイトや成人式やお正月の集まりで忙しくしすぎてしまう気がする。どうか、今度こそは自分をコントロールできますように。

 

お知らせ:ブラウンの公式Instagram始めました!burakuma_brown フォローお願いします!

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【熊たちの教室】日本人とは:僕は日本人?それともアメリカ人?

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こんにちは、最近忙しくブログ書けてなくて申し訳なく思っている巴基です。

 

さて、今回のテーマは”日本人の定義”。とは言っても、ほかのメンバーはともかく僕は4歳以降日本に住んでもいないので、偉そうに語っても全く説得力がないと思うので僕自身の経験とほかのメンバーが考えた僕の”日本人らしいところ”を交えて書いていきたいと思います。

 

中学生のころ、僕は次の質問に悩まされていました:

 

僕は日本人?それともアメリカ人?

 

いわゆる”アイデンティティークライシス”です。

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家庭では日本語をしゃべり、和食を食べ、地域で放映している日本のテレビ番組を見、夏休みは毎年日本に帰り、などとアメリカに住んでいる割には結構”日本”という国、文化に触れる機会は多かったと思います。

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今年の夏、家族と行った山中温泉

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しかし、一旦外に出ればそこは完全にアメリカ。英語をしゃべり、現地校に通い。友達との交流ではほとんど英語。周りの人の思想や振る舞いはもちろん日本とは違う。

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高校の教室

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そんな環境の中で育ってきて、何時しか気づいた。僕はアメリカの人から見たら日本人に見え、日本の人から見たら日本人にあまり見えないことを。

アメリカでは道徳的にあまりよくない事をするのを躊躇していると”まじめ”と言われ、メールを書くと”かしこまりすぎ”と言われ、日本では”全然謙遜してない”と言われ、じゃあどうすればいいんだよ!!と一人で切れていたこともあった(懐かしい)。

一通り冷めて寝る時間になるとベッドに入り、一人天井を見つめながら色々と考える。これまでの経験、人に言われたこと、自分自身が思っている事。そして問う。”僕は日本人?それともアメリカ人?”そして自分自身がいたった結論は、”僕はアメリカに住む日本人”。

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そんな”アメリカに住む日本人”の僕が考える自分が日本人だと思うところ。

人との調和を大切にし、相手の意見や感情をくみ取ることに重きを置くところ。ルールをきっちり守るところ。古き良きを重視するところ。

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そんな僕が何故日本人ではなく”アメリカに住む日本人”なのか。それは、個人的に日本人の一番の特徴を僕がまだまだ身に浸透させることが出来ていないと思うから。

その特徴は、

 

思いやりの心。

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接客の時の”いらっしゃいませ”、”ありがとうございました”、”またお越しくださいませ”。遅れてもいないのに”待たせた?”と聞く等の相手への配慮。旅行中でも知り合いへのお土産を一生懸命探すその姿勢。この”意識しなくてもできる配慮”がまだまだ完全には身に染みていない気がする。なので僕は自分を日本人とではなく”アメリカに住む日本人”、または”アメリカで育った日本人”と認識しています。

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さて、僕が僕自身に対しての感想を書いたのでここからはブラ熊メンバーが考える僕が”日本人らしい”ところを感想を交えて紹介していきます。

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1.文章の書き方

そうですかね?

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2.すれ違う時、上目遣いで首をこうなんかペコッとする感じ

確かに言われてみれば誰かと道で会った時は大抵会釈してますね(笑)

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3.人との距離感

全体的にはそうですね。原因はたぶん”相手に対して失礼なことはしたくない”という考えから来ているんだと思います。自分をさらけ出しても大丈夫だという保証がない場合は結構距離感を保つことが多いですね。

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4.振舞い方とか、話し方とか、考え方とか?今のブラ熊の中で雰囲気が一番なんだか”日本人らしい”。でも敬語が使えないのがおしい、というかなんか面白い(笑)

自分ではほかのメンバーよりも”日本人らしい”という自覚は全くありませんね。敬語の方は頑張ります^_^;

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5.何かやるってなるとそれをシッカリ成し遂げるところ

失敗はかなりしていますがね^_^; 個人的にはやる気になる、そしてそのやる気をちゃんと方向性をもって使うことが今後の課題です。

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6.真面目

昔っから自分は真面目すぎると思っていましたが、最近は前ほど真面目でもない気がします。

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7.育ち方(?)、言葉遣い

アメリカで育っているのに育ち方と言われるとは思ってもみませんでしたね。言葉遣い。。。全く自覚がありません。

僕の方からはこんな感じですかね?他の方のもぜひ読んでみてください!^_^

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追記:

読者の皆さんからも自分が「日本人だなあ」と思う瞬間について、募集しています。どしどしご応募下さい!

https://goo.gl/forms/DwcHP1ERqHv5htc33

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Living in Translation

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“We live in translation”

“私たちは、翻訳されて生きている”

アメリカに23年間住んでいるマセドニア出身の教授の言葉。

母国語を話すときと、英語で話すときの自分は同じ”自分”なのか?

 

”英語は私の母国語では無いから、いつも自分を翻訳して生きている。でも翻訳は元のものとは違うものだから、英語では本当の自分を表せていないと思う”

考えるとなんだか不気味なこと。英語では一生自分をちゃんとわかってもらえることは無いのかと思ってしまう。その反面、英語で話しているときの私は英語を話さない友達にはわかってもらえない。でもある意味納得できる。私がバイリンガルの友達が一番話しやすいと感じるのは、英語と日本語自由に行き来できて、訳すことなく表せるからのだと気がついた。それぞれの言語の足りない部分を無理やり訳して言いたいことに近づけなくてもすむ。

 

翻訳とはそもそも何なんだろう?

その教授は詩を訳すことが多いそうだが、その訳された詩は

元の詩のコピーか?

新しい詩なのか?

それとも翻訳者のオリジナルの作品なのか?

 

そして、

人って翻訳できるのか?

 

“しかし、母国語でなく’借りている言語’であることは自由を与えるものでもある。翻訳は元とは違う、全く新しいものだから、新しい自分にもなれる”

そうか、日本語で話しているときの自分と、英語で話しているときの自分は違くても良いのか。そしてこれからもっとフランス語を上達させて行く過程で、もう一人”自分”を作り上げることができるのか。

 

“We translate to protect others”

“私たちは、周りの人を守るためにも翻訳をする”

例えば、親が電話して来て”元気?”と聞いてきた時、心配かけたく無いから”うん、元気だよ!”と答える。実は体調崩してたこととか、忙しくて大変なこととか、疲れてるとか言わない。本当の自分を表さないことで、親を”守って”いるのか。優しい嘘は、相手に都合の良いように自分の現実を”訳す“ことだったのか?

 

“We live in translation”

そもそも言葉に表すこと自体、自分の中身を言葉に訳していることにならないのか?

本当の自分って何?

母国語って何?

英語と日本語、どっちが得意とか感じなくても”訳して”生きてるの?

翻訳って、どれぐらい元のものを表せるの?

本当の自分をわかってもらうことは必要なのか?

いろんな”自分”をもって楽しめば良いのではないか?

それでは、バイリンガルな私は二重人格?

あれ、でも“優しい嘘”も翻訳と考えたら、みんなやっているではないか?

誰でも、どこで、誰といるかによって行動とか性格が変わったりするじゃないか?

 

“We live in translation”

翻訳は全く新しいものを作り上げることで、私たちは常に自分を翻訳して生きている。なんだか不気味なコンセプト。でも良く考えてみると、誰もがやってて当たり前なこと。

 

 

In Translation: Language, Home, and Identity

”自分”ってなんだろう?”Home”って何だろう?

こんなとを考えさせられる講演でした。

 

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大学に通う意味は?

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最近考えることがある。

 

僕は何で大学に通ってるんだろう。

Spacing Purposes: 無視してください

誰かに”大学、楽しんでますか?”と聞かれると、どう答えればいいかわからない時がある。もちろん、大学生活は非常に充実している。好きなことがほとんど何でも出来るブラウン大学に通えている自分は幸せだと思う。

でも、企業説明会や宿題に埋もれる生活を送るにつれ、最近少し道に迷っている気がする。先学期よりも集中力は続くようになったにも関わらず、それ以上にやる事が増えて宿題や課外活動やインターン探しのバランスがまだ見えてきていない。まるで1年生の1学期に戻ったような状態になっている。

そんな背景もあってこの”大学に通う意味”というのを改めて考えなおすことが度々ある。学問にはげむためなのか?独り立ちの予行演習?就活の準備?課外活動?色んな人と知り合うため?それともただ単に大学生活を楽しむため?

Spacing Purposes: 無視してください

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もうすぐ紅葉シーズン

Spacing Purposes: 無視してください

個人的には大学は経験の機会の固まりみたいなもの。

Spacing Purposes: 無視してください

もちろん学問に励むことも大事だと思う。ただそれ以上に大学は人と資源を1か所に集めた事によって、高校までは考えてもみなかった事にチャレンジできる場所だと思う。もちろん高校にも機会はあるんだけど、それ以上に大学ではありとあらゆるクラブが存在し、当然ながら就活やインターンを探したりするのが高校に比べて断然楽になり、卒業生と話す機会がもの凄く増えた。大学に来る前までは合気道を始めるなんて夢にも思ってなかったし、大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii Uのチームキャプテンになるなんで全く考えてもいなかった。周りの友達でインターンをやっている人もいたが、大半がそんな事気にも留めてなかったし学校もあまり推していなかった。

Spacing Purposes: 無視してください

その点を考えたらどちらかというと自分と自分の環境が変わったからかもしれない。単に僕のネットワークが小さすぎる上にチャレンジ精神がなかったからかもしれない。でも、そう考えると大学がそれを僕から引き出したのかもしれない。現に高校時代にほとんど喋らず内気だった同級生が、ブラウンに入学した後にもう一度会ったら物凄く喋ってきて全体的に明るくハキハキ見えてびっくりした。自覚はしていたが、ほかの人も経験した事を知って”こんなにも大学は人を変えるのか”と改めて実感した。

Spacing Purposes: 無視してください

高いお金を払ってまで通う価値はあるのか?と聞かれたら正直わからない。でも、大学に通う理由はある。そう信じながら僕はこれからまた宿題に没頭する。

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多様性は氷山

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昔、英語の授業で先生が言った。

 

ヘミングウェイの本は文章はシンプルだけど意味は奥深い。彼のスタイルは氷山の様なもの。見える部分よりもむしろ見えない部分に意味がある。

 

 

多様性もそうだと思う。みんな何となく意味を理解していて”いい事だ”と納得しているが、実際のところどうなのだろうか。結局多様性の何がいいのか。

 

実は先日某コンサルティング会社の人事部の方がこの”多様性”という言葉を使って会社を説明していたのですが、そこで”多様性”とはその会社の方たちにとってどういうものなのかお尋ねしたところ、帰ってきた答えが”人種”や”出身”といった答えばかりでした。

 

うーん。何だかしっくりこない。多様性という言葉がまるでそこらじゅうで適当に使われているよう。

 

僕の思う多様性は、大学や会社にあるだけでは意味を成さない

 

そもそも何故多様性を求めなければならないのか?大学受験の時なんかは聞きあきてもう多様性という言葉に反応もしなくなった。どうしてこうも大学や会社はこの言葉を使いたがるのか?

これはあくまで個人的な推察ですが、大学が多様性を推しているのは多様性を重視するのもありますが、むしろ平等である事をアピールしたいから。

 

イメージダウンにつながる可能性がある事は排除しなければいけない。アメリカの大学で自由・平等が重視されない大学は生徒が行きたくなくなる。そうすれば優秀な学生も受けてくれない。そうなったらライバル校に差をつけられてしまう。そういう隠れた動機が色々と潜んでいる気がします(あくまで個人的な感覚ですが)。

 

では個人にとって多様性とはどんなもので何をもたらしてくれるのか。

僕にとって多様性そのものは重要ではない。なぜなら、結局友達の大多数は結局自分とある程度似ている人になってくるから。

 

それよりも大事なのは自分の多様性。

 

他の人の意見を理解できる能力。物事を客観的に見れる能力。世界は広いんだという認識。違いを受け入られる心の広さ。多様性が重要な理由は、単に色々な背景を持った人との交流が出来る事ではなく、いかに他人と理解しあえるかだと思う。この理解力を得るための場所として初めて多様性のある場所が活きてくる気がする。

 

皆さんがこの多様性という名の氷山の奥深くを探索したとき、出てくる答えは違うかもしれません。ただ、僕はそこで”理解力”というものを見つけた。多様性があるだけでは足りない。最終的には多様性の価値は自分で生み出すものだと思っています。

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「ブラ熊」と向き合うこと

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こんにちは、メイです。

 

日曜日にキアさんがアナウンスした通り、来週からは今までと少し違った形で記事が更新されていきます。「とりあえず何でもええで」がテーマとなる記事はしばらくの間今週が最後になります。

 

何について書きましょう。

 

………。

 

いきなりですがカミングアウトします(笑)

 

実は毎週記事を書く(書いてないけど)前に、わたしはいつもノートに手書きで書く内容を固めています。思い付きで書こうとすると終わりが見えなくなってしまい、途中自分で何が書きたいか分からなくなることが多いので。学校のペーパーのようにアウトラインを決めてからパソコンに向かっているのですが…

 

「メイの記事は、筋が通っているけど淡々としている。」

 

だいぶ端折りましたがこのようなことを某ブラ熊メンバーからアドバイスとしていただきました。

 

なので。今週はノートを捨てました。

 

本当に思い付きで書いていったらどうなるのか、実験です。

 

***

 

今年でついにブラ熊は発足当時のメンバーを総入れ替えさせて、新体制に。

これから先、ブラ熊をどうして行きたいか。

 

うーーーーーーん。

 

発足当初のメンバーへの憧れが強い分、個人的にはどうにかしてそれを引き継ぎたいと思うばかりで、去年一年は過ぎていきました。だけど結局、私と「あの方々」は違う人なわけだし、経験してきた事も違うし、それは無茶な話なわけで。「自分の個性を生かせばいいんだよ」という綺麗だけど聞き飽きたセリフは、意外にも実現にはとてもじゃないけど難しいことを身に染みて感じました。

 

 

 

どうしても、発足当初のあのブラ熊が自分の中では強く残っていて、背を向けることはできても完全にポイっとはできない。自分も数年後、いや、去年から見てだと一年後。つまり今。先輩方のようにたくましく、頼もしく、どこかカリスマ性のある人間でいたいとずっと思っていた。

 

でもしばらくブラ熊から物理的な距離を置いて、(記事書かないで)、夏休みが明けて、こっちに戻ってみると、あー自分は甘えていただけだったんだなとすっと思えるようになっていた。先輩への憧れが強すぎたんじゃない。自分について考えることが面倒なだけだったんだ、と。毎週ブログを書きながら、日々の大学生活と自分について振り返る機会を重ねていく内に、その大変さと労力の多さに怖気付いて、「憧れ」にすがっていただけだった。でももう、すがるものは何もない。良く言えば、「自分の個性を生かす」がもっとドロドロして、もっとリアルなものになりうるチャンスがある。ドロドロドロドロ。

 

 

前に誰かが言っていた(気がする)ように、発足当初の代が原色なら、今の代は混合色。その話自体が出ていたのがちょっと前の事だから、きっと今年の代は混合色どころか、絵具以外の何かが混ざっていそう。でもそれがキラキラのラメかもしれないし、ただの水かもしれない。それこそまさに私達次第。

 

一人のメンバーとして…ブラ熊とは。

 

 

自分について考えさせてくれる場所というより、

自分について考える大変さを教えてくれた場所。

 

 

綺麗なものを追い求めるには、まずドロドロさんとお友達にならなくてはいけないよ、と叱ってくれた場所。

 

私は、発足当初のメンバーとは違う。

 

直接日本から海外の大学に入る術も大変さも知らないし、「これ!!!!!!」という一つのものにパッションを注ぐほどの判断力、決意力がまだない。もう2年生だけど、まだ2年生だから、色々な事に目が行き、右往左往の日々を送っている。

 

一言で言えば、「迷子」が個性。

 

そして、この記事を読んでいる方々の中にも「迷子」がいるかもしれないし、「元迷子」の方もいるかもしれない。もしかすると「迷子予備軍」も。きっと誰もが通る道で、私は今まさに「迷子」の道を突き進んでいる。

 

みなさんと一緒に、「迷える」者でありたい。

 

これが、今年一年の、個人的なテーマ。です。

ちょっとジブリのキャッチコピーっぽいですけど。メイだけに。

 

***

 

というわけで、ブラ熊全体としての新たなる章が開幕される前に、自分の心持をただつらつらと書いてみました。

 

案外ノートなくても書けそう(?)。

 

それではまた来週!

 

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未来予想図

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投稿遅れてしまってすみません、巴基です。

 

先週忙しく書けなかったのですが個人的に非常に内容の濃い2週間でした。宿題に追われながら色々な会社の説明会に行ったり、初めて会社の面接を受けたり、初めてクラブのイベントの計画に携わったり。

 

そんな中ずっと考えていたのが:

1.自分はどんな人なのか?長所は?短所は?

2.結局自分は将来何をしたいのか?

 

特に後者は1時間スケジュールを空けてずっとそれだけについて考えたりもしました。僕はよく独り言を言いながら自分の頭のなかを整理するのですが、その1時間ずっと寮の一人部屋で独り言を言いながら考えてました。

 

img_6895

寮の部屋の写真

 

今回はその一部を書き出したいと思います。

 

結局僕は大学の後何したいんだろう。

 

取りあえず今は全く分からない。

じゃあ少なくとも自分が本当に大切だと思っているもの、コア・バリューぐらいは整理した方がいいんじゃないか?

 

自分のコア・バリューって何だろう。

 

。。。

 

まず自分の日々の生活から見てみればわかるはず。

僕が一番時間を割くのは?

 

勉強と課外活動。

 

そういえば課外活動ほとんど全部趣味と関係あるな。合気道、ピアノ、ボランティアピアノ教室、スマブラ。

うん、やっぱり未来でも趣味は続けていきたい。その時間は欲しい。

 

で、それはいいけどキャリアと関係があるものだったら?何で何かしたいことがないの?

 

。。。

 

あ、そうか。自分が心から解決したいと思う問題がないからだ。

もちろん解決すべきと思うものはあるけど、やっぱりパッションがないとどうにもならないよなー。いくら自分のスキルを磨き続けたとしても最終的にはそこをクリアしないと。

 

じゃあどうやったら問題を見つられるのか?やっぱり時事には関心を持たないとだめだな。この考えがあってるかどうか知らないけどやっぱりそこはスタート地点になりうると思う。うん、そうしよう。

 

まとめると将来趣味を続ける時間がある職業が良くて、今はパッションを見つけるためにとりあえず時事には興味を持ったりいろんな人と話したりしよう。それで見つけられた時のために今のうちに自分の弱点は克服していこう。

 

こうして書き出してみるとなんだか自分を客観的に見つめているような感じがして面白いですね。

 

皆さんはどうですか?未来を見据えてますか?将来自分が色々な意味で本当に何をしたいのか、どういう日々を送りたいのかもう分かっていますか?

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