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Living in Translation

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“We live in translation”

“私たちは、翻訳されて生きている”

アメリカに23年間住んでいるマセドニア出身の教授の言葉。

母国語を話すときと、英語で話すときの自分は同じ”自分”なのか?

 

”英語は私の母国語では無いから、いつも自分を翻訳して生きている。でも翻訳は元のものとは違うものだから、英語では本当の自分を表せていないと思う”

考えるとなんだか不気味なこと。英語では一生自分をちゃんとわかってもらえることは無いのかと思ってしまう。その反面、英語で話しているときの私は英語を話さない友達にはわかってもらえない。でもある意味納得できる。私がバイリンガルの友達が一番話しやすいと感じるのは、英語と日本語自由に行き来できて、訳すことなく表せるからのだと気がついた。それぞれの言語の足りない部分を無理やり訳して言いたいことに近づけなくてもすむ。

 

翻訳とはそもそも何なんだろう?

その教授は詩を訳すことが多いそうだが、その訳された詩は

元の詩のコピーか?

新しい詩なのか?

それとも翻訳者のオリジナルの作品なのか?

 

そして、

人って翻訳できるのか?

 

“しかし、母国語でなく’借りている言語’であることは自由を与えるものでもある。翻訳は元とは違う、全く新しいものだから、新しい自分にもなれる”

そうか、日本語で話しているときの自分と、英語で話しているときの自分は違くても良いのか。そしてこれからもっとフランス語を上達させて行く過程で、もう一人”自分”を作り上げることができるのか。

 

“We translate to protect others”

“私たちは、周りの人を守るためにも翻訳をする”

例えば、親が電話して来て”元気?”と聞いてきた時、心配かけたく無いから”うん、元気だよ!”と答える。実は体調崩してたこととか、忙しくて大変なこととか、疲れてるとか言わない。本当の自分を表さないことで、親を”守って”いるのか。優しい嘘は、相手に都合の良いように自分の現実を”訳す“ことだったのか?

 

“We live in translation”

そもそも言葉に表すこと自体、自分の中身を言葉に訳していることにならないのか?

本当の自分って何?

母国語って何?

英語と日本語、どっちが得意とか感じなくても”訳して”生きてるの?

翻訳って、どれぐらい元のものを表せるの?

本当の自分をわかってもらうことは必要なのか?

いろんな”自分”をもって楽しめば良いのではないか?

それでは、バイリンガルな私は二重人格?

あれ、でも“優しい嘘”も翻訳と考えたら、みんなやっているではないか?

誰でも、どこで、誰といるかによって行動とか性格が変わったりするじゃないか?

 

“We live in translation”

翻訳は全く新しいものを作り上げることで、私たちは常に自分を翻訳して生きている。なんだか不気味なコンセプト。でも良く考えてみると、誰もがやってて当たり前なこと。

 

 

In Translation: Language, Home, and Identity

”自分”ってなんだろう?”Home”って何だろう?

こんなとを考えさせられる講演でした。

 

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かぼちゃの思い出

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世の中にはすごい人がたくさんいる。そういう人の話を聞いたり、会ったりすると、すごい!と尊敬や憧れの気持ちが沸くと共に、悔しい気持ちになる。特にそれが同世代だと後者の気持ちが強くなる。あの人は同い年で、もうあんなに成し遂げているのに、私はまだ始まりにも立てていない…。なんて自分は才能が無いんだろう…と思ってしまう。

でも、憧れのあの人と自分は違うから、きっとどこかで自分の事を”すごい”って思ってくれている人もいるから、私は自分ができることをがんばろう。例えば、ピカチュウの絵柄のJack o’ Lantern を作るとか。

 

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二時間ぐらいかけて頑張ってナイフで彫りました!

 

先週末、大学のイベントでApple/Pumpkin Pickingへ行きました。大学のイベントということで参加費は学校が負担、更に$5の商品券をいただきました。おかげでこのかぼちゃは¢75でゲットしました!

 

かぼちゃ狩りというと、懐かしいことを思い出しました。

2001年の秋、アメリカに引っ越して半年ほど。私はキンダーガーデン(日本でいう一年生の一つ前の学年)に入学しました。そして秋の遠足はかぼちゃ狩り、母もボランティアとして付いてきました。大人一人につき四、五人の生徒のグループに分かれてかぼちゃを探しました。良さそうなのをいくつか見つけて、それらをカートに乗せて集合場所に戻ると….あれ?!先生が驚いた顔をしました。どうやら、かぼちゃは一人一個のはずが、私の母は英語が理解できずに好きなだけとって良いと勘違いしてしまったのです。こんなたくさんかぼちゃを持っているのは私たちのグループだけでした。この間違えを伝えるのにも少し時間がかかり、母はちょっと恥ずかしそうに仕方が無くかぼちゃを畑に戻しに行きました。

 

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2001年秋、かぼちゃ畑にて

 

かぼちゃのエピソードはもう一つあります。

 

同じ年、10月はハロウィンがテーマです。その週の宿題は”Make your own Jack o’ Lantern!”。紙にかぼちゃの輪郭が書いてあって、それに好きなように飾りを描いて、自分のJack o’ Lanternをデザインするというものでした。英語がわからない私が理解した宿題は、紙にデザインをしてそれを実際に作る、という内容。本当に作るなら派手なことはできない、と思った私は一般的は三角の目の顔と、飾りとしてはビーズの冠を描きました。そして週末、家族でスーパーのかぼちゃ売り場へ。こんなことするのが初めてだった私たちは、せっかくなので大きなかぼちゃを三つ購入。Jack o’ Lanternを作るキットも買いました。そして家族みんなでJack o’ Lantern作り。まだ小さかったので子供達はかぼちゃの中身を抜いたり、絵柄を選ぶぐらい。刃物を使った作業はほとんど父がやりました。

月曜日、かぼちゃは大きくて5才の私には持てないので母が抱えて一緒に教室に入りると、先生がとても驚いた顔をしました。宿題をちゃんとやってきたつもりの私は、何でこんなに驚かれたのか分かりませんでした。それに、何で誰もかぼちゃを持ってきていないのだろう?先生に”宿題は?”みたいな事を聞かれたのでデザインの紙を出し、いろいろ指差したり言葉を繰り返したりしてようやく理解しました。宿題は絵を描くだけでよかったのだと。また恥ずかしい思いをしてしまいました。(今思えば、5歳児に宿題でかぼちゃ彫って来いなんてありえないですよね笑)宿題は勘違いしてしまったけど、先生は大喜び。教室に飾れる立派なJack o’ Lanternを作ってきてくれてありがとうと、感謝されました。

 

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15年後、かぼちゃ畑にて

 

このように、アメリカでの最初の一年は英語がわからないために勘違いばかりで、恥ずかしい思いをすることもたくさんありました。幼稚園の宿題も理解できなかった私が、今は英語で大学の授業を受けているなんて。そして、これ程家族みんな英語が分からなかったのに、よくアメリカで暮らせたなと思います。

転勤で海外に行くと、言葉がわからないのがストレスで学校が嫌になってしまう子供もいるそうです。しかし、なぜか私は英語が全く分からないながら”辛い”と思うことはありませんでした。父に”君たちは学校が嫌だとか言わずに通ってくれて良かった。仕事や生活がアメリカに来ていろいろ大変だったけど、子供達に関してはスムーズに行って助かった”と言われます。

きっと、人に恵まれていたのだと思います。近所の子供をいつも預かっていて、近所の人たちを繋げる役割も果たしていた隣のペルー人と白人の家族に、やさしい学校の先生。わからないことがあると助けてくれる友達。いろんな人の支えがありました。ハロウィンやクリスマスの飾り付けをしたり、ホームパティーを開いたり、アメリカでの一年目は初めて異国の文化に触れたとても良い思い出です。

 

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その年のハロウィンのtrick or treatingでゲットしたお菓子。これで確か一人分だった気が…三人兄弟なので、膨大な量のお菓子でした。

 

一年だったはずのアメリカでの暮らしが、もう三年アメリカで暮らすことになり、今度は西海岸での暮らし。一年目で学んだことを生かしてまた新しいスタート。母は、子供は現地校に入れれば自然と英語を話せるようになるだろうという考えは間違えだと気づいたらしく、私たちはちゃんと英語を教わり始めました。それからは一気に英語が分かるようになって、言葉で苦労することはあまりなくなりました。

 

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かぼちゃはツルから切り取られてあって、好きなものを拾うシステム。

 

あれから15年。最近はまた英語が下手になった気がします。日本語で考えることが多くなったからか、言葉に詰まることが多くなってきました。そして今学期は更に日本語も下手になってきた気がします。なんでしょう、日本語も言葉に詰まることが増えた気がします。それに時々発音がおかしい気も…。それとも全体的に話すのが下手になったのでしょうか?最近は上手く自分の言いたい事をまとめられてないように感じます。

フランス語の授業は相変わらず自分が言っていることや理解したことが正しいのか、分からないまま会話が進んでます。今週はついにやらかしました。火曜日の夕方、Petit goûter というフランス語学部のイベントに行ったら、教授に”今日なんで来なかったの?”と言われ…。そう、私はmardi (火曜日)とmercredi(水曜日)を聞き間違えて、教授との約束をすっぽかしてしまいました。授業中の口頭での説明だったので、作文の期限はmercrediで、教授と話したかったらlundi(月曜日)にメールをして、など曜日がいろいろ出てくる中、私にはmardiが聞き取れませんでした…。そのことをメールで説明して改めて謝ると、教授は”C’est n’est pas grave” (そんな深刻じゃないよ)と言ってくれて、会う約束を立て直してくださりました。

日本語も、英語も、フランス語も、いろんな間違えや恥ずかしい思いをしながら、まだまだこれからも上達したいです。

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言語の苦悩

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こんにちは、巴基です。

 

最近だんだんと寒くなってきました。ブーツを履くのに慣れず、普通の靴で寮を出てから初めて「あっ」と気づいて戻って履き替えるというのが何度か起こっています^_^;

 

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この温度差。。。

 

寒さに慣れていないというのもカリフォルニア育ちの一つの難点ですが、今日は違う難点について。

 

 

日本語、英語、中国語。

 

それぞれの言語力においてほかの人に劣っている。

 

 

前から思っていた事ですが、ブラウン大学でほかの日本人と知り合ってから改めて気づかされました。これからいくつか例を挙げていきたいと思います:

 

1.敬語が使えない

アメリカでは先輩後輩という概念がない上に父や母以外に日本語を話す相手がほとんどいないので、子供のころから使っていた言葉をほとんどそのまま使い続けた結果敬語が使えなくなってしまいました。先輩に敬語を使い始めるとなぜかアメリカの”先輩後輩関係の皆無”が影響してすぐに普通の喋り方に戻ってしまいます。言語の悩みにおいては断トツで一番です。。。

 

2.カタカナ語が多くなってしまう

高校4年生の時、祖母と電話で話していた時の事。

僕:「最近大学のアプリケーションとかイングリッシュ英語の授業のエッセイが大変で。。。」

大学のアプリケーション → 大学受験の書類の準備

エッセイ → 自分の経験などについて書く文章

最近は少し注意して話すようになりましたが、依然としてたまに不必要にカタカナ語を使ってしまいます。直さなければ。

 

3.ボキャブラリー(いきなりまたカタカナ語。。。苦笑)の無さ

最近は少しづつ方式が変わりつつあるようですが、少なくとも僕が高校生の時はSAT=ボキャブラリーに関する問題とトリッキーな問題が豊富なテスト、ACT=時間がないテストという風に感じました。なので、英語のボキャブラリーに全く自信がない僕は真っ先にACTを選びました。日本語や英語の文章を読んでいるときに何度もグーグルに頼っている自分がいるとたまに自分が情けなく見えてきます。

 

4.全体的に作文力がない

これは特に日本語に関して言えることです。僕の記事を読み続けてくださっている方は気づいているかもしれませんが、保温ポットの弁当を”ホカ弁”と呼んだり、父と母の事を”お父さん、お母さん”と書いたり。日本語の作文をしっかりと学ばなかった上に日本に住んでいない事によって生まれる誤解があったりするので最近はブログを書いている時には特に間違えがないように神経をとがらせてます。

 

5.漢字の読み間違い

夏休みに日本に帰って山手線に乗っていた時の事。

僕:「へぇー、今週のばんぴんだって!結構美味しそう。」

母:「?それ逸品だよ?」

 

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”はんじょうてんのばんぴん”ではない^_^;

 

中学生の時、数学の話をしていた時の事。

僕:「今日へいほうねとか色々なことがワークブックに出てきた。」

父と母:「それ平方根だよ、何へいほうねって(笑)」

 

このように漢字の読み間違いには何度も親に指摘されては内心ガクッと落ち込みました。

 

6.日本語の漢字、中国語の漢字

これに関してはほかのアメリカ人よりも断然楽をしているのであまり文句は言えないのですが、例えば真実の”真”の字。

 

いきなりですが、間違え探しタイム!

次の二つの字の異なるところを探せ!!

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僕は個人的にいやらしいとしか思えない。何、この微妙な違い。左が日本語、右が中国語です。

 

実は祖母への手紙を書いているときにうっかりして中国語の”真”を書いてしまい、ペンで書いていたのでそのままやむなく送ったという苦い経験をこの冬休みにしました。。。日本語と中国語が両方できる方で共感してくれる方はいませんか?;-;

 

僕の悩みは以上ですが、皆さんはどうでしょうか?2つ以上の言語ができるからこその悩み、ありますか?或いは「そんな悩みがあるなんてずるい!」と思われているのでしょうか?^_^;

 

最後に日本語が上手な皆さんへ。自分が日本語を上手に話せる、そして書けるという事を誇りに思いましょう。

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言語の学び方

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みなさん、明けましておめでとうございます!

今年は申年ということで、年末は家族で地獄谷温泉のを見てきました!

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なんとも言えぬこの表情

本当に温泉に浸かっていて、猿たちは全く人間を気にしない様子でとてもかわいかったです。飽きずにずっと観察してられるぐらいです。みなさんも申年の今年中に一度行ってみれば?

ちなみに、お隣中国では実はまだ申年ではないって知っていましたか?中国では2月の旧正月を祝うからです。

なので、私の中国人の友達には、同じ1996年生まれなのに私と干支が違うって子がいます。なんか面白いですよね。別の中国人の友達には、”Happy fake new year”(偽の新年おめでとう)と言われました(笑)

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入浴姿見られて、恥ずかしかったかな?

 

あー何について書こう…ブラウンにいる頃は尽きることの無かったブログの話題が、冬休みになって途絶えました…。それだけブラウンでは毎日刺激的な生活を送っていて、ブログのネタも尽きること無いということでしょうかね?

刺激的な毎日を送りたい、それが今年の抱負のひとつでしょうか?

5週間とながーい冬休み中の”刺激”として、私は日々塾でのバイトに専念しております。小中学生の学習塾と、小学生向けの英語教室で講師をしています。夏休みも働いたところで、また短期で雇ってもらいました。自分が学生だということを言ってはいけないので、“先生、どこ行ってたの?”という質問には、“修行”とか、“自分探しの旅”とか“地球のどこか”と言って誤魔化しました。全く間違っても無いですけどね(笑)

日本の高校受験も大学受験も経験していない私が塾講師なんてして良いのかと思うことはしばしばありますが、それ以上に考えさせられるのは言語教育についてです。私が働いている二つの塾では全く違うアプローチや目的を持って英語教育をしています。幼い頃に英語を学んだ私にとっては講師としての経験は言語を学ぶということの難しさに改めて気がつかされるきっかけとなりました。

学習塾の方は学校での学習のサポートということで、日本の学校で学ぶと同じように英語の文法と読み書きを学習していきます。中には英語の構造だけ覚えていて、単語は発音も意味も分からないという子もいます。単語テストをすると何も答えられないのに、問題を解くと全問正解、単語は見た目で覚えているからwant/wentやshe/theを混同する…私にはすごく不思議に思えます。逆にどうやったら外枠だけを理解できるのかが私にはわかりません。

小学生の英語教室では生徒はそれぞれテキストを使って読み書きはもちろん、聞く、話すも練習します。どの綴りはどういう音になるのか、フォニックスが中心で、発展のテキストになると文法の学習が始まります。授業のはじめには英語でのゲームなどのイントロをやり、生徒には基本英語のみで話しかけます。

新しく出てきた単語の読み方の検討もつかない中学生を見ると、フォニックスを幼い頃から丁寧に学習していくことの大切さに気がつかされます。しかし、なぜ英語を勉強するのか理解せずに親に通わされてただテキストを進める小学生を見ると、やっぱり中学生ぐらいから英語をなぜ勉強するのか理解して勉強に励むのも望ましいなと思います。

 

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お正月に作ったcake。 cakeのスペリングがなぜkakeでもcaceでもないのか、そもそも最後に何でeが付くのか、小学生には大の謎の単語です。

 

“先生はネイティブ並みだから、英語で話しているだけで子供たちのためになる。基本日本語なしでお願いします”と英語教室のほうで私は言われました。イントロは冬休み何したかなどのトークで盛り上がろうとしても、単語と短い文しか学習していない小学生には理解してもらえず、意味が分かっても生徒は英語でちゃんと答えるほどの英語力を持っていません。英語を英語で理解させるのは本当に難しいです。繰り返し言ったり、指さしたり、ジェスチャーしたり。理解できてなくても、話かけるだけで生徒たちには利益になっているのだろうか?

”先生の発音良すぎてなんて言っているか分からないです”と学習塾での生徒には言われました。いわゆる日本での”きれいな発音”のアメリカ英語をお手本として示すべきなのか、それともなるべく生徒が理解しやすいように、発音を真似しやすいように日本語訛りのはっきりした発音をするべきなのか?そもそも、英語をぺらぺらに話せるようになろうなんて目標は無く、発音は分からないけど文法の問題は問題なく解ける子にフォニックスを一から復習するように促す必要はあるのか?テストで点数取れればそれで良いのでは?

いろいろ考えてしまいます。

 

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関係ありませんが、去年は未年ということでせっかく撮ったのに年賀状に不採用となった羊とのselfie。あ、中国ではまだ未年か!

 

言語を学ぶって本当に奇妙なことだと思います。子供の頃は文法なんて理解しなくても、周りの環境によってその言語をいつの間にか解釈し、自分のものとしてしまう。だからむしろ自分の母国語の文法のルールとか知らないで、感覚で正しいとか間違っているとかわかります。でも大きくなると、いくら文法を丁寧に学習してもなかなか自分のものにならない…。フランス語を始めてからようやく私も言語を学ぶことの難しさを体感しました。

中学生に実はあまり自分も理解していない英語の文法を教えながら、”ああ、私これフランス語だったらこんなことできてたかな…”と心の中では思っています。

私の個人的な意見ですが、言語を学ぶのであれば、それを使えるようにならないと意味が無いと思います。言語は意思疎通の手段です。言語の構造の知識だけもったところで、何の役にも立ちません。だから実用できるようになるまでは、いくら単語や文法が分かってもその言語は0だと思います。(←これ日本語になってないですね。言いたいことわかりますでしょうか?)

ではそれを実現するためにはどう教育すべきなのか?とにかく幼い頃から教室に通わせて、多言語に触れさせるべきなのか?

私の家族が始めてアメリカに引っ越したとき、母は”英語の環境にぶち込めば、子供たちは自然と英語を覚えるだろう”と思ったそうです。そして私たち兄弟三人は現地校に入りました。しかし、一年後母は”やっぱりそう簡単ではない。ちゃんと教えてもらわないといけない”と気づいたとのこと。やはり言語の習得は言語に触れるのと文法を学習することの組み合わせのバランスなのでしょうか?

なんかどんどんまとまりの無い文章になってきましたが、私が一番重要だと思うのは”必要性”です。言語でもどんな勉強でもそうですが、それが”必要”だと判断できれば興味や関心も湧いてきますし、自然とやる気もでます。いくらお金かけて幼い子供を英語教室に通わせても、その子が英語の必要性を感じず、興味も湧かなければ何も定着しません。テキストのページだけ進んでいくだけで、英語力なんてあんまり身につきません。親たちはそういうことに気がつくのでしょうか?そして気がついたとしたらそのとき親はどうするのでしょうか?英語がなぜ重要か理解させようと努力するか、無理やりでも英語に通わせ続けるか、それともやめさせるか。気になります。

日本の英語教育はいろいろと批判されていますが、日本での生活に英語がもっと必要とならない限り、日本人の英語力は大きく伸びることは無いと思います。日本はある意味恵まれています。日本語でいろんな教科の学習ができますし、独自の文化も発展している。だから他の言語にたよる必要なんて無いんです。英語とかの語学力は外に出たい人たちだけが身に着ければ良い、そんな考えですよね。

日本人の英語力向上には、もっと多様化した日本が必要なのでは?

新年早々、なんか終わりの見えない考え事でした。

本年もよろしくお願いいたします。

 

P.S. ブラウンの熊たちは2016年、アメリカ留学ブログランキング1位スタートとなりました!みなさまご愛読ありがとうございます。

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