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成功とは?

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かなり久しぶりの投稿になってしまいました、巴基です。

いよいよ期末試験の時期になっているのですが、コンピューターサイエンスという地獄がないせいか意外と普通の生活を維持できています。

 

ただ、普通の生活が維持できているのはいいのですが最近何に対してもやる気が出なかったりアニメにはまったりと典型的な勉強をしたくない学生の気分を味わえてしまっています。なので最近は”ある意味いい経験”とポジティブにとらえて乗り越えようとする自分と、せっかくブラウンに通わせてもらっているのにこんなに時間を無駄にしていて申し訳ないという罪悪感でいっぱいの自分がいる状態です。

 

そんな中、中国語の期末プレゼンテーションで選べるお題の一つに”成功とは?”というものがありました。今の自分を見つめなおすのにぴったりだと思い、このお題を選びました。

 

すると、驚いたことに半数以上のクラスメイトが全員このお題を選んでいました。やはり色々なことにおいて自由度が高いブラウンだけあって、皆それぞれ自身の目標や自身にとっての成功は何かを考えているんだなと感じました。

 


 

成功とは何か。

 

 

成功とは、自分が自身の生活に満足し、自分は幸福だと感じる事。それは人によって基準が異なってくる。

 

 

これは自分を含めどれのプレゼンテーションにも共通していたことです。

ではお金儲けにしか興味がない泥棒が銀行からお金を盗んだ場合、それは成功と言えるでしょうか?親が子供の意思とは関係なく子どもの事を思い医者にさせた場合、それは成功したと言えるでしょうか?

 

確かに泥棒が盗みに成功し幸福感に浸った場合、上記の定義だと成功したと言えるでしょう。しかし、僕は成功は他の人の成功を邪魔してはいけないと思います。成功はすべての人の権利であり、それを奪う権利はだれにもありません。親が子どもの将来を勝手に決めるのも同じことです。子供の将来は子供が決めるものであり、親が出来る事は子どもの人生を決める事ではなくただ手を貸したり助言をしたりそっと見守る事です。もし親が決めることによって子供が不幸に感じてしまっては本末転倒です。

 

僕は別に自分にとっての成功が他人の成功につながらなければならないとは思いません。もちろん実際にそうだったとしたらそれに越したことはないのですが、僕にとっての成功とは”人の邪魔にならないように気を付けながら自分が立てた目標を達成するために日々精進すること”だと思います。

 

僕自身まだはっきりをとした目標を持っていません。それが日々のマンネリ化、そしてやる気のなさに繋がっているんだと思っています。それでも時間は止められません。”ちょっと待って”と言っても、時間は勝手に過ぎていきます。

 

2年生の1学期目もあとわずか。自分の心と相談しながら、自分が本当にしたいことは何なのか模索しつつ、選択肢の数を維持することに集中したいと考えています。

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未来予想図

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投稿遅れてしまってすみません、巴基です。

 

先週忙しく書けなかったのですが個人的に非常に内容の濃い2週間でした。宿題に追われながら色々な会社の説明会に行ったり、初めて会社の面接を受けたり、初めてクラブのイベントの計画に携わったり。

 

そんな中ずっと考えていたのが:

1.自分はどんな人なのか?長所は?短所は?

2.結局自分は将来何をしたいのか?

 

特に後者は1時間スケジュールを空けてずっとそれだけについて考えたりもしました。僕はよく独り言を言いながら自分の頭のなかを整理するのですが、その1時間ずっと寮の一人部屋で独り言を言いながら考えてました。

 

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寮の部屋の写真

 

今回はその一部を書き出したいと思います。

 

結局僕は大学の後何したいんだろう。

 

取りあえず今は全く分からない。

じゃあ少なくとも自分が本当に大切だと思っているもの、コア・バリューぐらいは整理した方がいいんじゃないか?

 

自分のコア・バリューって何だろう。

 

。。。

 

まず自分の日々の生活から見てみればわかるはず。

僕が一番時間を割くのは?

 

勉強と課外活動。

 

そういえば課外活動ほとんど全部趣味と関係あるな。合気道、ピアノ、ボランティアピアノ教室、スマブラ。

うん、やっぱり未来でも趣味は続けていきたい。その時間は欲しい。

 

で、それはいいけどキャリアと関係があるものだったら?何で何かしたいことがないの?

 

。。。

 

あ、そうか。自分が心から解決したいと思う問題がないからだ。

もちろん解決すべきと思うものはあるけど、やっぱりパッションがないとどうにもならないよなー。いくら自分のスキルを磨き続けたとしても最終的にはそこをクリアしないと。

 

じゃあどうやったら問題を見つられるのか?やっぱり時事には関心を持たないとだめだな。この考えがあってるかどうか知らないけどやっぱりそこはスタート地点になりうると思う。うん、そうしよう。

 

まとめると将来趣味を続ける時間がある職業が良くて、今はパッションを見つけるためにとりあえず時事には興味を持ったりいろんな人と話したりしよう。それで見つけられた時のために今のうちに自分の弱点は克服していこう。

 

こうして書き出してみるとなんだか自分を客観的に見つめているような感じがして面白いですね。

 

皆さんはどうですか?未来を見据えてますか?将来自分が色々な意味で本当に何をしたいのか、どういう日々を送りたいのかもう分かっていますか?

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4年前のトモチーニへ

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ボンジョルノみなさん。

とてもお久しぶりです。
かなりお久しぶりです。
非常にお久しぶりです。
けっこうぶりぶりです。

 

まず、5月29日に、無事ブラウン大学の物理学部天文学科を卒業致しました事を、ご報告申し上げます。

そして、卒業記事が大変遅くなり申し訳ございませぬ。
昨年の秋に投稿するはずが、タイミングを逃してばかりでいました。
予定では、コーヒーハンター中川健太ちゃんとコタッカ・カノーコとの対談を「ガクセイの!」というタイトルでビデオにするはずが、残念な事にデータが入った外付けハードドライブが悲しくもブラックホールに飲み込まれてしまいました。ケンちゃん、カノ、ごめんなさい。

 

さて、卒業記事。どのようなスタイルで書こうか迷いました。かなり迷いました。

先週公開されたキアちゃんのインタビュー記事で、結構いろいろ書いてもらったこともあり。(キアちゃん、ありがとぅーす!)

いつも通りの記事にしようか。写真を多く入れようか。ビデオブログにしようか。。。
2、3分程真剣に考えた結果。

 

後輩へのメッセージを込める方法として、一年生の俺に向けた手紙を書こうと決めました。

では、どうぞ。

 

 


4年前のトモチーニへ

 

まず始めに、ビックリする事実です。「宇宙」は君の情熱ではありません。

今、世の中の出来事を予測することはほぼ不可能。iPhoneやMac Bookを起動させれば、流行の記事、ビデオ、そしてSNSの投稿に画面がうめつくされる。気がつけば、課題なんかほったらかして、ルパン三世のモノマネを見ていたりする。

そして人々は日々様々な意見や哲学に出会っている。ある日、君は「今を生きることの大切さ」を語る記事を読み、その翌日には「未来を見据え、計画を立てる事の大切さ」を主張するブログを読む。一体どっちなんだよ。

 

大学が始って数週間経ち、授業でガチな数式を学ぶ頃には、君はすでに多くの友達や教授に出会っているだろう。何人かは君を刺激し、あるいは興奮させ、何人かは君を退屈させ、あるいは悲しませるかもしれない。上級生や教授達は良い言葉をかけてくれると同時に、君を混乱させるアドバイスをいくつも与えるだろう。でもきっと君はそれら全てを信用し、鵜呑みにし、影響されるに違いない。性格上染まりやすいんだね。自分でも知ってるべ?

 

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1年生の秋にカイル、アイバン(カイルのルームメイト)とアツと行った、ケープコッド(Cape Cod)にて

 

でも君はラッキー男でもある。大学に入る前から、宇宙探査に関わりたいという強い想いがあるのだから。入学する多くの学生は、「わたしはどこ?ここはだれ?」状態だ。彼らからすれば、一年生の君は「アバクロを着ながら宇宙を目指す少年」だ。

3年生に取った宇宙論の授業のプレゼンの様子

3年生にとった宇宙論のクラスのプレゼン

 

この時点で君は皆より先を行っていると思い込むかもしれない。ブラ熊の活動が始まってからは、君は宇宙への想いをブログで語り始めるだろう。たまに通じない冗談を入れて、カノに説教されるかもしれない。だがそうすることで、君は自分が抱く夢について日々考え、自分と宇宙の繋がりを見いだそうとする。そして、「宇宙は自分の情熱だ」と信じ始める。

 

でもちょっとお待ちを。
宇宙は自分の情熱…よく読むとイミフである。

宇宙の何に情熱を持っているのか。君は宇宙の何が好きなのか。「う」が好きなのか、それとも「ちゅう」が好きなのか?果てしなく広がる暗闇に潜む謎を解明したいのか?それとも、地球外生命体を発見していのか?あるいは、月面を歩きたいのか?

 

ヒューストンにあるジョンソン・スペース・センターにて。小惑星着陸のシュミレーションに挑戦

1年生の冬に行ったヒューストンにあるNASAジョンソン・スペース・センターにて
小惑星着陸のシュミレーションに挑戦

 

「情熱を持て!」と大人は言う。「情熱」という言葉自体、響きが良い。「俺には情熱があるんだぜぇ。」というフレーズもワイルドだ。
そしてこれから人と話し、ブラ熊の記事を投稿し、説明会でプレゼンをするにつれ、君はこのイミフな「情熱」という言葉に頼り始める。たとえ将来に不安を抱いたとしても、「大丈夫。俺には情熱がある」と自分に言い聞かせる。

 

しかしある日、君はふと気づく。

「ん、俺は結局何をしたいんだ?」と。

そして、

「オー神様。卒業後どうしましょ。」と。

 

「情熱」とは自分が好きな分野ではない。自分の課外活動でもないし、仕事でもない。ホビーでもない。

この4年間の大学生活で学んだこと。それは、情熱とは「自分が重んじる価値の創造過程」のことを指す、ということだ。きっとこれは物心ついた少年少女の時にすでに自分の潜在領域である程度確立しているものだと思う。ただ、多くの人がそれに気づいていないだけなのではないか。

 

では、その価値に気づくにはどうすればよいか。それは意外と簡単。

 

自分が下す決断、楽しんでいる瞬間、そして習慣を一つ一つ分析すること。つまり、「なぜなぜ」で遊ぶことだ。

 

なぜブラウン大学を選んだのか。
なぜブラ熊の立ち上げに関わったのか?
なぜビデオブログを作りたいと思うのか。
なぜ人類学の授業ではなく、天文学の授業を選んだのか。

なぜアイディアの売り込み戦略を練るのが楽しいと思うのか。
なぜ文章の構成編集や映像編集なら、時間を忘れて取り組めるのか。
なぜ人々が交流する場を創るのが好きなのか。

あるいは、自分の親や幼なじみに、昔の自分について聞くのも良いかも。

自分は小さい頃何が好きだったか。
小学校の時、国語の宿題をほったらかしにして、何に没頭していたのか?
なぜ、昔弟が椅子の上に立ったままう○ちをしようとしたときに、全力で止めにいかなかったのか?

 

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記念すべき第一回目のブラ熊「お茶なしお茶会」にて

 

どんなにどーでも良さそうな決断や判断にも、自分が心の奥底で大切にしている価値観が無意識に影響している。それらを意識的に分解することで、自分が人生で本気で創り上げたい価値に気づく事ができるのだ。俺は最近それに気づき始めた。今はあえてここには書かないけれど、きっと君はすぐに情熱を発見するに違いない。

 

それができたら、次は自分の情熱を活かせる「遊び場」を見つけよう。自分が我を忘れて没頭出来る環境。それは君が興味を抱いている学問かもしれないし、共感出来るビジョンを掲げる企業かもしれない。電子回路かもしれないし、コンピューターかもしれない。紙面上かもしれないし、自分の身体かもしれない。

君が自分の情熱を真剣に活かし、自らの想像力を膨らませることが出来る遊び場。こう考えると、宇宙は君の情熱ではなく、遊び場なのかもしれない。

 

 

時には、君の遊び場で生み出されたものが、今の世の中の常識に反する時もある。

でも大丈夫。今はなんでもありの世の中。SpaceXは、民間企業でも宇宙産業をリード出来ることを証明してくれた。Googleが買収したDeep Mindは、囲碁でも人間に太刀打ち出来る人工知能プログラムを生み出した。あと10年はかかると言われていたのに、だ。他にも、人間の細胞やDNAを書き換えてしまうテクノロジーの開発や、ドローンを使った配達サービスの開発も着々と進んでいる。

 

今年3月に行った、2週間に渡るユタ州の火星研究所でのシュミレーションにて

今年3月に参加した、ユタ州の火星砂漠研究基地にて行われた2週間のシュミレーション生活にて

 

その遊び場にしかない道具や環境を思う存分に使い、自分が重んじる価値を尊重しながら、どう周りに伝えるか考えよう。

方法はいくらでもある。それは、就職先の企業を通して顧客に届けるサービスかもしれない。公共の場に展示できる作品かもしれない。自分のウェブサイトを構築し、SNSでシェアすることかもしれない。もしかしたら、自ら会社を立ち上げ、価値を直接公に提供することかもしれない。あるいは、誰にも見せずに、黙々と自分が納得するまで手を動かし続けるかもしれない。

 

こう考えると、人生は楽しい。

今は、将来にやりたいことが分かっているように感じるかもしれないし、本当に分かっているかもしれない。あるいは、学びたいことが全く分からないかもしれない。

どちらにせよ、冒険することを忘れないでほしい。予測不可能な世界を楽しもう。今自分が当てはまる専攻が見つからなければ、作ればいい。自分が満足できる課外活動がなければ、自ら新しく立ち上げればいい。自分の世界を築く方法はいくらでもある。

 

最後にもう一度。

 

情熱に気づき、遊び場を見つけ、自分の世界を築こう。
今からでも自分の未来をデザインすることは遅くないのだから。

 

 

4年後のトモチーニより

 


 

後輩のみなさん、そしてこれから大学に入学するピカピカの一年生のみんな、グッドラック!
そして4年間ブラ熊を応援してくださった読者の皆さん、夏の説明会にお越し頂いた方々、本当にありがとうございました。

はい、バイバイキーン!

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イタリア語で読む村上春樹と、ノルウェーのラーメン

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春よ来い、春よ来い。

 

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連呼して本当に来るなら、お経のように唱えたいこの頃です。

 

4月に入ったというのに、割としっかり目に雪が降り積もっているプロビデンスからお送りしています、ケンタです。

 

春休みも終わり、またいつもの生活に戻ってきています。

 

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春休み最終日は、ジャズピアニストの上原ひろみさんのトリオプロジェクトのコンサートに行ってきました。バークリー在学中にデビューした上原さんですが、卒業以来の凱旋公演ということもあり、なんだかとても嬉しそうでした。

 

演奏自体は、ここ数日のニューイングランドの天気のようで、とってもエモーショナルな演奏でした。トリオプロジェクトのアルバムは全て拝聴してきていますが、最新アルバムのSPARKは、トリオとしての円熟味も増し、聴き応えのある一枚になっていますので、是非気になったら聞いてみてください。ただし耳を癒すためのスムースなジャズでは全くないので、心してから聞いてくださいね笑

 

 

さてさて。

 

今日は最近読んだ本から派生して考えた事について書こうと思います。

 

 

春休みということもあり、大学の課題からも解放されていたので、久しぶりに本腰を入れて読みたい本を読むことができました。3~4冊ほど読破したのですが、その中から1冊を取り上げたいと思います。

 

 

Processed with VSCOcam with c1 preset写真は関係ないですぜ。

それがこちら。「村上春樹とポストモダン・ジャパン: グローバル化の文化と文学」

ふと大学の図書館に立ち寄った際に目に留まって読んでみたのですが、その中でもある章にビビッときたので、それを取り上げようと思います。それが第1章の「グローバル化の文化と文学」です。

 

この章で著者は、グローバル化が世界の文学にどのような効果をもたらしているか、ということを論じているのですが、その具体例として村上春樹さんを取り上げています。

 

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村上春樹は、その初期の海外での受容において、翻訳の問題を色々取りざたされた。まず、もちろんその理由として、今日では常識となっているが、村上の翻訳が海外において、非常に売れているということがある。(中略)この広い受容においては、文学としては、村上は世界でも圧倒的な存在のわけだが、だからこそ、その翻訳には重要な意味がある。(中略)文学作品の翻訳は、何が正確で何が不正確な訳なのか、何が正しくて何が正しくない訳なのか決定するのは非常に難しいので、抽象的なレベルで、どのような翻訳が許され許されないのか、原作者はどのような翻訳を望むべきかを議論しようとしても答えが出るはずもない。

 「村上春樹とポストモダン・ジャパン: グローバル化の文化と文学」より

 

そう前置きした上で、著者はこのような疑問を投げかけます。

 

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たとえば、ひとつの極端な思考実験として、日本には相当数のアンチ村上がいて、対して、イタリアならイタリアで、村上の新作が非常に高く評価され、多く売れたとするとき、日本とイタリアではどちらが村上をより正確に評価していると言えるのであろうか。あるいは、それが、イタリア一国ではなく、ヨーロッパの数カ国であったら。イタリアでは、イタリアなりの読みを「正しい読み」として提示することはできないのだろうか。(中略)村上をきちんと理解していると言えるのは、それを日本語で読む日本の読者であろうか、それとも熱狂的な海外の読者なのだろうか。

「村上春樹とポストモダン・ジャパン: グローバル化の文化と文学」より

 

 

とても興味深い問いかけな気がします。

 

ちなみに英語、日本語、中国語をネイティブレベルに話す事のできる友達は、村上さんの作品を3カ国語で呼んだそうですが、日本語、英語、中国語の順で好きだったと言ってました。

 

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「作者の意図を正しく理解できるか」という観点からは、村上さんが日本語で作品を執筆しているので、日本語で読むのが、村上さんの文体や言葉遣い、文章の息遣いのようなものを感じるのには適しているのかもしれません。

 

上で紹介した本で、著者は村上さんのことを、「アメリカ文学を日本語で書く作家」と位置付けています。僕自身は文学的に作品を分析した経験がほとんどないので、素人目線での議論にはなりますが、確かに村上さんの作品の多くは、舞台設定となっている日本の都市と、海外の都市を入れ替えてたとしても物語が成立するケースが多く、その作風は古典的な日本の純文学とは大きく異なっていると思います。

 

もし村上さんが「アメリカ文学を日本語で書く作家」なのだとしたら、彼の作品に質のいい英訳が施された時、村上さんの作品をより理解しやすくなるのではないでしょうか?上の本でも紹介されていましたが、村上さんはデビュー作である「風の歌を聴け」の最初の数ページを英語で書き、その後日本語に訳していたそうです。

 

村上さんの中に本にしたい物語があり、村上さんがたまたま日本人だったために、それがたまたま日本語という言語を使って紡がれただけであって、もしかしたら英語で書かれていた方が、より正確に、鮮やかにその物語を紡ぐことができた可能性もあったわけです。もちろん、語られる物語が日本固有の文化や文学的表現と密接に結びついている場合もあるでしょうが。

 

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この翻訳問題は、決して文学作品だけで起こっているわけではありません。例えば近藤麻理恵さんの「人生がときめく片付けの魔法」という本は、英訳されアメリカでベストセラーになりました。日本でも話題になっていたとは思いますが、それ以上のムーブメントを海外で起こしたのです。

 

そして書籍だけでなく、この問題は多分野で見受けられます。例えば「カリフォルニアロール」と「江戸前寿司」。どちらも全く違う歴史的・文化的背景を持っていますが、立派な寿司。ここまでくると、どちらが正しい、正しくないという議論をするのは馬鹿らしく思えてきます。

 

 

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村上さんの小説しかり、お寿司しかり。その国固有の文化や芸術が、比較的容易に他国に向けて発信できるようになった現代社会では、一つの作品に対して多様な評価や解釈が生まれたり、文化が異国で独自の発展を遂げたりする可能性があるのです。

 

ここ数年クールジャパンという言葉が生まれたり、日本の文化を世界に向けて発信する動きが活発になってきています。その動き自体はとても素晴らしいことだと思うのですが、日本の文化や芸術を海外に持って行く時に、必ずしも元々の文化や芸術をそっくりそのまま再現しなくてもいい気がします。

 

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例えばノルウェーにラーメン屋さんを開こうとした時に、日本と全く同じ食材を手に入れることは不可能に近いでしょうし、それなら現地の食材を使ってノルウェー流のラーメンを開発したほうが良いでしょう。長い目で見た時に、ラーメンという食べ物の発展にはその方がいいでしょうし、もしかしたら日本にノルウェー流ラーメンが逆輸入される日が来るかもしれません。

 

Processed with VSCOcam with f2 presetブルックリンにある日本食屋さんでランチ。

 

文化や芸術や伝統芸能と言われる類は、積極的に世界に輸出して、それぞれ独自に発展してもらうことで、日本では起こりえない文化の発展を起こせるのではないでしょうか。もちろん国内では、これまで通りの形で文化を守り続けていけばいいのです。文化の原点自体は国内で維持し、独創的な発展は他国に担ってもらうというのが、現代における有機的な文化発展の形なのかもしれません。他国への輸出を通して、日本では廃れつつあるような文化も、新たに生まれ変われるかもしれないですし、他国で独自に発展を遂げた日本文化を日本に逆輸入することもできるでしょう。

 

人材も全く同じこと。同じ「作品」であっても、「翻訳」によって評価が変わるのであれば、同じ「人間」でも、「異文化」に身を投じれば、違う形で評価されるかもしれない。そして今の時代は恵まれていることに、比較的簡単に異文化に身を投じることができる。別に日本で認められなくても、欧米で評価されなくても、例えばミャンマーで必要とされているなら、ミャンマーに行けばいい気がします笑

 

「世界で活躍したい」なんていうと、ちょこっと曖昧かもしれませんが、「自分の才能が役に立つ国に行きたい」と言えば少し具体的になります。最も役に立つ才能が何なのかは、自分で探さなくてはいけませんが笑

 

今日はこんな感じでいかがでしょうか。

 

最後に春休みに読んだ本をもう1冊だけ紹介して終わります。

 

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「火山のふもとで。」という作品。

 

本の装丁がとっても素敵ですが、内容もとても素敵。久しぶりに一気読みしました。ちなみに著者の松家さんの他の2作品も、もう直ぐ読み終わりそうです笑

 

それではまた来週

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人生の効用

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どーも皆さんお久しぶりです。

 

ケンタです。

 

だいぶ間があいてしまい申し訳ないです。

 

風邪を拗らせたり、コーヒーショップのことで少し忙しくなってしまったり、色々と言い訳はあるのですが、素直に謝ります。ごめんなさい笑

Processed with VSCOcam with f2 preset元気が欲しい時の贅沢朝ごはん。

最近の2年生の悩みの種といえば、専攻決めです。ほとんどの2年生が、この春学期に自分の専攻を宣言しなくてはいけないので、2年生の友達と会うたびに、「もう宣言した?」という会話をしている気がします。

 

もっとも僕はというと、色々と悩んだ挙句(他の人に比べればそこまで悩んでいないのかもしれませんが)応用数学/経済学を専攻にすることにしました。少々ややこしいですが、この専攻は一応一つの専攻で、二つの専攻ではありません。そしてこの専攻の中でも、数学に重きを置くか、経済に重きを置くかを決めることになっており、僕は経済に重きを置くことにしました。

 

そして今は、Concentration Advisorという専攻のアドバイスをしてくださる方と話し合いながら、どんなクラスをどのように取っていくかの相談をしています。

 

Processed with VSCOcam with f2 preset文章ではなく、写真で近況報告スタイル。コーヒーショップでライブを催しました。

専攻といえば、最近カナと話していて気付いたのですが、日本とアメリカでは、専攻と就職先の選び方が正反対なんです。

 

日本では、大学に入る時「どんなことをしたいか」を考えて学部を決め、大学というよりは特定の学部に対して受験します。そして就職時には、「どこで働きたいか」を考えて就職先を選びます。

アメリカでは、大学に入る時、「どこで学びたいか」を考えて、学部ではなく、大学に対して受験します。そして就職時には、「どんな仕事をしたいか」を考えて、仕事を決めます。

 

 

場所で選ぶか、やりたいことで選ぶか。

 

 

もちろん一般論の話ではありますが、それぞれ人生における重要な選択をする時に基準となる考え方が、見事に正反対なような気がします。

 

Processed with VSCOcam with f2 presetボストンに新しくできた、コーヒースタンド。こぢんまりだけど美味しい!

 

「何を基準に選択するか。」

 

難しい問いですが、これについて学ぶ学問があります。

経済学です笑

 

どの国のどの学校で経済学を学んでも、恐らく一番初めに習うのは「希少性」という概念だと思います。

「色々なものには限りがあります。そして限りがあるからこそ、需要と供給の間に価値が生まれ、競争が生まれ、選択が生まれるのです。」

という考え方が、経済学の原点です。

 

ほうほう。なるほど。限りがあるから、選択するのか。でもどうやって選択するんだ?

 

そこで登場するのが、「効用(Utility)」「最大化」という考え方です。

効用はあまり日常生活で見かけに単語ですが、簡単に説明すると、「何かを選択した(消費した)時に得られる満足度」という意味です。

 

そして経済学では、「様々な選択肢を比べた時に、効用が最大になるものを選びましょう」というルールがあります。

 

Processed with VSCOcam with m3 presetこれも立派なエスプレッソマシン。かっちょいい。

なるほど。なるほど。ということは効用が大きくなるように、選択すればいいんだ。でもどうやって効用を予測するんだ?

 

そこで登場するが選好(Preference)という概念。

 

効用を具体的に数値化するのが難しい時は、選択肢を比べて、どちらがより好ましいかを考えればいいじゃないか、という考え方です。コロッケを一個食べると、何円分の満足が得られるかを考えるのは難しいけど、コロッケとエビフライどちらが食べたいかを決めるのは簡単ですよね。

 

でもこの効用と選好は実はとても曖昧な考え方で、たくさんの要素に影響されて変化することもあるのです。子供の頃はコロッケの方が好きだったけど、大人になったらエビフライが好きになるかもしれないし、昨日まではコロッケが体に悪いと思ってたら、今日のニュースでコロッケを食べると癌の予防になると聞いて(なりませんよちなみに)、コロッケの効用が上がるかもしれません。それぐらい不安定な指標なんですね。

 

でも効用や選好で説明できることも沢山あります。

 

例えば宝くじ。

 

Processed with VSCOcam with c1 presetいいエスプレッソには、茶色の斑点がでます。
タイガースキンと呼ばれるもので、エスプレッソにおける茶柱みたいなものです。

 

確率的に考えたら、確実に損をしますよね。でもなぜか買う人がいる。これを説明する方法はいくつかあるかもしれませんが、効用でも説明することができます。

 


 

1等が100万円の宝くじがあるとしましょう。

AさんとBさんいう人は自分の口座に、汗水垂らして働いて貯めた100万円があります。

ある日AさんとBさんは宝くじを買い、万に一つしか出ない一等に見事当選し、100万円を手に入れました。

さてAさんとBさんが働いて貯めた100万円と、宝くじが当たってもらった100万円の価値は一緒でしょうか?

Aさんにとっては、すごい確率を勝ち抜き、手にした宝くじの100万円は120万円の価値があり、働いて得た100万円は100万円分の価値しかないかもしれません。

Bさんにとっては、働いて大切に貯めたお金は120万円の価値があり、何もせずに手に入れた宝くじは100万円の価値しかないかもしれません。

 


 

 

もうわかった人もいるかもしれませんが、宝くじに当選することに実際の当選額以上の効用を見出す人にとっては、必ずしも宝くじは「損」ではないのです。

 

宝くじは極端な例ですから、「そうは言っても宝くじなんてバカバカしい」という人もいるかもしれませんが、もっと複雑な選択を迫られた時、人は必ず一番得をするような選択をできるでしょうか。「考えるの面倒臭いし、適当な選択でいいや」と思ってしまう人も多いのではないでしょうか。選んだ選択肢がベストのものではなかったとしても、ベストな選択肢を見つけ出すのにかかる時間を考慮すると、効用的にはベストなものになるかもしれません。(ちょっと難しい話かもしれません)

 

これは俗に言うヒューリスティクスというやつで、人間が何か複雑な選択をするときに、時間を掛けずにより良い選択をするために自然に従っている思考法です。直勘もヒューリスティクスの原則に基づいていて、コンピュータの計算処理を行うのに、ヒューリスティクスを使うこともあったりするのです。

 

そして単に効用や利益を最大化するだけではない、ヒューリスティクスのようなある意味「人間らしい」意思決定方法を、実際の人間の行動を通して学ぶのが、僕が今授業で学んている行動経済学という分野です。

 

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少し話が逸れたので、人生における選択の話に戻りましょう。

色々と経済学の話をしましたが、これらの概念がどうやって僕らの人生をより良くしてくれるのでしょうか?

 

ここからは僕個人の考え方なので、科学的根拠も全くないのであしからず。

 

効用が不安定であることは、先ほど紹介しました。この不安定さを逆手に取ってみましょう。

コロッケの癌予防の話からもわかるように、何かを選択することで得られる効用は、簡単に上がったり、下がったりします。

何かを選択する上で、効用を上げる方法は大きく分けると2つあります。

 

1. より大きい効用が得られる選択をするか。

2. 選択から得られる効用を大きくするか。

 

です。

ちょっとわかりづらいので、またコロッケとエビフライで説明します笑

 

1ではシンプルにコロッケとエビフライを比べて、効用の大きいものを選択します。ここではコロッケにしておきましょう。(エビフライファンの皆さんごめんなさい)

2ではコロッケをただ選択するだけでなく、例えばコロッケの歴史を調べてみたり、コロッケをアレンジして何か違う料理を作ったりすることで、1つのコロッケから得られる効用を大きくします。

 

高級ブランドの家具を買うのは1的な考え方ですし、100円ショップで買った材料で家具を作るのは2的考え方かもしれません。

 

僕がここで注目したいのは2の考え方です。なぜなら、一度何かを選択してしまったら、1の部分は変えられないことが多いですが、2の部分は変えることができるからです。もう既に下した選択を考え直すことで、そこから得られる効用が上げることができたりします。

 

大学選びも、専攻選びも、就職先選びも同じこと。次の人生の選択ばかりを考える前に、今の選択から得られる効用を上げる方法を考えることも大切な気がします。

 

「日本の大学にいるけど、将来国際的な活躍がしたいから、大学を辞めて留学したい」

と考えたり、

「アメリカの大学にいるけど、東京にいれば違う意味で刺激的な経験が得られたかも」

と考える前に、

 

今の自分の環境から得られる、効用を上げる方法を考えてみるのはどうでしょう。

 

 

もっとも隣の芝生は青いもので、僕もないものねだりをよくしていますが笑

 

でも最初に書いたように、世の中の様々なものには限りがあります。色々なものが希少だからこそ、時間を無駄にせずに人生の効用を上げる方法を考えるのが得策な気がします。

今から意識していたら、100万円の収入で1000万円分の効用が得られる生き方ができるようになるかもしれません笑

 

1000万円を稼ぎだす方法を考えるよりも、1000万円分の効用をいかに少ないお金で生み出すかを考える方が、エキサイティングな気がします。(少なくとも僕はそう思います)

 

ちょっと長くなりましたが、今日はこの辺で。

 

なおこの記事で紹介した経済学の概念は、あくまで経済を学んだことのない人にもわかるように噛み砕いて説明しているので、もっと厳密な定義が知りたい方や、経済に興味が湧いた方は、自分で調べてみてください。

 

それではまた来週!

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何故。何で。どうして。

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おはようございますこんにちはこんばんは。

最近ストレスと寒さと毎日戦っている巴基です。

 

注:今日の記事はかなり自己中心的な記事です。こんな惨めな一人の大学生の悩みについて読んでもいいという方はどうぞよろしくお願いします。ですが、今回の記事は皆さまが求めるような答えがある記事ではないので、あらかじめご了承ください。

 

 

 

 

 

 

 


 

最近悩む。

 

僕は一人の人間としてちゃんと成長したのか。

 

僕はなぜ最近こんなにも社会が遠く感じるのか。

 

何で克服したはずの自分の弱みがよみがえっているのか。

 

 

最近思う。

 

 

 

昔から特定の家族や友達以外との付き合いは避け、無意識のうちに自分と価値観が違い過ぎる人間を冷たい視線で眺めていた。

 

例えば、小学校の給食の時間。ほかの子がみんなでワイワイ食べたり食べ物を地面に投げたりごみを拾わなかったりしている間僕は一人でお母さんの作ってくれたおにぎりを食べる。

 

こいつら何てバカなんだろう。自分が食べ物に不自由していないことを全然感謝してないし。こんな奴らは友達になんかなれない。

 

そんな自分勝手な批評を何度したことか。

 

 

 

中学校。

 

一応ランチタイムにバスケをしたり。ただ食べるのはいつも決まって一人。

 

何人かの仲のいい友達がいたが、それでもどこか僕は彼らが持つほかの友達との結束ほど強いつながりを。なろうとしてもなれない。

 

 

 

 

 

何だろう、この社会技能の無さ。

 

自分がダメ過ぎて悲しくなる。

 

 

 

 

 

高校時代にできた友達と最初に会ったとき。彼が言うまで思い出せなかったが、中学校のランチタイム、彼が僕に一度話しかけてきたことがある。

 

僕がそのとき何したかって?

 

 

 

 

 

すんなり無視。最悪だよね。こんな奴がほかの人を見下す資格なんてないよ。

 

今となってはその友達とは笑い話になってるけど、それでも僕がどれだけ無知だったのかを物語っている。

 

 

 

中学生の時のもう一つの悩み。

 

”僕って、結局日本人?アメリカ人?”

考えても考えても答えが見つからない。考えれば考えるほどに悩みは大きくなる。

 

もう嫌だ。

 

 

 

高校。

 

少しづつほかの人ともう少し接するのに慣れて友達も増えた。ランチタイムや学校の行き帰りなど友達と接する機会が増えた。学校で一応テニスチームに入っていたことで複数の人が一つになるのを目の当たりにした。高校三年の夏には初めて親から2週間離れての南カリフォルニア吹奏楽ヨーロッパツアー。楽しかった。友達もできたし、見知らぬ人と接するいい機会だった。このころからようやく人の目を見て話すのが得意になってきた。ブラウンのエッセイにも書いたけど、親同士のけんかを仲裁するまでに人の事を考えられるようになり始めた。

 

大学。

 

高校でそこまでクラブ活動をしなかった反動で今はクラスや他のアクティビティーに手を出しまくってる。周りからもっと寝ろと何回言われたかわからないほどいろいろやっている。それでいろいろな人とも会えたし、人付き合いもそれなりには上達していた。

 

なのに何故。

 

何でこんなにも社会とのずれを感じるのだろう。

 

どうして最近、昔みたいに人を見下したり人の目を見て話せなかったり人との会話で相槌を打つのにさえ苦労しているんだろう。

 

僕の嫌いな自分。

 

自分が2年前に取った数学のクラスを今取っているブラウンの同級生を見下す自分。

 

自分も中国語を学んでるくせに、前に中国語を学んだ身としてのアドバンテージを持っているくせに、ほかの人の中国語の発音や漢字の書き順に難癖をつける。コンピューターサイエンスのプロジェクトを二人一組としてやってる時だって、パートナーがやってほしいことをやらないことに腹を立て、見下す。自分が勝手に先に進んで後できちんと彼に説明しなかっただけなのに。

 

何故だろう。

何でだろう。

どうしてだろう。

 

かのさんの昔の記事、

 

叫べ、”ありのままの自分が好きだ。”

 

を読んだ時に泣いた自分がいた。親にも言われたことだ、自信を持っていいと。

 

僕は高校4年で自信を多少なりともつけたと思っていた。でも、

 

それでもまだまだ心の底から自分に自信を持ててないのかもしれない。

 

なんにせよ、僕は問い続ける。答えがない質問は出来るだけ考えないようにしている僕だが、これはきちんと自分の答えを出したい。いつか自分を見つめた時に、”ああ、こんな自分に成長してよかった”と思えるようになりたい。

 

だから。

 

 

 

 

 

何故、何で、どうして。

 

僕は今日も自分を批評する。

 

 

 

追伸:こんなにも長く支離滅裂な記事を最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。(_  _)

 

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アリクイの遠回り

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未だアメリカンサイズのサラダが食べ切られない、メイです。

 

今日はヘルシーにCobbサラダを食べようと思い買ってきたものの、食べ始めから5分でギブでした。挙句の果てにお腹いっぱいになりすぎてサラダ酔いしてしまいました。「サラダがねぇ~、大きすぎるのよねぇ~、全くも~ぅ。」みたいな感じでした。

 

そんなことはさておき。

 

先週の金曜日、世の大学生はTGIF!!!!!!!!!(Thank God it’s Fridayの略です。「ついに金曜日が来たぞ、ふーっっっ!!!」みたいなノリです。)と盛り上がる中わたしは夜な夜な物作りに励んでいました。

 

というのも、今学期は毎週土曜日に近所の小学校に行って理科を教えるというボランティア活動をしているのですが、その事前準備が大変で大変で。ローテーションでやっているので一回しかやらなくてはいいものの、運悪く試験期間中に自分の番が当たってしまい前日の夜まで何もせずにいたら大惨事でした…。

 

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「そろそろ始めないとヤヴァイよ。」とパートナーのS君から招集がかかったのが金曜のお昼頃。その後ミーティングをしたものの、授業内容から実験に使う道具まで一から準備するということもあってなかなか物事が決まらず、一回解散してまた夜集まろうってなりました。

 

八時ぐらいにS君宅に再集結。幸いなことに授業内容はほぼ決まっていて、あとは実験とデモの準備をするだけだからすぐ終わるだろうと思ったのが間違いでした。

 

いざ作ろうと思ってみたら材料が足りない、道具が足りない。作ってみても思うようにいかない。失敗続きの中時間ばかりが過ぎ、時計は12時を回ろうとしている。

 

そんな中、S君は何か思い立ったかのように言いました。

「アイスクリーム食べに行こうか!」と。

 

え、なんでこんな時間に?しかもこんな寒いのに?全然作業進んでないし!と心の中でつぶやいたものの、押しに押され結局テクテクと歩いてアイスを食べに行くことに。

 

「あ~今日何時に寝れるんだろう…。」と途方に暮れる中、意外にもS君との会話ははずんでいつの間にかアイス屋さんに到着。たわいもない話をする中、S君は私にこう言いました:

 

「ぶっちゃけ、明日の準備とか手を抜こうと思えば抜けるんだよね。僕たちが徹夜して作ったものでも子供たちは『ださーい』の一言で終えてしまう事だってあるしね。でもそれはただの言い訳だと思うんだ。僕たちは子供たちに理科や勉強の楽しさだけを教えているわけではない。将来、自分たちもこんな大人になれる。未来にはたくさんの楽しいことが待っている。僕たちは、僕たち自身の姿を通してそれを子供たちに教える立場なんだ。だから、例え小学校レベルの実験でも妥協せずに準備しないと、子供たちが尊敬できるようなロールモデルにはなれないだろう?」

 

この言葉を聞いて、わたしは急に自分の事が恥ずかしくなってきました。子供たちのための準備なのに考えていたのは自分の事だけ。ちゃちゃっと終わらせようとしたばかりに大事なことを見失っていました。

 

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わたしたちは日々限られた時間内で生活しているとどうしても物事を「こなす」癖がついてしまう。「これとこれを何時までに終わらせよう。」毎日多忙な人ほどこのフレーズは頭にこびりつき、いい意味でも悪い意味でも到達地点しか見えていない。

 

走っている内に、何のため、誰のために走っているか分からなくなる。

自分のため?周りのため?夢のため?ちょっとした迷子状態。

 

ウサギもカメも、お互いスピードの違いや怠け具合は違ったけどゴールは見えていた。わたしたちも、ぴょんぴょんと先を飛ばしすぎて余裕をかましたり、ゆっくり着実に道を歩んでいったりと目標に向かって様々なアプローチをすることがある。

 

でももしアプローチ先がわからなくなったら?ウサギよりもカメよりも、自分は全然後ろの方で脱線しているアリクイだったら?

 

あら、大変。とアリクイに同情することもできるが、本当のところこの子が今絶好のチャンス。目先のゴールが見当たらず、アリクイ君は遠回りをすることになる。

 

「遠回りこそ、近道」

 

ドラマ「ドラゴン桜」の教師のモデルともなった、敏腕英語教師の竹岡広信氏がこう言っていました。

 

目先の事を早く片づけたいがために本当のゴールが分からなくなってしまっている人遠回りをするべきだ。ボランティアの事前準備に追われている深夜だからこそ、アイスクリームを食べに行くべきだ。数年後には社会に出て仕事につくから、大学の数年間は全く関係のないことについて勉強するべきだ。

 

ブラウンって、アリクイなのかもしれません。なのに。

 

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わたしはウサギみたいにひょいひょいと旅を終えようとしたり、カメみたいにのろのろ既に定められている道をたどるよりは、少し迷子になりながらも遠回りして自分の手でゴールを手繰り寄せるアリクイになりたい。

 

たしかに、遠回りをするには勇気がいる。労力もいる。ウサギやカメを見て、「安定してるなー」と不安になることだってある。

 

けれどたまには騙されたと思って自分に言い聞かせる。

遠回りは近道だ。

 

それは既に見えているゴールへの近道ではない。

自分がその旅路を歩む意味を探し出すための近道。

 

そんなことを思う中、金曜の夜(土曜の朝)は3時に床につきましたとさ。

 

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自分ではない自分

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こんにちは、巴基です。

 

余談ですが先日こんな自動販売機を見つけてびっくりしました。

 

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ピザの自動販売機!流石アメリカ(笑)

 


 

それでは本題に入りたいと思います。

 

おととい親とSkypeで話していたのですが、その会話の途中で自分の発言の仕方が少し変だということに気が付きました。

 

。。。何で??

 

僕は大学に入るまでの18年弱を親と過ごしました。一人っ子でアメリカ育ちなので、日本語を話す機会は親と以外はほとんどありませんでした(夏は日本に毎年帰っていたけど)。そんな僕がなぜ親と日本語を話していて違和感を感じたのか?

 

そこで気づいたのは、自分が大学に来てどれだけ変わったのか。

 

もちろん高校で好きだったものは好きですし、日本語も別に話せなくなったわけでもありません。ただ、日本語を同級生や先輩に対して使ったり大学で物事の視点が変わったりしていたから違和感を感じたのだと思います。

 

思えば高校の時は”忙しい”は平日の夜毎日12時過ぎまで宿題やら受験やらをしていた時でした。その頃も”中学では普通に10時に寝れていたのに忙しい、忙しいって言っていたなー”と考えたりしていました。

 

しかし最近は高校であまりクラブ活動をしていなかった反動で授業を大量に撮ったりクラブやイベントに大量に参加したりと自分で自分を忙しくした結果、生活リズムがかなり乱れています(柚子に何度ちゃんと寝ないとダメと言われたことか。。。苦笑)。更に日曜日がクラブ活動で埋まっているので週末もろくに無い始末です。

 

しかし、これだけ忙しく大変でストレスが溜まっても僕を突き動かしてくれるものが2つあります。

 

1つは大変なことはいつかは終わるという考え方です。このメンタリティーは大学受験でも使っていたのでお勧めです。どんなに終わりが遠く勉強や仕事が果てしなく続いているように見えても、いつかは終わります。終わりを目指して頑張りましょう^_^

 

2つ目は将来、今を振り返ってみた時にいい思い出だと思えるようにしたいという願いです。最近は時々宿題の合間に昔の写真とかを見てその頃の自分の考え方や感じた事などを思い出したりしています。大学にいると”次にこれをやらないと、その後はこれをやらないと。。。”と未来の事ばかりを考えてしまいますが、たまには過去を振り返るのも悪くないと思います。昔の旅行を頭の中に再現して楽しんだり、写真をみて懐かしんだり、落ち込んで泣いていたときにどんな悩みを抱えていたのかを考えたり。そうすることで初めて自分の今までの努力の成果、そして色々な経験を経て成長したという実感が得られると僕は思います。

 

追記:昔聴いていた音楽をもう一度聴いてみたり、弾いていた曲・歌っていた歌をもう一度弾いて・歌って見たりするのも結構楽しいです。^_^ 親の車の中でよく聴いていたサザンが懐かしくなったので、先日親に”葡萄のオーディオを送って下さい”と頼みました。今や僕の勉強用音楽の定番になっています。

 

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今年の夏に太宰府天満宮に行った時の飛梅の写真。受験生の皆さんの幸運をお祈りします。

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幸せとは?

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みなさん、毎日ハッピーに過ごしていますか?メイです。

 

今学期とっている歴史の授業(HIST0522N: Reason, Revolution and Reaction in Europe)の課題で調べ物をしていたところ、Stephen Colbertというアメリカでは有名なコメディアンに辿り着きました。なぜフランス革命の勉強をしているのに彼に行きついたかはさておき、わたしは彼がこのビデオの中で「幸せ」について語っているシーンが好きです:

 Video Link

 

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“Happiness is way overrated”

「『幸せ』とは無駄に価値が高い」

 

…ちょっと訳し方が下手ですが(笑)このインタビューでは、彼とその対談相手であるOprah Winfrey(彼女もまたアメリカでは有名人です)が口をそろえて「みんな『幸せになりたい』と言うけれど、何が自分にとって幸せか分かっていない人が多い。」と語っています。

 

幸せとは何か。

 

わたしも答えが出ていない内の一人です。他人と比較してばかりだと幸せにはなれない、ということをよく耳にしますが、自分的にはなんとなくしっくりきません。普通に一日を過ごしていて「幸せだな~」って自発的に思う瞬間がこれと言ってないからです。もちろん毎日不幸なわけではなくて、日々楽しい学校生活を送っています。おそらく幸せが何かと自分の中で決まっていないから見分けがつかないのでしょう。

 

でも確かにいちいち人と比べるのも精神上よろしくない。上には上がいるわけだし、ヨソはヨソでウチはウチ。周りと比べてばかりいたらそれこそ幸せが何かと気付く前に不幸になってしまいそうだ。他人と比べずに、だけど何か比較する対象を見つけて上手い具合自分にとっての「幸せ」が何か気付く方法はないのか。

 

そんな考え事をボーっとシャワーでしていたら、体が冷えたのかくしゃみが出ました。「あー風邪ひく前にあがろう」って自分に言い聞かせたその時、ちょっとヒラメいてしまったのです。思わず、幸せだなーって無意識に言ってしまう場面を。

 

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それもずばり、風邪をひいている時です。数日間咳や頭痛で苦しめられる中、いつも健康体でいられることがどんなに幸せか思い知らされます。風邪が治って一日もすれば、そのような感謝の気持ちも忘れてしまうのですが。こうやって元気にブログを書いている自分は、寝込んでいる時の自分からしてみれば幸せなやつなんだなーって思ったりします。

 

「自分」と比較して幸せを見つけ出すのがカギなのかもしれません。

 

大学のテスト勉強に追われていても、受験生だった自分からしてみればブラウンにいる事が「幸せ」。帰国中に湯船につかることも、シャワーしか浴びられない寮にいる時より「幸せ」。中高生時代あんなに持っていくのを面倒くさがっていたお弁当を毎日作ってもらえるのも、今となっては休み中にしか両親の手料理が食べられない自分からしてみればとんでもない「幸せ」です。

 

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(この前、わたしには一度もつくってくれなかった、ハロウィンのお弁当を母は作ったそうです。。。笑)

こう書いていく内に幸せって案外些細なことだらけなんだなーって、改めてStephen Colbertの言葉に納得させられました。

 

最後に、Stephen Colbertはこのような事も言っていました:

 

 

“…Be sad with the people you love, cause that’s real.”

「自分の愛する人たちと悲しむことの方が、(幸せよりも)本物である。」

 

 

またド下手な訳し方で申し訳ないです、今度翻訳の旅に出てきます。彼は、得体のしれない幸せを追い続けるぐらいなら、悲観的な状態でもいいから自分にとって大切な人たちと送る日々の方をとるみたいです。それぐらいの覚悟ができた時にはじめて、人は「幸せ」を掴むのかもしれないと考えさせられる一言でした。

 

珍しく…いやいやいつも通り真面目なお話でしたが(笑)

来週は、この前コメントしていただいた「おすすめの洋書とは?」という質問にもお答えしていきたいと思います!選ぶの難しそ~!

 

それではまた来週!

 

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「みんな」に動かされながら

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“You’re too serious about everything. Doesn’t it exhaust you?”

 

先日ある友人にこう言われた。
先週末キャンパス内で開催されたアートイベントについて感想述べたときだった。
よく知っている友達の作品がそのイベントで展示されると聞き、少し顔を出そうと向かったところ、”展示会”から懸け離れたよくわからないパーティー会場のような場所で。「アートイベント」というよりは、アーティストの作品たちが装飾物のように壁に貼られ、それに見向きもせず音楽に合わせて踊っている学生たちの溜まり場と化していたのだ。
この会話は、イベントに出展者として参加した友人と後日した時のことで、私は彼女に「アーティストの立場から見て、自分の作品をあのような形で展示されるのはいかがなものか。」と意見を述べた。彼女は、「かのならそう思うだろうね。それにかのの言い分はとてもわかる。まぁでも、あれはそういうイベントだったってことだよね。」と返した。
結局彼女とはその後1時間くらい、それぞれのアートに対する想いを語り、とても良い会話をすることができた。レストランを後にし、学校へ向かう坂を登りながら、彼女は私に言ったのだ。「かのは何事に対しても真面目すぎるよ。疲れないの?」と。

 

今回のアートイベントに対して確かに疑問は持っていたが、私は別に全面的に批難しているわけではない。大学で行われたひとつの学生イベントだし、あの空間で友達とただ楽しい時間を共有したいと思っていた参加者に対して、何かを言うつもりもない。きっと、その中に私がアートについて熱く語り合える友人が(しかも、いちパーティー参加者としてではなくアーティストとして)、あの場にいた大衆の中で同じように騒いでいたことに関して、ただ率直に少し悲しかったのかもしれない。
こんな会話から、周りと私、みんなと私について考えてみた、そんなことについて今日書こうと思う。
obra60_12aDivisor / Lygia Pape, 1968.

 

ある授業の課題で、上の写真の作品について今論文を書いている。
ブラジルの芸術家、Lygia Papeの”Divisor”というパフォーマンスピース。30mx30mの白い布に切れ目を入れ、そこに人々が頭をいれ、一緒に街を歩くというこの作品。Papeはこの作品について、「『個』と『大衆』、『自分』と『社会』の縮図だ」と話している。周りが前へ歩けば自分も同じ方向に歩かなくてはいけないし、周りがジャンプすれば自分もジャンプしなくてはいけない。一枚の布で赤の他人と繋がれ不思議な親密さを感じ、同時に隣の人との距離感から孤独さをも覚える。ユラユラと波を打つ布は、『世の中』というものがどんなに力強く、そして巨大な影響を『個人』にもたらしているのか − このパフォーマンスはその参加者に気付かせるのだろう。

 

・・・・・

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学校とか、会社とか、家族とか、友達グループとか、
そういう共同体に私たちは生きている。
だからこそ、人に流されてしまうことは、誰にだってある。
Lygia Papeの作品にある無数の切れ目のように、私たちが生きるこの世の中には一人一人のための居場所がある。
でもそれは、白い大きな布のような大きくて、力強い枠の中に存在するのだ。
だから、周りが一つの方向に動けば自然と体はその方向について行ってしまう。

 

そんな流れの中で、どれだけ自分の軸を保つか。

 

 

自分の考えやこだわりが「みんな」と合致しないことなんてきっと山ほどある。
最初に書いたアートイベントの話のような、たかがいちイベントだって、その例だ。思ったことを口にできなかったり、自分らしく振舞うことが制限されることだって、山ほどあるだろう。トレンドや、『大衆』が「正しい」と信じるものが存在する上で、息苦しくなることもある。
自分は人より真面目なのかもしれない、と思ったことはたくさんあるし、それが逆にコンプレックスに感じることだってある。「真面目すぎる」かはよくわからないし、確かに私は頑固で、「頭が固い」のかもしれないとも思うこともたくさんある。
でも結局。こんなことを書きながら私は思う。
こだわりを持つことが、『大衆』や『世の中』の中で生きていく上で、
一番大事なことなのかもしれない。と。

 

FH000002 (4)

 

私がこの夏、金融のインターンで学んだことがある。
それは、何事も不安定であり、今日正しかったことが明日はとんでもない間違えになるかもしれない、ということだ。
20000円だった日経平均株価は、一晩で18000円、15000円になることがある。
昨日1億円稼いだ投資家が、次の日2億円の損を出すことだってある。
昨日の今日、今日の明日で、何が起こるかわからない『世の中』なのだ。
「正しい」の定義は、いつでも変わり得る。

 

揺るぎない、自分が信じることを、誰が何を言おうとも貫くこと。
人々が「正しい」と言い、私は「なんか違うな」と違和感を持ったら、「そんな人たちにはそう言わせとけば良い。」と思えばいいのだ。人それぞれ、各自が持つ価値観というものは必ずあるはずだ。
だから、だからこそ、譲れない部分を妥協しない。
自分のこだわりを持ち続けた人間が、いつか報われる日は来るはずだ。
理想論かもしれない。けれど。
少なくとも私は、そんな人間が生き残る社会であって欲しいと、願っている。
 ・・・・・

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