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違う視点から見た歴史

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ここ最近雨の多いプロビデンスからお送りします、柚子です。一週間前の雪から雨に変わったので、いよいよ春本番かな?と期待を高めているところですが、今日は突然の雷雨に驚きました。

最近は毎日家族から東京の桜の開花の様子の写真が送られてきます。特に中高の近くだった千鳥が淵の写真はなんだか懐かしく感じて、今度日本で春を過ごす時は必ず行きたいなと思いました。

 

母から送られてきた千鳥が淵の写真

 

”桜咲きました!”

私が二年前家族に送ったメールの件名。先週、電話越しに母が、私がブラウンに合格してからちょうど2年だったことを思い出させてくれました。あの夜、喜びの報告をするのにとっさに考えた件名。心はやっぱり日本人の私は、合格を開花する桜に例えて表現しました。

そして今年も合格発表のとき。今年は今までで一番多くの願書が提出され、その中から今までで一番多い2,722人に合格が通知されたそうです。もし読者の方々の中に合格された方がいらっしゃりましたら、おめでとうございます。そして是非”ブラウンの熊たち”にご連絡くださいね。

 

(今年の合格発表について伝える記事↓)

https://news.brown.edu/articles/2017/03/admitted

 

日本では今週から新年度でしたね。私の家族や友達も、新しい学年や職場環境での日々を始めています。みなさんの新しい環境でのご活躍を願っております。

 

一方ブラウンではここが桜並木…になるはず。

 

さて、最近は寝言でも英語を話すようになり、頭の中の英語の部分が増えてきたのかな?とは思っていまずが、先ほども言いましたように心はまだ日本人。今日はアメリカで学ぶにあたって日本人として感じたことを話したいと思います。どういうことかと言うと、第二次世界大戦の話が出てきた時。何て表現すれば良いのでしょうか、何だか心にチクリと感じて、少し息苦しくなるというか….。

 

思いもよらぬところでそういう状況に合いました。それは月曜日の人類の進化についての授業中。その日はHomo erectusについてだったのですが、その化石の中に1920年代に中国の北京周辺で発見された通称“Peking Man”というものがあるという話の最後。

”しかし、この化石は第二次世界大戦中に行方不明になってしまいました。日本の侵略から守ろうと、アメリカ軍が化石を安全な場所に移そうとしたのですが、まあその頃は真珠湾攻撃とかいろいろあって…。移動中に日本軍の攻撃にあって、化石は無くなってしまったのです。幸いなことにその化石の鋳造が多く作られていたので、全く失われてしまった訳では無いですけれどね。”

第二次世界大戦中、日本の真珠湾攻撃を発端に太平洋戦争が始まり、日本はアメリカの敵国になりました。特にアメリカ人にとって真珠湾攻撃は、日本で言えば原爆投下のように決して忘れてはならない歴史。別に私個人が何をした訳では無くとも、一人の日本人として”日本は敵国””日本は悪者”というような話を聞くとなんだか心にチクリと感じます。特にそれが歴史の授業で普通にこういうことを習って聞いてきて、何にも違和感を感じない他の30人の生徒に囲まれた教室だと、何だか意識が高まる。あの教室で私が日本人だと知っている人はあまりいなかっただろうけれど、一人だけ教授の一言を重く受け止めていた気がします。

 

一昨日は近くのアイスクリーム屋さんが”1コーンタダの日キャンペーン”開催!

 

小学校3年生のある日、アメリカの小学校の読書の時間になぜか私はいろんな乗り物の写真と解説が書かれた本を手にしていた。読書の時間は話してはならないことになっていたのだけれど、私がちょうど戦車や戦闘機のページを開いているときに隣の男の子がそっと私の耳にささやきました。

”これもこれもこれも、ぜーんぶアメリカが作ったんだよ。”

日本は敵国。日本は敗戦国。初めてアメリカから見た歴史を身にしみて感じ、理解したときのことを、今でも覚えています。

 

”アメリカが作った”と言えば忘れてはいけないのが原子爆弾。今週の科学の歴史の授業ではいよいよ20世紀中盤、原爆の開発、そして利用についてでした。

”原爆は使用するべきではなかっただとか、戦争を早く終わらせて長引いていたならば亡くなっていたであろう命を救うという正当な理由があっただとか、いろんな議論はあるけれど、今日はその話はしません。”

”原爆を使用する正当な理由があった”、”原爆が使用されていなければ戦争は長引きさらに多くの命が失われていた”。私はこのような意見は日本では聞いたことがありませんでした。今回はこの意見を聞くのは初めてではなかったけれど、留学を始めた当初こんな意見があることに私は驚きました。日本では原爆は”悪”だと学んできたから、こんな意見があったことを想像もできませんでした。

 

教授は続けます。

”私が今回みんなに読んでもらった本を選んだのには理由がある。まずはもちろん、とても良く書かれているからだけれども、一番の理由は題名です。’Hiroshima: the world’s bomb’ (広島:世界の爆弾) 。原爆は確かにアメリカで開発され、アメリカ軍によって使用されましたが、実は”アメリカのもの”とも言えないのです。なぜなら、世界中の科学者達が開発に関わっていたからです。”

20世紀始め、科学の中心は英国とフランスからドイツへ変わりつつあった。そして特に物理の世界で注目を集めていたのが量子力学。原子の世界を解明すべく、多くの科学者が自らの研究に情熱を注いでいた。自分の好奇心を満足させるため、真実を解明するためのはずだった科学が、だんだん国のため、政府のためになり、いつしか科学は兵器の発展にも欠かせなくなった。そして、第二次世界大戦とナチスドイツの権力の拡大でドイツやその周辺の国々の優秀な科学者たちはアメリカへ逃げることになる。そのおかげでアメリカの大学は大きく発展をし、原爆開発にもヨーロッパ各国からの科学者が集まった。

原爆とアメリカをいつも結びつけて考えていた私には、とても新しい考えでした。そして、ナチスの権力の拡大があったからこそ、今”世界トップ”とも言われるアメリカの大学が存在するという、なんだか皮肉な歴史。

 

原爆の開発、そして投下について話し終えた教授の締めの言葉、

”そして、9月2日に日本は降伏しました。”

9月2日?終戦、玉音放送は8月15日、と覚えていた私は”教授!日にちが間違っています!”と言い出したかったのですが、歴史についての知識ははるかに私をこえる教授が間違っているはずが無いと思いなおし、黙って考えてみました。よく考えてみると、日本の降伏を国民に知らせたのは8月15日でも、実際国同士で正式な書名をしたのが9月2日なのではないかという考えにいたりました。授業後調べてみるとその通りで、国によって第二次世界大戦の終戦は違う日が記念日となっていることがわかりました。

 

しばしば日本のニュースでは中国や韓国の歴史の教科書の内容が報道されまずが、その他の国ではどのように歴史が教えられているか、考えたこともありませんでした。視点を変えただけで、こんなにも歴史の見え方が違うことに驚きました。”日本はアメリカの敵国”と考えたら、もし”様々な国が共同で開発した原爆”と習っていたら、私がアメリカの教室で感じる”心のチクリ”はどう違っていたのだろうか?”視野を広める”とはどういう意味か、改めて感じさせられました。

 

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スタートライン

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高校を卒業する前だったから、2年前の春のことだっただろうか。ロシア人の友達と、”卒業後は何をするか”とか進路について話していた。お互いもうアメリカの大学から合格の通知は受けていて、残すは最終試験だけって所だったけれど。ロシア人の彼には一つ迷っていることがあった。それは入学を一年間遅らせて何か他のことをする、いわゆる”Gap year”をとるかとらないかであった。

”いいね、やれば良いじゃん!”

私が促すと、彼はこう答えた

”うーん…そうしたい気持ちは山々なんだけど、アメリカとロシアの関係っていつどうなるかわからないから…。もし入学一年遅らせたら、その間に関係が悪くなって入学できなくなったりしないかが心配なんだ。”

….

このとき、私はこんな心配が存在することを初めて知って驚いた。しかし自分の中では”そんな、ロシア人の学生がアメリカの大学に行けなくなるほど、1年の間に大きく国際関係が変化することは無いだろう”と思った。

 

あれから二年。信じられないことが起こった。それもいとも簡単に、一人の男によって。ロシアではなかったけれど、ムスリムの国7カ国の国民のアメリカへの入国が制限されたのだ。私は直接影響を受ける訳では無いけれど、対象の7カ国から今アメリカの大学に勉強しに来ていると知っている高校の頃の友達の顔が頭に浮かぶ。世界の注目が、とあるツイッターアカウントに集中する。

 

何だろう。

悲しい。

 

前はよく、歴史の教科書や戦時中が舞台のドラマなんかを見たりして、”あの頃に生きた人は大変だったんだろうなあー”とか他人事のように思っていた。自分の生きている間に、そんな歴史の教科書に載るような大きな出来事なんて起こらないだろう、と。しかし最近はそうでも無い気がする。6年前、部活中の体育館であの大きな揺れを感じた時からだろうか?それとももっと前、突然学校に母が迎えに来て、無残に崩れる高層ビルをテレビの画面で見た時からか?

 

自分は、歴史的な瞬間を生きている。

最近はそう自覚するようになった。

 

雪の次の日、晴れるとなんとも爽快

 

さて、私の感情や、専門知識の無いことについて語るのはここまでにして、もっとちゃんと分かっていることについて書きたいと思います。ということで、今学期の授業を紹介したいと思います。まだ宣言はしていませんが、この間ようやく専攻を決めました。“Science and Society”と言って、直訳すると”理科と社会”….なんだか小学校の教科に聞えてしまいます。だからと言って英語が分かる人に言っても”は?”って顔されます。簡単に説明すると、”理科の歴史”です。実はこれはそんなに珍しい学問ではなく、ハーバード等では名の知れている独立した学部もあります。

ScienceとSociety(日本で言えばいわゆる理系文系?)は二極化して見られがちですが、社会の中ではどうかかわって、お互いどのどのように発展してきたか、ということを学びます。なかなか理解しにくいと思うので、これから紹介する今学期の授業の説明の中でもう少し掘り下げて行けたらと思います。

 

SCSO 1000 Introduction to Science and Society

(理科と社会:入門)

その名の通り、私の専攻の入門の授業です。Scienceとは一体何なのか?他の考え方(ways of knowing)とはどう違って、なぜこんなにも私達の社会の中で価値あるものとして評価されるのか?こんなことを考えるディスカッションが中心の授業です。例えば今日の授業では、Popperという哲学者が考えたScienceの定義について話しました。今の世の中で一番Scienceとして認められているのは物理や数学だけれども、生物はちょっと違ったりする。さらに心理学になると、”それはscienceでは無い”と言う人も出てくるが、社会科学の学問の多くは”私達もScienceだ”と主張したがり、その地位を望むのはなぜなのか?

少しはどういう学問か、分かっていただけたでしょうか?

 

CLPS 0040 Introduction to Cognitive Neuroscience

(認知脳科学?認知神経学?入門)

テレビのニュースや新聞で、”○○は脳の××が関係していることが判明”というような見出しの記事を見たことがあるでしょうか?それらはこの分野の研究によるものです。正しくどう訳して良いかわからず申し訳ありません。脳科学と認知科学を合わせたというところでしょうか。私の専攻では、理系科目も4単位必要なので、認知科学の分野を選びました。私にとっては初めて、ちゃんと”教科書”がある授業です。初めて”試験”が中心の授業です。今までの文系科目はいろいろな文献からの抜粋が多く、課題はエッセーばっかりだったので新鮮です。また、私がとったことある授業の中では最大規模の120人なので、初めて講堂で授業を受けます。

今までとった授業の中で、一番理系の授業です。

 

ANTH 0310 Human Evolution

(人類の進化)

この授業も、名前の通り人類の進化について学びます。これはbiological anthropology(自然人類学)の授業で、人類が物理的にどうやって発展してきたかを学びます。”人類学”と言うと文化人類学を思い浮かべる方も多いと思いますが、このようにとても理系よりの分野もあるんです。今はまず、進化論の発展や遺伝の仕組みなどを学んでいます。細胞分裂やら染色体、DNAやRNAなど、高1の生物の資料集を思い出します。今思うと、あれは図解や写真が多くて、とっても分かりやすくできていましたね。メンデルの豆の実験など、懐かしいものが英語に姿を変えて現れてきています。

覚えることが多そうですが、がんばります。

 

FREN 600 Writing and Speaking French Ⅱ

(フランス語で書く、話す2)

相変わらすフランス語は続けています。これが基礎レベルの授業最後となり、これ以上のレベルの授業は文学や政治など、テーマごとの授業になります。そして、この授業を終えれば、フランスに行っても問題なく過ごせる程度の語学力が身につく…はずです。少なくとも、この授業をB以上で終えれば、フランスへの留学に必要な語学力があるとみなされます。私は来年一年間留学したいと思っているので、気が抜けられません。

 

HIST 1825 Science at the Crossroads

(理科の岐路)

秋学期の授業Roots of Modern Scienceの続きです。先学期の経験から、”今学期は絶対に4つしか授業はとらない!”と思っていたはずが、この間受けた授業の続きなので今学期取らなくては!と思い、登録してしまいました。実は、教授は先学期の授業、そしてSCSO1000の教授と同じなんです!彼女の授業は本当に面白くて、とっても好きです。更に、もう一人この授業には教授がいて、彼は私の専攻のアドバイザーの方なんです。今度の授業はアインシュタインから、現代までの理科の歴史を学んでいきます。

 

そして更に…

Religious Literacy Projectというものに参加します。

これは授業では無いのですが、毎週集まるセミナーのようなもので、2週ずつキリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教の5つの宗教について学んでいきます。宗教ごとに、牧師や僧侶など、その宗教に深く関わっている方もいらっしゃるそうです。これは来週から始まります。

 

雪景色の中に…あれ?何か黄色いものが?

 

授業5つ+セミナーを受けることにし、自分で自分の首を絞めることになるのではないかと少し心配ですが、きっとやってみせます。専攻も決めて、ようやく少し方向性が見えてきて、授業同士もかなりお互いに関連してきて、どんどん面白くなってきました。というより、生まれて初めてこんなにも”面白い!”と思える学問を見つけた気がします。今、”一番好きな教科は?”と聞かれたら、迷わず”理科の歴史!”と答えられます。理系・文系選択で迷った高一の頃の私の願いを、こういう形で叶えられるのはうれしいです。今学期はかなり理系よりの授業選択で、初めてのことも多いですが、予測不能なアメリカ情勢にめげずに進みたいと思います。

 

今日行われた、トランプ政権下の環境政策についてのteach in

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大学は、勉強しない場所?

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午前9時。フランス語の授業が始まる。教授が来週からはこの本やるよとか、テストを始める前にお知らせをする。

ベーグルをくわえて教室に入る男の子、席に着いてシリアルをバックから取り出す女の子。

結局教授は3回も同じことを繰り返さなくてはならなかった。

 

午前10時。人類学の授業。”なんだかいつもより人数が少なく感じるけど、始めよう”と、5分遅れで授業が始まる。

チラチラ画面が移り変わる前の子のパソコンの画面。友達へのメッセージを送って、ハロウィーンの衣装をネットで探している。

ディスカッションするグループに分かれてから、遅れて入ってくる数人。グループの人に、申し訳ないがまだ名前を覚えていないので自己紹介を頼むと”私いつもここにいないから、覚えてなくとも不思議じゃないわ”と答える4年生。

 

午前11時。ブラウンで有名な教授の一人、Prof. Hazeltineの授業。60人程授業には登録されているはずなのに、いつも30人も来ない。せっかく学期の始めに大きな教室に移動したのに。

教授が話し始めても止まない話し声。何もメモすること無いときにも続くキーボードの音。ディスカッション中心のセミナーのはずなのに、静かな3列目以降。顔はパソコンで隠れてる。

80歳を超えたとても尊敬されている教授が声を上げて発言を促しても、無反応な生徒たち。後ろに座っている人たちが何をしているのかは見えないけれど、おそらく全く授業には関係ないことをしているんだろう。

 

正午。フランス語の会話のセクション。TA(Teaching Assistant)とカジュアルな会話をする。

”今日のテスト、難しかったね。私、提出しない宿題何もやってないから。あはは。”

と笑顔で堂々と宣言するクラスメート。

 

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Roger Williams Park のイベントJack-o-lantern Spectacular。毎年行われる、5千のかぼちゃのディスプレイ!

 

日本の大学ではみんな勉強よりもサークルやバイトばかりで、アメリカの大学はちゃんと勉強すると言われているけれど、本当にそうだろうか?夏休みに聞いた日本の友達の話からすると、彼女たちはちゃんと勉強もしてる。最近は、ブラウンで授業に対するとても”真剣”とは言えないような他の生徒の態度が見えてしまって失望というか、なんだかイライラしてしまう。結局生徒はどこも同じなのか。フランス語の授業で、”Entre les murs”というフランスの教育の問題をあらわにした映画を見て、ブラウンも同じようにカオスじゃあないかと、ふと思ってしまった。

何で?

私には分からない。何で?何で遅れて入ってきて平気な顔で朝ごはん食べてるの?フランス語の授業は、朝食会場では無いのに。ハロウィンの衣装、授業終わってからでも探せるのに。発言したく無いなら、何でセミナーの授業をとったんだろう?来ないならまだしも、何で授業に来る努力はしながら来て何も聞かず、話さないんだろう?何でこんなに尊敬されていて、みんなの名前を覚えてくれる教授を平気で無視し続けられるのだろう?教授に対する尊敬の気持ちってのは無いのだろうか?

私には理解できない。

 

先日ブラ熊の大先輩のアツさんにお会いし、このことを話しました。そしたら意外な答えが帰って来ました。

”でも、そんな人のこと言えないんじゃない?だってそう言ったら、毎回5つ授業とらない意味が無いじゃん。全部の授業で一番前の真ん中に座らない意味が無いじゃん。それを全部やってから、ようやく人のこと言えるんじゃない?”

その時、お店の中は賑やかで、アツさんの言葉をちゃんと理解できたかは分からないけれど、何だかはっとさせられました。

 

私は先学期から授業を5つとっていて、多くの授業で一番前の真ん中に座っている。だから、アツさんの言うことからすると私には他の生徒に対して文句を言う権利がある。でも、考えてみれば例としてあげたられた以外のことで私は全てに全力を注いでいるかと思うと、そうではない。

確かに、一番前の真ん中に座らない意味が無いけど、逆にそこに座る意味も無い。全部に全力を注いでいたら、疲れ切ってしまう。他の人はどこに力を注いで、どこは手を抜くか上手く判断ができているとも言える。私にはそれができていないから、reading intensive(読む量が多い)授業ばかりを5つも取って、疲れ切って自分を苦しめているのか。このブログだって、他のメンバーは時間に余裕がある時、書く甲斐のある内容を良く考えて書いているのに、私は”毎週書く”ということに全力を注いで書いている。別に考えずに書いている訳では無いけれど、内容が薄かったり、宿題を終わらせられなかったり、夜遅くまで起きて翌日疲れてたりすることがあのではないか。

 

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ブラ熊メンでディナー。やっぱり店員ってあまり写真頼りにできない…。

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Take2。全員写ってはいるものの….。きあさんの笑顔が眩しいです(笑)

 

一番大切なものって何だろう?私にだって私なりの優先順位があるけど、そもそも私の基準のつけ方がおかしいのか?忙しくしすぎた夏休みから何も学んで無かったようだ、またとにかく忙しくして、がむしゃらに頑張っている。”忙しくするのが好き””時間を無駄にしたくない”とは、実は”何も無くなって、一度止まって考える恐怖から逃れるため”の言い訳ではないか。それとも、いつかのブログにも書いたように、真面目な人ほど損する世界なのか。

 

今日、春学期の授業の事前登録がありました。そろそろ専攻について考えて授業をとらないといけないことに気がついて焦る私。とりあえず授業登録したけれど、冬休み中にじっくり専攻とか、インターンのこととか、将来のこととかいろいろ考えなければ。でも、なんだかまた冬休みもバイトや成人式やお正月の集まりで忙しくしすぎてしまう気がする。どうか、今度こそは自分をコントロールできますように。

 

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行方不明の来客と、今学期の授業

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日曜日の朝。

あれ?いつも私より遅く寝て遅く起きるルームメイトが起きている。休日なんていつもはお昼頃まで寝ているのに…今日は何かあるのだろうか?

”おはよう”

とあいさつすると、ルームメイトが

”もう、昨夜大変だったんだ”

と話を始めた。

”昨夜寝ようと思ったら、変なムカデみたいな虫がいて!ノートではたこうと思ったらどっか行っちゃって見つからなくてね、まあ良いかと思ってベットに入ろうとしたら…ベットの上にいたの!!もうどうしようもなくてJちゃんにSOSのメッセージしたらね、夜中の3時ぐらいなのにすぐに殺虫剤持って駆けつけて来てくれて。二人でびびりながらがんばって退治しようとしたけど結局どっか行っちゃって…。いつどこから出てくるかわからなくて怖いから、昨夜はJちゃんの部屋で寝たんだ。あーもう、虫って気持ち悪い。これ以上出てこないと良いけど…。”

害虫避けを部屋に設置したけれど、私のゴキブリとの遭遇に続きやっぱり虫はいるのか….そして昨夜の虫はまだ部屋のどこかにいるのだろうか?

 

dsc09443

害虫避け。なんか害虫が嫌がる音波か何かが出ているらしいが、効果があるかは不明。まあなんだかお守り感覚で設置してあります。

 

…じゃなくて!

え?そんなことあったの!?私が寝ている間に!?Jちゃん部屋に来てたの?!?!

こんな騒ぎがあったのにも関わらず、全く気がつく事無く、すやすや寝ていた自分に驚きました。

以前は真っ暗で音の無い静かなところじゃないと眠れなかった私。修学旅行等では大部屋で”静かにして!”とか周りによく言った私が、今ではある程度の明かりや音はもちろん、深夜の害虫騒ぎにも動じずに眠れるようになりました。寮での共同生活も4年目を迎えるとこういうことができるようになります(笑)

 

さーて、今日ようやく今学期の授業が定まりました!人数制限がある授業にようやく正式に登録できて、思わぬところで友達に遭遇したり、更にさっきルームメイトがアイスを買ってきてくれて、良いことばかりでルンルンな気分です:)ではでは、どんどん授業紹介しちゃいます。

 

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今学期買った本。教科書代は意外とかかるので、なるべくオンラインでPDFを見つけたり、図書館で借りて本代は節約しています。

 

FREN 0500 Writing and Speaking French Ⅰ

(フランス語で書く、話す)

流暢なフランス語を目指して!今学期もがんばります。去年取った”Intermediate French”中級レベルの授業からレベルアップ、名前も”Writing and Speaking”に変わりました。日本では言語の”読み書き”とは言うけど、この授業は”書く、話す”が中心。もう文法の復習は授業内ではしません、文法は個人で復習します。今は詩をやっていて、学期中に長編と短編の本、そして漫画を一つ読むそうです。相変わらず授業をちゃんと理解できているのか、自分が正しくフランス語を使えているのかわからないことが多いですが楽しくやっています。

 

ENVS o11o Humans, Nature, and the Environment: Addressing Environmental Change in the 21st Century

(人類と自然と環境:21世紀においての環境変化の扱い)

和訳が不自然ですが、環境学の授業です。入門の授業なので、環境学や環境問題について薄く広く学ぶことになります。この授業の面白いところは、engaged scholar program(直訳すると”取り組んだ学者プログラム”)と言って、授業を通して学校外の人や団体と繋がりを持つことが求められているところです。15人ほどのグループに分かれて、それぞれのグループが一学期を通して学校外の団体と共同でプロジェクトを行います。また、遠足が必須であったり、試験が無かったり、一般的な”授業”の形とは違う形態をとっています。今週は環境学に対する考え方(environmental discourse)について話しているのですが、月曜日も水曜日も議論が盛り上がりすぎてスライド一枚しか進めませんでした。教授曰く、金曜日こそ全部終わるそうですが…どうでしょう?週3時間授業+1時間半のセクションと忙しそうですが、やりがいがとてもありそうな授業です。まだどのプロジェクトのチームに入るのかは決まっていないので、これからが楽しみです。

 

ENGN 0130 The Engineer’s Burden: Why Changing the World is So Difficult

(技術者が直面する困難:世界を変えることはなぜこんなに難しいのか)

私が工学部の授業を取るとは!しかし工学部と言っても工学部の中のビジネスに近い授業です。(そう、ビジネス専攻は工学部の下にあるんです)工学部の授業とあって、なんだかガタイが良い男子が多い気がします。ブラウンに来て、男子の方が多い授業始めてかもしれません。この授業の教授はブラウンでも伝説的な存在であるBarrett Hazeltine. ブラウンでのビジネスのプログラムBEOを立ち上げたりした方で、年齢はおそらく80代。年齢の事もあり、毎年”今年で最後だ”と言われています。”Am I making sense?”(俺、意味通ってる?)”Am I doing you justice?”(俺、君に公正なこと言ってるか?)が口癖で、良い発言をすると握手してくれます。授業内容は、どのような革新、イノベーションが社会にどのような影響をあたえるのか?良い影響、悪い影響等について考えるセミナーです。理系的な考え方で、”技術の発展が世界を救う”という生徒が多いのが感じられて、今まで取った授業とは全く違う雰囲気です。Hazeltine教授に握手してもらえるように、自分の考えを磨いていきたいと思います!

 

bhazelti

学部のウェブサイトからの写真。なんだか年季がある。

 

HIST 1825 The Roots of Modern Science

(近代科学の根源)

近代科学、特に18世紀半ばのニュートンの時代から19世紀半ばのダーウィンまでの歴史を学びます。毎週金曜日はJohn Hay 図書館で本物の貴重書を手にしながら議論をします。Lownes Collectionと言って、学部生の科学の歴史の勉強だけのための貴重書のコレクションがあるんです!先週はコペルニクスの”天体の回転について”の原本とか、ケプラーやデカルトの本の原本を見て、触りました。そう、写真を撮ったり持ち出すことはできなくても、ブラウンの学生ならページをめくることができるんです!明日の授業では”百科全書”を見るそうです。この授業と教授は歴史をお話のように話してくれて、とにかく話が面白いです。”科学”の歴史と言っても、”science”という言葉の当時意味は今と全く違くて、現代の西洋の思想の根源の歴史と言ったほうが良いでしょうか。当時の人達がどのように世の中のものについての”知識”を得て、”知識を得る”ことが人々にどのような力を持たせ、社会を変えていったのか、現代社会の基礎となった思想の歴史です。

 

ANTH 1515 Anthropology of Mental Health

(精神衛生の人類学)

これが人数制限があって、今日ようやく入れた授業!日本ではほとんど話されることのない”精神衛生”。そもそも”Mental health”という概念が存在しません。ネット調べてみたら、”心の健康”とか”精神の健康”とか出てきましたが、日本ではここ数年ようやく鬱が社会問題として取り上げられるようになったりと、まだ新しい概念です。精神の病=頭がおかしい=恥=隠しておくべきだ、という悪いイメージばかりついています。しかし留学での経験で”mental health”という概念に出会って、実は自分の周りにも”mental health”に悩まされている人がいたり、自分との関わりが深いことだと気がついて、そもそも”mental health”って何なのかが知りたくてこの授業を選択しました。今週は精神病が社会の中でどのように理解されて、扱われてきたかの歴史について学びました。精神衛生をただ脳科学や医学、心理学的に見るのではなく、人類学や歴史、社会学など様々な学問や文化を通して理解を深める授業です。

 

timetable-fall2016

今学期の時間割。月水金に授業が一日4つあるのは、日本の大学では普通かもしれませんが、アメリカの大学にしては多いほう。これに更に環境学とフランス語のセクションが入る。

 

はい。ということで今学期も5つ授業をとります!授業料は同じだから、多く取ったほうがお得!というのもありますが、どれも面白そうなので。それに、5つ目の人類学の授業に入れなかったら、火木授業無いというよくわからないスケジュールになるところだったので良かったです。これから更に環境学とフランス語のセクションも追加されるので、今までで一番忙しくなりそうです。文系の私ですが、今学期は理系に関連する授業が多いです。また、おそらく膨大な量の読み物に苦しむことになるかと思いますががんばります。

 

まだ学始まって1週間ですが、もうすでにいろんなことがありました。”カレッジヒルと国際奴隷貿易”がテーマのキャンパスツアーに参加したり、日本文化サークルのイベントのためにカレーを作ったり、友達とブランチに行ったり。ブログに書ききれないこと、いろいろしています。

 

今日は最後に、夕方参加した”Should free speech be limited on college campuses?”(言論の自由は、大学内で制限されるべきか?)という講演でされた質問を紹介して終わりたいと思います。機会があれば、この講演の詳しい内容についても紹介しますね。

“Is college a place for everyone, and should everyone go to college?”

(大学はみんなのための場所で、みんなが行くべきところだろうか?)

うーむ。どうだろう?”大卒”って社会の中で評価されるけど、本当に誰もが行くべきところなのだろうか?今日一番印象に残った質問です。みなさんも考えてみてください。

 

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書こう書こう病、克服

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とてもとてもお久しぶりです。メイです。

 

夏休みは予想通り、「書こう書こう病」にうなされ、気付けば2か月間姿を消してしまいました。ごめんなさい…。

 

ですが今日から心機一転!今までの投稿数はともかく、ブラ熊2年生となりました。早い!!!今週は「書こう書こう病」からの病み上がりとして(笑)毎学期恒例となっている授業紹介をしていきます。

 

three

 

おいおい、空白の2か月間どうしてくれるのだというところですが、気長に小出しさせて下さい…今は夏休みの思い出としてもう少しだけ噛みしめます。

 

***

 

さてはて、2年生の内の一大行事と言えば専攻決め。

ですが、わたしの今期のテーマは「好きなものに素直になる」ということに決めました。月9っぽい心意義なのはさておき、これには理由が2つあります。

 

1つは、ただ単にスケジュールに少し余裕が出来たから。昨年度は物理と哲学の専攻自体にワクワクドキドキしすぎて、一年生らしからぬ勢いで専攻に必要な科目をとっていたため、2年の秋に専攻に関連するものはごくわずかになりました。

 

もう1つは、「好きだ好きだ病」のこわさを学んだからです。昨年の私はいろんな授業に目が行っては、安易に「この授業好き、とりたい」と惚れっぽくなっていました。もちろん、取ってよかったという授業もありましたが、中には授業内容ではなく、その科目を学んでいる自分に惚れ惚れしているだけという時もありました。これを基準で選んでしまうと結局課題がただの重荷になり、授業中も脳内が独り歩きすることは多々あります。なので今期は月9モードから火曜サスペンスモードに切り替わり、もっとじっくり試行錯誤しながら授業を選びました。

 

***

 

選んだのがこちら:

 

PHYS0470: Electricity and Magnetism

電気磁気論

 

こちらは物理コースを取る生徒には欠かせない授業で、物理と哲学専攻の必修科目でもあります。今期とる授業の中で強いて言えば一番関心が低い授業になってしまいますが、ここを押さえておかないとこの先にあるもっと面白い物理の世界には行きつかないので頑張ります(笑)

 

PHYS1280: Introduction to Cosmology

宇宙論入門

 

人生初。電気磁気論とはまた別に、2つ目の物理の授業を取ります!これもまた物理/哲学専攻としてカウントされますが、されていなくても取っていたであろう授業です。何て言っても宇宙論ですから。これまでやってきた物理の授業とは違い、問題を解くというより宇宙の歴史や仕組みを様々な資料を通して学んでいくというスタイルで、いわゆる「理系」頭ではない物理好き、宇宙好き(自分)にはもってこいです。学期の最後には自分の好きなテーマでプレゼンをすることになっていて、試験の代わりだとは分かっていても楽しみですね。

 

one

(久しぶりのキャンパス)

COLT0510K: The 1001 Nights

千夜一夜物語(アラビアンナイト)

 

Comparative Literature(比較文学)の授業で、一番なじみ深いイメージで言うとディズニーの「アラジン」の世界観です。「アラビアンナイト」も一作品としてご存知の方が多いかと思います。本のネタバレになってしまうのであまり多くは語れませんが、何百年も前に書かれたものにも関わらず、現代との共通点や物語中に張られた伏線の多さにすでに驚いています。文学をちゃんと勉強すること自体初めてですが、本好き(自称)として、文章書いている者(自称)として面白いなと思い、教授のファンキーさに心打たれ取ることを決めました。

 

EAST1280: Introduction to Japanese Cinema

日本映画入門

 

こちらが今期一番の冒険かもしれません…母国のことについて学ぶのが吉と出るか凶と出るか(笑)週1に2時間半というスケジュールで行われ、毎週映画を一本見てディスカッションをするといった具合です。映画の内容だったり、時代背景だったり、撮影の技術だったりと様々な面から映画を見ていこうとする授業ですが、個人的には日本の映画について学ぶというより、それによって見えてくるアメリカの映画の特徴を学ぶことの方が多い時もあります。例えば、「日本の映画は基本的にペースがゆったりとしている」と教授が言うのであれば「アメリカの映画はペースが早い」という認識で聞いています。やはり多かれ少なかれ、日本人として自分の中で作り上げられた基準がどこかにあるからこそ、そのような思考をする時が出てきたり、出てこなかったり。

 

…と今期はこのようなラインアップです。我ながらになかなかブラウンのリベラルアーツ、オープンカリキュラムをフル活用できているかなと天狗になりつつあります(笑)ちなみに哲学を一つも取りません…少し寂しかったり。

 

***

 

空白の2か月間、埋めていきます。

 

それではまた来週!(ちゃんとお会いできますように)

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初めての留学(パート2:苦悩)

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皆さんニーハオ!

巴基です。

 

先週は体の調子があまりよくなかったのでブログは休ませてもらいました。どうぞご了承ください。

 

という訳で前回の続き、主にこのPrinceton in Beijingという中国語留学プログラムでの1日の流れ及び最初の数日間の心中について書きたいと思います。

 


 

授業1日目の前日。

 

午前中にプログラムの先生数人のあいさつがあり、その後このプログラム最大の特徴である”中国語Only”の誓いにサインをしていよいよ中国語しかしゃべれない生活がスタート。

 

あいさつの後それぞれの学年に分かれ説明が行われたが、かなり微妙な雰囲気。。。僕含めみんなどう話せばいいのか、何を話せばいいのかで混乱中。

 

そんな心配はよそにすぐお昼の時間。初めての”中国語会話テーブル”がスタート。これは週2回、先生と生徒数人が一緒に昼ご飯か晩ご飯を食べるというもの。ここはつまずきながらも全集中力を駆使して乗り切る。

 

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ついでに中国で初めての水餃子も堪能。やはり本場の中華料理は美味しい。^_^

 

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麻婆豆腐もこないだ食べたが、豆腐の味が濃くてすごく美味しい。しかし写真を色々と撮りまくっているせいで宿舎のルームメイトには”君、本当に日本人だね”とよく言われる(笑)

 

午後は勉強や事務関連をこなし、翌日の授業に不安を抱えながら就寝。

 

宿舎の部屋はこんな感じ。母が30年前に同じここ北京師範大学に留学した時とは歴然とした違い。エアコンあるしシャワールームもあるし。

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なんかちらっと誰かさんが映っているような。。。^_^;

 

授業初日。とにかく不安しかない。

単語や文法を覚えていることを願って教室へ。

 

授業内容は驚いたことにブラウン大学とそこまでは変わらない。授業のはじめにまず単語のミニテストが行われる。その後は全体的に先生が質問を生徒に投げかけ、生徒が答えるという方式。ただし、これが8時から12時まである上、クラス1つに生徒が5人なのでかなり疲れる。もちろん休憩はあるが、大抵は10時10分にやらなくてはいけない1分間のプレゼン(ノート使用不可)の準備に追われ、ろくに休んでいる時間もない。

 

午後は更に50分間の先生との個人会話(時には更に25分別の先生との個人会話があることも)。最初の数日間は地獄にしか感じられなかった。言いたいことが全然出てこないし、言いたいことが出てきても中国語でどういえばいいかわからないし、ストレスがたまり続けた。こんなんで8週間体が持つのか?夜寝るときは常に不安、おまけに日本語や英語を話さないように必死でものすごく疲れた。

 

1週間たったころから徐々に慣れてきてようやく生活からストレスが大部分消えた。中国語が自然と出てくるようになり、授業で覚えさせられる単語以外にもいろいろと覚えられるようになった。最近では中国語が出てきて日本語の単語を忘れるほどに。先生との個別会話が楽しく感じるほどに。

 

まだ2週間しか経っていないが、少しずつ上達はしている気がする。プログラムを卒業した時どのくらい上達しているのか。

 

久しぶりに自分の今後の成長が楽しみです。

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私の建築論

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今学期、現代建築の授業をとった。
1960年代から今にかけて、建築家たちが持つ独自の「建築論」はどのように変化してきたのか。
今の建築界を担うフランク・ゲーリー、ザハ・ハディッドらがデザインする、曲線的でダイナミックな建築スタイルが、20世紀初期を代表する、合理的かつ幾何学的な近代建築からどのような影響を受けてきたのか。
アメリカ建築だけではなく、スイス、オランダ、フランス、日本、中国、メキシコ、などなど。とにかく世界中の建築物について学んだ5ヶ月だった。

・・・・・

 

自分の中で建築というフィールドは、多種のアートとは違う立ち位置に存在する。
建築について考える自分と、絵画・彫刻・版画・写真等の視覚芸術 (ビジュアルアート) と呼ばれる芸術ジャンルに対する考え方は少し異なる。
それは単純に、「誰の為に制作されるのか」の違いだと思う。
誰かへの贈り物として描く絵などは別として、ほとんどのビジュアルアートは「自分の為」に制作される。対して建築は、ただ美しいだけではなく、その創り上げられた建物と空間の中で生きる使用者への思いやりが必要だ。結局は「人々の為」に存在するものということだ。よって建築家は、その作品に、単なる自己表現の場として、いわば自己本位的な姿勢で向き合うのでは、真の意味での「良い建築」が生まれないと思う。その存在がどのような影響を人々に及ぼすのかを考える必要が、必ずにあると思う。

 

“Control and expressiveness. With all my art, I try to achieve just the right balance between the two. And it’s always the most difficult.”
先日アートをする友人が言っていたこと。
建築のみならず、全アートジャンルで共通して言えることだと思うけれど、
美術・建築史を勉強する者として、作品制作をする者として、私もいつも思うことだ。
建築で例えるとすれば、近代建築は”control” (理性、規則正しさ?) を、現代建築は”expressiveness” (感情、表現性?) を象徴するスタイルだと思う。こんなざっくり分類することは本当はできないのだけれど。笑
20世紀前半の、近代建築の3大巨匠の一人であるミースファンデルローエ。
彼の”Less is More”(より少ないことは、より豊かなこと)という言葉も、彼の鉄骨とガラスを主に使用して作られる角ばった建物も、近代主義の考えのベースになっている。シンプルで、形式的。装飾もなく、余計なものがないクリーンな建築。整然とした、理性的な感じ。”Control“だ。
そんな近代主義のあとに来るのが、現代建築という大きなくくりだ。
例えば、フランク・ゲーリーや、先日亡くなってしまったザハ・ハディッド。
彼らが造る作品の共通点は、ミースの作品にはない曲線的な形がベースとなって、シンプルというよりは、建築そのものが彫刻的。表現的というか、感情に溢れたものだ。こちらは”Expressive“。
 Screen Shot 2016-05-14 at 23.46.49左:フランクゲーリーのフォンダシオンルイヴィトン
右:ミースファンデルローエのファーンズワース邸
真っ直ぐ綺麗に伸びる線、バランスが取れた形、シンメトリー。
このようなものを人間の目は、必然的に「綺麗」と感じる。
でも逆に、数学的なルールのようなものに則って考えあげられた作品は、結果的にシンプルすぎて、人間さや温かみにかける。実際、近代建築は「機械的すぎる」「全部似たり寄ったり」とよく批判される。
それに対してゲーリーやハディッドの現代建築。
その形は整っているというよりは、混沌としている。とにかく存在感がすごい。
人間の感情の変化や、物事の儚さを物語っているよう。だけれど… その奇抜さの反面、使用者への思いやりが欠けていることも少なくはない。先日私が、クラスの期末プロジェクトとして模型を制作した藤本壮介の「HOUSE NA」という家は、床以外の建物すべてが透明ガラスでできている。ようは外から中が丸見え。彫刻的には面白いけれど、だからといってそこに住みたい!とは思わない。ゲーリーがパリに建築したルイヴィトン美術館も、噂によると雨漏りがひどいらしい。
・・・・・

 

 

思いやりがある建築。
美しい建築。
形式的な建築。
表現的な建築。
理性と、感情。
“Control”と”Expressiveness”。

 

建築と空は、似ているところがある。
どちらも、ひとつの物がひとつの場所に永久的に存在するもの。いつも動かずそこにあるものだ。
しかしそれを取り巻く環境、例えば光、温度、天気とかによって、容貌は変化する。
青い空の背景に、毎秒変わり続ける雲模様が流れていく。
部屋のカーペットにブラインドの影が映し出されたり、アスファルトに雨上がりの虹色の光が浮かび上がったり。
空も、建築も、そのような、瞬間的に消えてしまう美しさをとらえることができる。
デザインされた形が象徴する美しさだけでなく、このような”moment of surprise” (驚きの瞬間) を生み出す力がある建築こそが、人らしく、温かみのある空間なのではないか。それこそが、「美しい建築」であり同時に「思いやりのある建築」なのではないか。
元々小学生の時に、建築を学びたくて留学をしたいと言い始めてから、
なんとなくずっと続いている建築に対する想いが、ブラウンの授業を通して知った様々な建築家の著書や作品によってより一層深まった。そして、 自分なりの『建築論』というか、自分の中での「良い建築」「好きな建築」が明確になってきた。
改めて再確認された、自分にとっての学校の定義。
それは、知識を吸収し教養を身につけることだけではなく、今まで自分が物事に対して漠然と抱いてきた数々の考えを、あらゆる角度から見つめ直し、問い、取捨選択する場であること。
 ・・・・・

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話は変わりますが、先日ボストンのジャズクラブで、The Manhattansのコンサートに行ってきました!
なんと活動54年目らしいです。最高でした。
“Shining Star”、”Kiss and Say Goodbye” など、名曲も聴けてめちゃくちゃいい夜をすごせました!

 

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How are you?

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一向に進まない支度の途中、朦朧とした頭で思う

”もう理由をつけて休んでしまおうかな?”

いやいやわかってますって。なんとなく言ってみただけだよ。

わかってるから怒らないでよ。

-ナノウ、”ハロ/ハワユ”より

 

ボカロ好きの人はきっとご存知でしょう。忙しい時、疲れた時、なんか辛い時に自分に”最近どう?”とやさしく語りかけてくれる名曲です。ここ数日ずっと頭の中を流れています。みなさんも是非、疲れた時は一息ついて、この曲に聞き入ってみてください。

 

“How are you?

友達に会うと必ず聞かれる一言。どんな状況であろうと、これは社交辞令だから

“I’m good”

と返す。

しかし実際はどうだろう?

今週は良いこと無くて、時間も無くて、いろいろできる気がしなくて、火曜日の時点でなんか泣きそうになってしまいましたが、さっき大雨の中のラグビーの練習から帰ってきて、シャワーを浴びて、”あ、もう明日は金曜日なんだ”と気がつくとなんか気が晴れたというか、ちょっとリフレッシュしました。

いやー、たまに天然のシャワーを浴びるのも悪くないですね(笑)

 

さて、今日は火曜日に泣きそうになった理由について書きたいと思います。

理由はこいつです。

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平行四辺形

特に鋭角が45°のもの。

正確に言うと、平行四辺形が悪い訳ではなく、これを使った実験とその過程をいまいち理解できない私がいるせいで泣きそうになってしまったのですが。

 

今学期の始めにも言いましたが、今とっている認知科学の1年生のセミナーはなんと生徒が5人しかいません。そこで、論文を読んでとある仮説についてその真偽を議論し合うだけでなく、実際に実験してみよう!となったのですが、理系科目からはしばらく離れていた私にとって、独自の実験を一から考えるのがとっても難しくて…。この授業は中間も期末も無く、成績の70%がクラスへの貢献(参加?participation)で計られるのである意味あまり成績とか気にせずにいられる楽な授業のはずなんですが….今更になって”なんでこの授業とったんだろう…?”とか思ってます。しかし実は”せっかくなら実験をやってみたい!”と言い出したのは私だったりするので、頑張ってます。

 

授業の焦点となっている理論はGoodaleとMilnerという学者の研究によって発表された“The two visual system hypothesis” 。簡単に説明しますと、”脳は物の認知(perception)と運動(action)を二つの別の経路で処理している”という説です。この説に対して、本当だとか間違っているとか、もう何十年も議論されているそうです。

GoodaleとMilnerの研究は形は見えないのに物はよけられるというような視覚失認(visual agnosia)の患者に対して主に行われていますが、症例が少ないため障害を持たない一般の人を使う必要が出てきます。そこで行われるのが視覚的錯覚を使った実験。被験者の視覚が錯覚に惑わされていながら、手の運動に錯覚の影響が無かったら、認知と運動は別の経路で処理されているってことが証明できる訳です。

大体の実験は、まずは被験者に錯覚を見せ、錯覚に現れる物体がどれぐらいの大きさに見えるかを指で表してもらいます。それからその物体を親指と人差し指の二本で掴んでもらって、掴みに行くときに開いた指の間隔の最大距離(maximum grip aperture)を記録します。錯覚によって物体の大きさは正確に認知できていないのに、掴みに行くときは実際の物体の大きさに指の間隔を広げるという興味深い研究結果が多く出されています。しかし注意しなくてはいけないのは、だからと言って二つの別の経路があるという証明にはならないということです。もっと他の理由があるかもしれませんし、実験の行われ方の問題もあります。

ここまでの説明、みなさんついて来られていますでしょうか?なるべく簡単に説明しようとしていますが、私自身、そこまで知識が無いので…興味がある方は調べてみてください。

 

さて、いよいよ私が今やろうとしている実験について。授業では、一人ずつ好きな視覚的錯覚を選んで自分の実験を考えようということに。ここから苦労が始まりました。

まず、まさかの選んだ錯覚がもう一人と被った。この世にいくつも錯覚は存在するというのに、5人しかいないというのに、被った。それに思いついた実験は全く一緒という….。選んだ錯覚はShepard’s table illusion。二つの平行四辺形は合同なのに、違う形に見える錯覚です。結局私は同じ錯覚を使って違う実験をすることに。

 

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二つのテーブルの表面は向きが違うだけで、実は全く同じな平行四辺形です。

 

私が考えた実験は、まずは被験者に”実際は合同ではないけれど、合同に見える平行四辺形”を作ってもらいます。そしてその”同じに見えるけど実は違う”平行四辺形を掴んでもらって、その違いを見るという実験。

平行四辺形の二辺を動かして大きさを変えられる装置をデザインして作りました。まずは裏紙で試行錯誤。それから春休み中に画用紙で作成。”これで春休み後の実験にばっちし!”と思いきや、火曜日にもっと頑丈なほうが良いと言われ二日で材料を買いに行って作り直すことに…。それに、”実際どのように実験を行うのか?”という部分に入ると、私が考慮していなかった様々な点が発覚…。何をどう被験者に見せて、何をどういう順番で何回行うかなど、決めなくてはならないことが多くて…。

”これは2×2×2の、合計8ブロックの実験だね”

”Controlの例も入れるべきだね”

話が理系すぎて何言っているのかよくわからないというか、わかるけど理解するのに時間がかかるというか、理解した気になっているだけで実際理解していなかったり…。他の四人は自分が何をやっているかちゃんとわかっているようで、そんな中私はもう頭がパンクしそうになっていて…。

 

”実験をやってみたい!”とか軽い気持ちで思いましたが、実際に実験をデザインして行うことの大変さに気がつきました。ここまでやって、結局最後までやり遂げられないのでは?失敗するのでは?また全部作り直すとか無理だよ!いろいろ不安になって、火曜日の授業のあとは泣きたくなってしまった訳です。

教授にこの不安を伝えると、

“Don’t worry, we’ll support you. That’s what we’re here for. You’ll be fine!”

心配しないで、サポートするから。私たち(教授と研究員)はそのためにいるんだ。君にもできるさ!

陽気なイタリア訛りの英語で励ましてくれた。

 

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装置のアイディア、試作品、そして右側の黒いのが完成品

 

今日、どうにか授業までに実験の装置をつくり直して教授に見せると、“This is perfect!”(これで完璧だよ!)とほめられた。実は角度や長さが少しずれていたり、定規を使ったのに若干真っ直ぐではなかったりと、完璧とはほど遠いのですが….。素人なので許してください、という気持ちです。

実際に使う研究室と器具を見せてもらい、来週には実験を行って何かしらのデータを集めるのが課題です。明日は実験の最終確認をしてきます。目の前に形あるものができて、少し不安も無くなりました。来週、問題なく実験が行えますように!

 

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研究室の中。指の動きを感知する装置は6万ドルもするらしい。ちなみに左側のカメラ目線(?)の方が教授。

 

こんな訳で、ここ数週間平行四辺形を切り抜きながら”自分は理系な頭ではないんだな”と感じた柚子でした。

 

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Are we really looking?

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ある日、ボストンにて。
電車を降りて駅を後にし、横断歩道の信号が変わるのを待っている時のこと。確か、20人くらいだったかな。小学6年生くらいの東洋人の団体が綺麗な二列になって、私と同様、信号待ちをしていた。彼女たちを見ているとなぜか微笑んでしまう。日本人かな?なんかちょっと日本人っぽいな。修学旅行かな。
声が聞こえた。
「なんだか、アメリカ!!って感じ。」「こんな綺麗な教会、日本にあるのかな。」
やっぱり日本人だった。なんだか少し嬉しくなった。12歳くらいの子達が、アメリカに来て、ボストンに来て、楽しそうにしている。目を輝かせて360度街中を見渡し続けている。
10年前、自分が初めてボストンに降り立った時も、こんな顔をしていたのかな?いつまでも続く煉瓦作りの歩道と、必要以上に大ごとっぽく装飾がされた建物を見て。馴染みのある街並みとはまるで異なる、はじめましての街の姿に、ただただ驚き、感動していたのだろう。彼女たちみたいに。

 

慣れることって、怖い。
いつも、気づいたときにはもう遅い。「非日常的」だったものが時を経て「日常的」なものへと形を変えてしまっている。自分が知らないところで。どんどん「普通」が増えて、逆に「特別」の存在感というか、それから受ける刺激も増す。不思議だなぁと思いながらも、しょうがないか、とも思うもので。

 

・・・・・
先日、History and methods of art Historical interpretationという授業中に、1950年代に放送されていた洗濯機のCMを見ました。当時の人気女優が大きな洗濯機の左側に立って、カメラに向かってひたすらその洗濯機の高性能について語り続けるというもの。撮影しているカメラアングルは固定されていて、30秒のCMが一つのカットで撮られています。
21世紀の今、私たちがテレビやネットで見るCMとは、まるで異なるものです。
様々な角度から撮影され、複数のカットが組み合わさった映像。洗濯機の性能を説明するアニメーションや、カラフルなロゴが入ったもの。
もし今、1950年代の洗濯機のCMをテレビで見たとしたら、私達は何を思うのでしょう?
つまらない。古臭い。もっと詳しいものが作れないのか。そんなところでしょうか。
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Screen Shot 2016-03-19 at 03.52.22上:Harriet Nelson in 1950s Commercial for Hotpoint Laundry
下:3篇 西島秀俊 CM パナソニック「20. 洗濯機」「21. 冷蔵庫」「22. エアコン」

 

現代は、視覚文化とも言われています。
アニメ、漫画、同人誌、コンピュータゲーム、CG、造形等、視覚に訴える文化。
著しいテクノロジーの進化によって、私達はインターネットやテレビ、スマートフォンなどの電子機器を使って、色々なメディアにアクセスすることができます。数え切れない量の写真や画像、ニュース、その他の情報が世の中を飛び交っている。知らない事は、あっという間に調べることができる。
1950年を生きる人々と比べると、私達はより多くの情報を短い時間で吸収することができるらしいです。しかしその一方で、得た情報を短期間で忘れてしまいます。
溢れかえるほどの情報量は、日々頭の中で塗り替えられてゆく。
人々の「物を見る目」は、60年前とは似ても似つかぬものになりました。

 

 

“People don’t actually look at things anymore. We only glance.”
そう教授は言う。

 

 

 

当初、芸術家にとって、この変化は恐ろしいことだった様で。
美術館に訪れる人々は、作品をじっと「見る」ことによって、何かを感じたり考えたり。そこから生まれる彼らの反応によって、その作品の価値が決まってきました。
しかし今、美術館に行くと、世界中から収集された何十、時には何百という作品一つ一つを、全て丁寧に見て回る人々があまり居ない。正直、私もその1人です。第一印象でピンときた作品を見つけた時は立ち止まってじっと見たり、作品名とアーティストをメモしたり、撮影可の場合はは写真に残したり。でも、興味が湧かない作品に時間を割くことはあまりしない。 以前よりずっと簡単に、作品は海を渡って様々な場所で展示されます。美術館で出会った作品も、カメラロールを開けばすぐに見返すことができます。たとえその美術館自体に足を運べなかったとしても、ネットで画像検索をかけて、その作品を鮮明に写した写真を、たった数秒で見つけることができます。

 

「一目見た」だけで、満足してしまう。
「もう二度と見れないかもしれない」という危機感、そしてそれによって生まれる「見る」ことへの意欲。
現代を生きる私たちは、そんなことを忘れてしまっているのかもしれません。

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・・・・・

 

今学期取っている『Design and Pattern II』という、Independent Study (模様の絵の本の制作のために自分で作った授業) の授業は、毎週水曜日、アドバイザーの教授と、短いミーティングをするようにしています。その時に1週間で描いた絵を見せて、これからどのように作品制作を進めていくか、という話をします。
先週、今まで描いた模様の絵を全て机に並べて、2人でお話しをしていた時。

 

 

 

“The ambiguity in your drawings – the separation between foreground and background, positive and negative spaces, as well as the collage of many geometric patterns – has a camouflaging effect. And because of that, the drawings reward the viewer who actually takes the time and ‘looks’ at your work.”
「あなたの絵の中の前景と背景や、ポジティブスペース(黒い部分)とネガティブスペース(白い部分)、様々な幾何学模様が組み合わさって、一眼では理解できないようなものになる。だからこそ、あなたの作品を時間をかけてしっかり見る人にこそ、価値を見出せる。」

 

 

 

描き手として私は、自分なりに自分が制作してきたものたちを理解していると思ってたけれど。
こんな風に、ただ当てもなくアートについて誰かと会話している瞬間にふと、新しい発見や気づきが生まれるのだなぁ、と。そして同時に、あの日、教授がクラスで言っていた一文。
“People don’t actually look at things anymore. We only glance.”
一つ一つ、目に飛び込んでくるもの。
たくさんのもの。
新しい何かに出会うことに、私達は慣れてしまったのでしょうか?
時間をかけてじっと眺め、観察し、考え、感じ、それをこの目に焼けつけようという姿勢。
私達には、どのくらい残っているのでしょうか?
もっともっと進化してゆくテクノロジーによって、いつかその様な姿勢は人々から完全になくなってしまうのでしょうか?
Screen Shot 2016-03-19 at 06.48.30“Egon Schiele” (2015)

 

もし、私たちが生きるこの今日が、
少しずつ、少しずつ、昔の形から変化しているものなのなら。
そしてその変化に、私たちは無意識的に慣れ、知らぬ間に「普通」のことになってしまっているのなら。
それを、ふと、気づかせてくれるなにかに自分のアートがなれたら。
「普通」の中に、美しさを見つけることを教えてくれるアートになれたら。
とっても素敵なことです。

 

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人生の効用

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どーも皆さんお久しぶりです。

 

ケンタです。

 

だいぶ間があいてしまい申し訳ないです。

 

風邪を拗らせたり、コーヒーショップのことで少し忙しくなってしまったり、色々と言い訳はあるのですが、素直に謝ります。ごめんなさい笑

Processed with VSCOcam with f2 preset元気が欲しい時の贅沢朝ごはん。

最近の2年生の悩みの種といえば、専攻決めです。ほとんどの2年生が、この春学期に自分の専攻を宣言しなくてはいけないので、2年生の友達と会うたびに、「もう宣言した?」という会話をしている気がします。

 

もっとも僕はというと、色々と悩んだ挙句(他の人に比べればそこまで悩んでいないのかもしれませんが)応用数学/経済学を専攻にすることにしました。少々ややこしいですが、この専攻は一応一つの専攻で、二つの専攻ではありません。そしてこの専攻の中でも、数学に重きを置くか、経済に重きを置くかを決めることになっており、僕は経済に重きを置くことにしました。

 

そして今は、Concentration Advisorという専攻のアドバイスをしてくださる方と話し合いながら、どんなクラスをどのように取っていくかの相談をしています。

 

Processed with VSCOcam with f2 preset文章ではなく、写真で近況報告スタイル。コーヒーショップでライブを催しました。

専攻といえば、最近カナと話していて気付いたのですが、日本とアメリカでは、専攻と就職先の選び方が正反対なんです。

 

日本では、大学に入る時「どんなことをしたいか」を考えて学部を決め、大学というよりは特定の学部に対して受験します。そして就職時には、「どこで働きたいか」を考えて就職先を選びます。

アメリカでは、大学に入る時、「どこで学びたいか」を考えて、学部ではなく、大学に対して受験します。そして就職時には、「どんな仕事をしたいか」を考えて、仕事を決めます。

 

 

場所で選ぶか、やりたいことで選ぶか。

 

 

もちろん一般論の話ではありますが、それぞれ人生における重要な選択をする時に基準となる考え方が、見事に正反対なような気がします。

 

Processed with VSCOcam with f2 presetボストンに新しくできた、コーヒースタンド。こぢんまりだけど美味しい!

 

「何を基準に選択するか。」

 

難しい問いですが、これについて学ぶ学問があります。

経済学です笑

 

どの国のどの学校で経済学を学んでも、恐らく一番初めに習うのは「希少性」という概念だと思います。

「色々なものには限りがあります。そして限りがあるからこそ、需要と供給の間に価値が生まれ、競争が生まれ、選択が生まれるのです。」

という考え方が、経済学の原点です。

 

ほうほう。なるほど。限りがあるから、選択するのか。でもどうやって選択するんだ?

 

そこで登場するのが、「効用(Utility)」「最大化」という考え方です。

効用はあまり日常生活で見かけに単語ですが、簡単に説明すると、「何かを選択した(消費した)時に得られる満足度」という意味です。

 

そして経済学では、「様々な選択肢を比べた時に、効用が最大になるものを選びましょう」というルールがあります。

 

Processed with VSCOcam with m3 presetこれも立派なエスプレッソマシン。かっちょいい。

なるほど。なるほど。ということは効用が大きくなるように、選択すればいいんだ。でもどうやって効用を予測するんだ?

 

そこで登場するが選好(Preference)という概念。

 

効用を具体的に数値化するのが難しい時は、選択肢を比べて、どちらがより好ましいかを考えればいいじゃないか、という考え方です。コロッケを一個食べると、何円分の満足が得られるかを考えるのは難しいけど、コロッケとエビフライどちらが食べたいかを決めるのは簡単ですよね。

 

でもこの効用と選好は実はとても曖昧な考え方で、たくさんの要素に影響されて変化することもあるのです。子供の頃はコロッケの方が好きだったけど、大人になったらエビフライが好きになるかもしれないし、昨日まではコロッケが体に悪いと思ってたら、今日のニュースでコロッケを食べると癌の予防になると聞いて(なりませんよちなみに)、コロッケの効用が上がるかもしれません。それぐらい不安定な指標なんですね。

 

でも効用や選好で説明できることも沢山あります。

 

例えば宝くじ。

 

Processed with VSCOcam with c1 presetいいエスプレッソには、茶色の斑点がでます。
タイガースキンと呼ばれるもので、エスプレッソにおける茶柱みたいなものです。

 

確率的に考えたら、確実に損をしますよね。でもなぜか買う人がいる。これを説明する方法はいくつかあるかもしれませんが、効用でも説明することができます。

 


 

1等が100万円の宝くじがあるとしましょう。

AさんとBさんいう人は自分の口座に、汗水垂らして働いて貯めた100万円があります。

ある日AさんとBさんは宝くじを買い、万に一つしか出ない一等に見事当選し、100万円を手に入れました。

さてAさんとBさんが働いて貯めた100万円と、宝くじが当たってもらった100万円の価値は一緒でしょうか?

Aさんにとっては、すごい確率を勝ち抜き、手にした宝くじの100万円は120万円の価値があり、働いて得た100万円は100万円分の価値しかないかもしれません。

Bさんにとっては、働いて大切に貯めたお金は120万円の価値があり、何もせずに手に入れた宝くじは100万円の価値しかないかもしれません。

 


 

 

もうわかった人もいるかもしれませんが、宝くじに当選することに実際の当選額以上の効用を見出す人にとっては、必ずしも宝くじは「損」ではないのです。

 

宝くじは極端な例ですから、「そうは言っても宝くじなんてバカバカしい」という人もいるかもしれませんが、もっと複雑な選択を迫られた時、人は必ず一番得をするような選択をできるでしょうか。「考えるの面倒臭いし、適当な選択でいいや」と思ってしまう人も多いのではないでしょうか。選んだ選択肢がベストのものではなかったとしても、ベストな選択肢を見つけ出すのにかかる時間を考慮すると、効用的にはベストなものになるかもしれません。(ちょっと難しい話かもしれません)

 

これは俗に言うヒューリスティクスというやつで、人間が何か複雑な選択をするときに、時間を掛けずにより良い選択をするために自然に従っている思考法です。直勘もヒューリスティクスの原則に基づいていて、コンピュータの計算処理を行うのに、ヒューリスティクスを使うこともあったりするのです。

 

そして単に効用や利益を最大化するだけではない、ヒューリスティクスのようなある意味「人間らしい」意思決定方法を、実際の人間の行動を通して学ぶのが、僕が今授業で学んている行動経済学という分野です。

 

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少し話が逸れたので、人生における選択の話に戻りましょう。

色々と経済学の話をしましたが、これらの概念がどうやって僕らの人生をより良くしてくれるのでしょうか?

 

ここからは僕個人の考え方なので、科学的根拠も全くないのであしからず。

 

効用が不安定であることは、先ほど紹介しました。この不安定さを逆手に取ってみましょう。

コロッケの癌予防の話からもわかるように、何かを選択することで得られる効用は、簡単に上がったり、下がったりします。

何かを選択する上で、効用を上げる方法は大きく分けると2つあります。

 

1. より大きい効用が得られる選択をするか。

2. 選択から得られる効用を大きくするか。

 

です。

ちょっとわかりづらいので、またコロッケとエビフライで説明します笑

 

1ではシンプルにコロッケとエビフライを比べて、効用の大きいものを選択します。ここではコロッケにしておきましょう。(エビフライファンの皆さんごめんなさい)

2ではコロッケをただ選択するだけでなく、例えばコロッケの歴史を調べてみたり、コロッケをアレンジして何か違う料理を作ったりすることで、1つのコロッケから得られる効用を大きくします。

 

高級ブランドの家具を買うのは1的な考え方ですし、100円ショップで買った材料で家具を作るのは2的考え方かもしれません。

 

僕がここで注目したいのは2の考え方です。なぜなら、一度何かを選択してしまったら、1の部分は変えられないことが多いですが、2の部分は変えることができるからです。もう既に下した選択を考え直すことで、そこから得られる効用が上げることができたりします。

 

大学選びも、専攻選びも、就職先選びも同じこと。次の人生の選択ばかりを考える前に、今の選択から得られる効用を上げる方法を考えることも大切な気がします。

 

「日本の大学にいるけど、将来国際的な活躍がしたいから、大学を辞めて留学したい」

と考えたり、

「アメリカの大学にいるけど、東京にいれば違う意味で刺激的な経験が得られたかも」

と考える前に、

 

今の自分の環境から得られる、効用を上げる方法を考えてみるのはどうでしょう。

 

 

もっとも隣の芝生は青いもので、僕もないものねだりをよくしていますが笑

 

でも最初に書いたように、世の中の様々なものには限りがあります。色々なものが希少だからこそ、時間を無駄にせずに人生の効用を上げる方法を考えるのが得策な気がします。

今から意識していたら、100万円の収入で1000万円分の効用が得られる生き方ができるようになるかもしれません笑

 

1000万円を稼ぎだす方法を考えるよりも、1000万円分の効用をいかに少ないお金で生み出すかを考える方が、エキサイティングな気がします。(少なくとも僕はそう思います)

 

ちょっと長くなりましたが、今日はこの辺で。

 

なおこの記事で紹介した経済学の概念は、あくまで経済を学んだことのない人にもわかるように噛み砕いて説明しているので、もっと厳密な定義が知りたい方や、経済に興味が湧いた方は、自分で調べてみてください。

 

それではまた来週!

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